料理に見える教育との共通点:帰国生が陥る順番の過ち | みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

アメリカオレゴン州、ワシントン州にある学習塾巣鴨アドバンススクール(www.sugamoadvance.com)で日々子供達と奮闘中です。

最近は、サブウェイのサンドイッチもあきてきたので 笑

料理をするようにしています。

自分だけのためにつくる料理は、なかなか気合が入りませんが

理科の授業のために色々と調べ物をするため、その知識が料理に結びつき料理が大変おもしろくなってきました。

どうして、片栗粉を入れると、液体がドロドロの状態になるのか。

このとき、分子レベルで一体何がおきているのか。

そんなことを考えながら料理をすると、また違った角度で料理の世界を見ることができます。

こんな分子の話ばかりしていると、友達が減ってくるので、皆様は注意してください 笑



さて、料理というのは、順番が命です。

マーボー豆腐を作るときに、最初からフライパンに片栗粉と豆腐を入れていては、どんな味になるのか検討もつきません(ちょっとやってみようかと、今、思いましたが 笑)

この順番を間違えると、素材を台無しにし、味まで変わってきてしまいます。




教育も同じです。

この順番を間違えると、生徒が本来持っていた良い部分が壊れ、最悪の結果を招きます。



母乳しか飲めない赤ちゃんに最高級のビーフステーキを与えても、得がないように

ハーバード大学の教授が、足し算がやっとの小学一年生に積分の話をしても、得がないように

どんなに優秀なお子様でも、与えられるものがその子に適していなければ意味がありません。



そして、こちらで良く見られるのが、家族一丸となり、家庭教師もまきこみ、子供の宿題を一所懸命に終わらせようとすることです。

もちろん、そのような宿題を出す学校も攻められるべきなのですが・・・

決して「終わらすための宿題」ではありません。

宿題に取り組む過程を通して、お子様が、何かをつかまなければ、その宿題の意味がありません。


私の先輩が良くこう指導してくれました。


シャワーを浴びる前と後、これは絶対に体がすっきりしていないと意味がない。

シャワー室に入っただけで満足してはいけない。

体も頭も洗わずに、シャワーも浴びずに出てくれば、意味がない。

人間は、その変化が得られるから、シャワー室に入るのである。

それは、教育とて同じことだ、と。

生徒が塾に来てくれた。彼らが来たときと、帰るとき、彼らに変化がなければ、来る意味がない、と。



にもかかわらず、学校に行っても、何の変化もない。

宿題を終えても何の変化もない。

宿題をやっているのは、大半が本人ではないため、それは当たり前といえば当たり前のことなのです。

それでは、子供は学校に行く気が失せ、宿題に取り組む姿勢も変わってくることでしょう。


プロセスを通して、自分の中での変化が見えてこない限り、そのプロセスを行うことを子供は嫌がるようになるでしょう。

では、どうしなければいけないのか。


直接学校に問い合わせ、宿題のレベルを下げてもらう、より簡単な教材にしてもらうなど、こちらから積極的に交渉しなければいけません。

見栄などを考えても意味がありません。

こちらにきて、数ヶ月であれば、読書感想などの教材なら、小学5年生でも、小学1年生以下のものにしてもらう、これくらいのことをしてもらわない限り、その宿題に意味はないのです。


こんな言い方は誤解を与えかねますが、アメリカの学校の先生は、基本的にあまり気を使ってくれません。

(もちろん、例外は何人もいます。アメリカの人を馬鹿にしているわけでもありませんので、ご理解ください)

先生に何も意見をしなければ、この子は何とかやっているのでしょう、との結論に彼らは陥ります。


こちらでは、積極的に意見を言わなければいけません。

もちろん、どのように交渉すればいいのか、どんな言い方をすればいいのか、など疑問がありましたら、メールでも電話でも相談してもらえればと思います。

とにかく、お子様に、今最適な教材は何なのか。

これが、教育において、大事な点です。

それを無視し、順番を誤れば、お子様は一生、シャワーを浴びた時の快適さを味わうことなく、シャワー室を出入りすることになり、やがてはシャワー室に入ることさえ拒否することになってしまいます。


逆を言えば、少しでもシャワーを浴びて快適さを味わえば、その意味が見出せるのです。

そのためにも、家族一丸となって宿題を終わらせるのではなく、家族一丸となり、学校の先生と交渉してください。

それが、長いスパンで見たときに、お子様のためにもなるのです。