審判後、一度鑑別所に戻された。鑑別所で私が収容される少年院を決めるそうだ。
これを読んでおくように、と渡された本は、古いアルバムのような本だった。
本には少年院の紹介と一日の流れや日課が書いてあったような記憶がある。
表紙には、「榛名女子学園」とある。
ここが私が収容される少年院で群馬県にあるらしく、古そうな建物の写真が載っているその本を手に取って
先の見えない迷路の入口に立っているような気になった。
移送の日は金曜日。鑑別所の先生が2人付き添いとなった。手には、季節外れのカラシ色のジャンパーをかけられていた。ジャンパーは手錠を隠すためで、手錠から身体へ、と縄で縛られている。「テレビで見る犯人みたいだな」屈辱?よくわからないけど、こんな思いをしなくちゃいけない自分はそんなに悪い事をしたのかと、その時は本当にそう思った。

入所後、すぐに衣類室に行き、そこで自分に合うサイズの服や日用品を渡された。衣類には沢山の番号が書いてあり、今まで着ていた人の歴史があるような服だった。私の衣類番号は「108」、持ち物には全て「108」と記入されていた。この番号は収容中にずっと使う番号だと教えてもらった。ここでは名前はない、この番号が自分の証になる。
自分の住んでいる家より古くてボロイこの少年院で108番と書かれた少量の自分の持ち物を手にしながら、「とんでもないとこにきちゃった」と、不安になった。
入所後は単独室に入り、内省というものをしながらここで暮らす準備などをし、そして
一週間後、私のみどり寮での共同生活が始まった。
寮に入ってすぐ、呼び出しをくらった。同室の1級上の人が「○○がトイレで待ってるから行って」と、「あぁ、もう呼び出しか。喧嘩したら帰るのが延びるな、・・。でも自分にはレディース総長としての看板をしょっている、負けられない」そう心に強く思ってトイレに向かった。
狭いトイレの個室に入ると、大柄の女が待っていた。女が口を開いた「私と姉妹(きょうだい)しない?」と聞き慣れない言葉・・
驚いている私に、「返事は後でいいから」と言って立ち去った。
意味がわからないまま部屋に戻ると、さっきの1級上の人が「きょうだい」について教えてくれた。私が入った時代には、「マブ」「きょうだい」などと呼ばれる仲間を表わす付き合いがあり「マブ」は親友のことで親友のような付き合いをする、「きょうだい」は先に入った上級生が新入りを可愛いがることを言うらしい。ほとんどの人がそれをやっていると聞いた。威勢よく寮に入りみんな最初は強がるが結局はここで暮らすわけだからみんな「暮らしやすい方法」選んだんだなって思った。なんとなく変な安心をした私は、大柄の女からの申し出を受けることにした。
寮にはまだ規則があった、規則はもちろん院生だけの規則で、入所が早い人が先輩となり新入りは敬語を使う。
外の世界の上下関係と対して変わらない、違うのは年下でも先に入った奴には敬語を使わなくてはいけないことだ。その他に「榛名ロックンロール」「榛名ブルース」と呼ばれていた替え歌もあった。この歌を覚えて次の世代に伝えて行くのがここでの伝統だと教わった。
女同士の共同生活は大変なことも多くあったが、少年院での生活は最初に考えたほど苦痛ではなかった。
自由がないだけで充実した毎日だった。日課、行事、
一生懸命頑張る自分を笑う人はいなかったし、頑張れる自分も好きだった。
食べる楽しみや食べ物の大事さを感じた。
今まで嫌いな奴は痛めつければいいと思っていたけど、敵を作るよりみんなと仲良く暮らす方が暮らしやすい、過ごしやすいと思うようになった。時には人に合わせることも必要なんだということ知った。
月1回面会ができ、その面会には家族全員で来てくれた。今までの人生で家族があんなに頻繁に仲良く集まったのは少年院の面会室だけだったかも知れない。遠くから来てくれた家族には今でも感謝している。そして何より楽しみにしていたのは面会時に飲めるジュースだ。
面会室のジュースは思い出の詰まった一生忘れない味になっている。