ウチの地味なホームページにももう少し効果的な側面を植えつけたいと、無いアタマをひねるワケです。
時代の真逆、業界の常識の正反対を向きたがるわたしのことですから、言葉が足りないことは時に職業的商売的 ”死” を意味するのではないかとかきもしない冷や汗を覚えたワケでつまり、わたしが髪に対して抱く思いくらいは明確に記すべきなのではないかと考えるワケです。
なぜ、ウチのシャンプー&トリートメントでなければならないのか?
……それは、髪のためだから。
なぜ、一般的なトリートメントは髪を傷めてしまうのか?
……それは、髪の仕組みがそんな感じだから。
大丈夫かと。
そんな調子で大丈夫かと。
冗談ですよ?
理屈はわかってんです。
でも、説明すると長くなってしまうし、きっとほとんどのヒトはそんな面倒なことは聞きたくもないし、知りたくもないんだと、そんな程度のこともわかってるつもりではいるんです。
頂き物のフラワーアレンジメントに真っ赤に塗られてラメまでふられた松ぼっくりが可愛らしく装飾されていました。
ずいぶん前の話です。
お花はしばらくすると枯れてしまったのですが、真っ赤でラメラメの松ぼっくりの様子はまるで変わらずにいました。
手のひらで転がすと、カラカラと乾いた音をたてました。
髪についてのハナシをお客様とさせていただく際、わたしは例えとしてよく松ぼっくりを髪のキューティクルの性質になぞらえてお話させていただくのです。
似てるから、です。
真っ赤な松ぼっくりが、言うなればコテコテにコーティングされた髪とよく似て見えてしまったワケです。アホなわたしには。
あるいはマニキュアまみれの髪でもいいです。
つまり、すっかり何ものかに覆われてしまった状態の髪ってことです。
真っ赤な松ぼっくり、可愛かったのでしばらくの間飾り物みたいにして置いていたんです。
一年くらい。
その間に松ぼっくりがどんな変化を見せたのか?
……何にもかわりませんでした。
そのまんま。
何なら以前にもましてカラカラと乾いた軽い音で転がっていたかもしれない。
濡らすようなことは一度も無かったはずですから、ただひたすらに乾くばかりだったのかもしれません。
部屋の湿度の影響を受けたかどうかは、眺めるばかりでは確かめようもありません。
とにかく、松ぼっくりは腐るでもなく、乾きまくって割れるでもなく、ひたすらに真っ赤な松ぼっくりのままではあったわけです。
一年くらいのハナシ。
いや、もっとかな。
痛んだ髪は隙間だらけ穴ぼこだらけの状態なので水分をとても吸いやすいのです。
傷んだ髪ほど湿気の多い日などに影響を受けやすいのはそのせいなのです。
そんな状態の改善をたくらむ手段の一つとして ”疎水化” といってそんな目的向きのあんなものやらこんなものといったとある成分を髪に浸透、吸着、あるいはフタをするなどして要するに髪が水分を吸いにくくする、湿気からの影響を受けにくくする、というアプローチをくわだてるわけなのですがつまり、真っ赤な松ぼっくりはそんな状態にさえ似て見えた、ということでして。
真っ赤な松ぼっくりは残念なことにわたしの手元にはもうありません。
店の模様替えをしているときに面倒になって捨ててしまいました。
断舎利という誘いの罪、あるいは後悔、ですか。
いいがかり、甚だしいですな。
ひんむいときゃよかった。
松ぼっくり、どんなんなってたんだろ。
真っ赤でラメラメにされた正体はどんな有様でいたんだろ。
例えば登山のときに足元にころがってる松ぼっくりって、その年のとか、あるいはせいぜい去年の秋に枝から落ちたものばっかなんですかね。
自然の環境にいれば、濡れたり乾いたり、獣に踏まれたり風に転げたり倒木にぺしゃんこにされたりって、まあ様々な淘汰には晒されるんだろうけれど、それにしてもものすごく運のいい松ぼっくり、べそべそほどには濡れることなくミイラ化するほどの乾燥に晒されるでもなく、踏まれるでもなく吹かれるでもなくぺしゃんこ、ですらなく、そうしたら松ぼっくりはけっこう無事なままでいるんだろか。
そんなとき、松ぼっくりはどんな有様でいるんだろか。
そいつと真っ赤の正体とを、見比べてみたかったもんだ。
アホか、関係なさすぎ。わかってるわかってる。
髪はお風呂に入るし日光にも照らされるし、それどころかブラッシングやドライヤー、果てはアイロンで焼かれてツヤという名の強制労働さえ要求される始末。
しかも自慢のコーティングは分子レベルときてる。
本来の機能に対する目的、効果、あるいは結果とかなるがままとか何でもいいんですけど、結局のところそれを欲しがるヒトの認識しだいでわたしたちの目的とか効果とか果ては正義、なんてものさえいとも容易くくるくると入れ替わってしまうものなんじゃないのかって、つまりホームページの更新だ充実だなんて思ってしまったばっかりに、たしか自分の理由になるはずだったものが、果たしてどれほどの認識と欲求と情熱とそれとそれと、って何でもいいんだけどつまりかなり譲れやしねえぞとさえ思っていた大切なものが、どうでもいい人たちには殊更にどうでもいいことだったりするんじゃないのかと、所詮 ”死滅細胞” でしかない髪に傾けるべき正義って一体どの程度の真剣さでもって思いやるべきことなんですかね? 自分、正しいんですかね? 意味あんですかね? なんてついつい、考えすら危うくなってしまった気がしてしまったなんて申し訳ない申し訳なさすぎ、ウチのシャントリと自慢の草を信じてご愛用いただいてる皆さんに申し訳なさすぎ、って自分の髪への理解の乏しさ憧れの貧弱さに若干ですがこの世を儚むほどの、それとよく似たほどの意気消沈を持て余してのこんな長文どうもすみません。
”サラツヤストレート” とか ”髪質改善トリートメント” とか全然信じられなくてすみません。
そんなメニュー扱ってなくてすみません。
全然やる気がしないんです、すみません。
それにしても、ウチがウチである必要を常に真剣に考えなければと思っています。
信じてくれているみなさん、本当にありがとうございます。
皆さんの髪こそが、suffcutsが ”信じるもの” を証明してくれると信じてます。