あなたの世界は、どれくらい柔らかい?
色や温度はどうだろう?簡単に形を変えられる?
子供の頃、きっとあなたの世界は柔らかかった。
背中に生えた翼で空を叩けば、無限の世界を渡って行けた。
想像力。
それこそが、僕らの生のプラットホームだ。
僕らの生は、自分の想像力の上に組み立てられている。
ごっこ遊びをしていた頃のことを覚えてる?
そして、それをやめた日のことを。
大人になるってことは、ごっこ遊びから卒業すること。
羽は生えていないし、勇者でもお姫様でもないのだと認めること。
そんな訳で、僕らは現実を歩き出した。
仕事をし、お金を稼ぎ、家族を作り、また仕事をする。
現実的。この魔法の言葉。
けれど、本当は知っているでしょ?
「仕事」「お金」「家族」。
全部「ごっこ遊び」だってこと。
子供の頃の方がずっとそれを心得ていたんだ。
あの頃の僕らは、少なくとも、
勇者の冒険も、お城のお姫様も、
「自分が作り出したもの」だと知っていた。
どうして、僕らは、そのことを忘れてしまったのだろう。
僕らはいつのまにか、自分で作り出した物語に絡みとられて
それを「変えることのできない現実」へと組み上げてしまった!
そう「体験」を「客観的な事実」だと信じることによってね。
「自分の主観的な体験=作り出した物語」を、
「客観的な現実」だと思う強さに比例して、
僕らは、その現実に縛られる。
確かに、それも必要なことなのかも知れない。
「不変の物語」を通じてしかたどり着けない場所は、確かにあるから。
けれど、その向こうに、また別の世界が広がっているのも確かなこと。
物語から、物語へのday tripに飽きたら、
そんな世界をイメージしてみよう。
現実2.0。そう、物語の向こうの世界。
それは、柔らかな世界だ。
文字通り、自分が「現実」だと呼んできたものが、
自分が絶対だと信じてきたものが、緩んでいく世界。
自分が、その出来事に意味を与えて
それを受け取っていることを、体感して生きる世界。
誰もが必要に応じて物語を作り出していることが
まざまざと見えてくる。
その人にとって、今、敵が必要なんだな。
どうしても、傷つくという体験が必要なんだな。
それは未熟なのでも、足りないのでもない。
もちろん、そんな風景も自分が作り出した物語。
全ての人々が、懸命に自分の物語を生きていて、
そこで本当に、必要な体験をしていることが見えてくると、
その懸命さに、胸が熱くなる。
重なり合う生の、完璧な調和に、感動する。
手を伸ばして現実に触れる。
柔らかな現実を、あなたはどんな色に塗るだろう?
そこには、自由がある。完璧な自由。
想像力、無限の可能性を生きよう。
2018年も、よろしくお願いいたします。
現実2.0の水先案内 須藤峻