少年院生活も慣れてきたころ、同室の人と社会話(禁止されている)をして調査に受けることになった。
調査と言うのは警察でいう取り調べみたいなもので、入所時に入れられた3畳の独房に入れられて、担当の先生がどういった状況でどんな話しをしたかを調べる。
調査の結果、私は内省になった。内省中に反省らしいことなんてちっとも考えてはいなく、ただ時間だけが過ぎ退屈な時を過ごした。
内省期間に家族が面会に来た。沈む顔の私を見て心配そうな家族の顔が心にチクっときた。その顔がとても悲しそうな顔だったからだ。
少年院にきてまで、規則を破って罰を受けている自分をどう思っているんだろう。
部屋に戻り、初めて考えてみた、「家族の悲しい顔は自分がそうさせてしまったんだな」
「どうして自分は独房に入れられたんだろう」
何日も続く内省の中で、「後悔」と言う言葉が頭に浮かんだ。今まで先のことなんて考えずに思った通りに行動してきて、これをやったらどうなるのだろう、と考えことなど一度もなかった。行動を起こす前に、考えることをしてみたら「後悔」と思うことがなくなるのではないだろうか。
自分の行動を振り返って考えたのは初めてだった。当たり前のことさえわからない、私は本当に自由にやりたいことだけをやってきてたのだと気付いた。その頃から自分でも気がつかないうちに色々なことを感じてきていたのかも知れない。また同じころ資格取得に向けて毎日練習をし、ワープロ検定合格することができた。久しぶりに感じた達成感、また運動会やクリスマス会には力を合わせてやる一体感を感じることができた。学べたことも多くあった少年院生活、それでも私は待っている仲間と共にレディースをやることだけが支えで、仮退院を待ち望んでいた。
そして仮退院、その日はちょうど1年後の9月だった。
今日から自由になるって実感はなく、外の景色が変わっていることに取り残された気持ちになった。
すぐに昔の仲間に連絡を取り、出てきたことを告げたが、返ってきた仲間の言葉は、
・・それは自分が望んでいることではなく、考えもしない言葉がだった。
待っていてくれると信じた仲間、大好きな仲間は、私のことなんて一切待ってはいなく
私はレディースを破門にされていた。その数日後に集会に呼び出され、「どうして?」と聞く私にかつての仲間は、「みんなおまえのことを妬んでいた」と言った。
その顔は私の知っている仲間の顔ではなく知らない顔に見えた。涙が出てきて、
悲しくて、悔しくてしょうがないのに、自分のことじゃないような気がして信じられなくて、言葉が出ない。そのまま公園に連れて行かれ、ヤキ(リンチ)を入れられることになった。それは私が総長時代に決めたやり方のヤキで、ひとりが力尽きるまで殴り続ける。
ひとり、ふたりとヤキを入れられながら13歳からレディースをやってきた自分のことが浮かんできた。「大好きな仲間だったのに、大事な居場所だったのに、・・・妬んでてたってたったそれだけで自分の今までがなくなっちゃうんだ・・」
そして、暴力の怖さを知った。振り上げた拳が当たるまでの間が怖いんだ。
暴力は身体の痛みより恐怖の方が大きい、心が痛いと感じた。
10人くらいのヤキが終わり、みんなは「もう二度と松山(地元)を歩くな」と言って公園からいなくなった。何分?何十分?かわからないけど広場で大の字で倒れ、次第に雨が降り始めてきた。この世の中の全ての物が敵になっているように思え、天気さえ自分を嫌っているのだと思った。
居場所も仲間も全て失い、孤独、絶望・・私はひとりぽっちになった。
どんなに辛くても次の日は変わらずやってきて、何も変わらない。
変わったのはレディース総長じゃなくなったことだけ、それだけなのに自分にとっては生きる希望さえなく感じた。
真面目に生きよう、そう考えても何をしていいかわからない、ヤンキーのことなら全てわかっても普通の17歳が何をして遊んでいるか、何を好んでいるかもわからない。
私は・・社会でどう生きていいのか・・わからなかった。