楽譜に曲の構成が書いてあることに否定的な立場をとる理由は、やはり自分で考えなくなるというのが第一の理由である。楽譜に書いてある程度の分析は、見て弾けば分かるだろうし、分からなければならないと思う。

構成が分かったところで、それがどう音楽に反映されるかが問題で「テーマはこれです。はい、またここにテーマが出てきました」と弾くことが果たして正しいのだろうか? 前にも記事の中で「音楽は一体誰のものなのか」と書いたことがあるが、そういうことは聴いてるものが感じとるものとは考えられないだろうか。

「この曲からこんなことも、あんなことも読み取りました。さぁ、あなた達も聴いてご覧なさい」というような演奏を聴いて喜ぶのは、何も考えないで気の赴くまま弾いている演奏家にとっては新鮮かも知れないが、一般の聴衆には理屈っぽい演奏にしか聴こえないだろう。楽曲の構造をわかりやすく提示する演奏が、人々の心に届く音楽なのだろうか。


アナリーゼしましたというけれど、それは曲の構造が分かっただけ、和音構造が分かっただけに留まってないだろうか。リズムの面からはどうだろう。一口に楽曲分析と言っても色々な角度から見ることが出来るわけだ。

本当に考えなくてはならないのは、例えばバッハのインヴェンション 第6番 ホ長調だけ「何故繰り返し記号が書いてあるのか」とか、シンフォニア 第5番 変ホ長調は「何故主音で終わらず、3度上で終わっているのか」と言ったことを考えることが大切なのではないだうか。

直ぐに答えはでなくても、考えることがあなたの音楽を豊かにしてくれる筈だ。それが作曲家の核心に近付いていくことだと思う。