Twitterを始めてみた。思いついたことを片端からポンポン世界に発信できて楽しいし、情報量が半端ないので見ているだけで暇つぶしになる。


しばらく使ってみてようやく覚えたハートマークのボタン。心くすぐられた呟きに称賛を送ることができる。私も面白いことを呟いて、いいねなんて言われてみたい。


ホーム画面を見ていると、他の人のツイートには何万という人からの拍手喝采が鳴り響いているのに、私のツイートだけまるで存在していないかのように静寂。アイコンにしたお気に入りのクマのぬいぐるみが悲しそうにこちらを見ていた。


Twitterにはフォローというお友達登録のような機能があり、ツイートを見るのはそのお友達が大半というベースがあるらしい。そしてたくさんの人に見られた呟きは更にたくさんの人目に触れる仕組みだ。

見るだけでもルールがあって「リムるならNG」「フォロバ目的禁止」「無言外す」など見知らぬ言語で仲間外れにされてしまい、私のような見知らぬクマはスイミーの群れから外に弾き出されて必然的に傍観者となる。


そうか、勘違いしていた。


私はTwitterを情報の宝庫だと思っていた。雲の上のアイドル、行ったことない地の大学教授、自分と見間違うようなドッペルゲンガー。

そこは現実世界で関わるはずのない人たちの発見や知識を傍受出来る広い世界などではなく、私たちが子供の頃やっていた交換日記や掲示板、時にはチェーンメールのような、日常とは異なる裏の顔をネットの世界で演じているだけ。その舞台に選ばれたのがたまたまTwitterだったのだ。


現実世界と変わらない既視感に鼻白む。


ようやくいいねがついた。私がインテリアをDIYする動画を、建築家らしきイタリア人が褒めてくれた。

そう、ここは放課後の退屈をしのぐフードコートじゃない。指先で世界を旅する無限の空間。自分なりに楽しみたい。



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