思考を記録してみる。その2:北風と太陽 | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

前回の「思考を記録してみる.1」に、引き続き。
思考プロセスを、そのまま残してみる試み。

5/12 10:00

今日は、風が強くて、マンションのベランダの鉢植えハーブと果樹が、
ちぎれそうなくらい、風にあおられている。

北風と太陽。

旅人のコートを脱がせるために、
北風は、強い風を浴びせかけた。
風を強めるほどに、旅人はコートをしっかりと握りしめた。

太陽は、その日差しを暖かく、旅人に向けた。
旅人は、コートを脱いだ。


相手が、自分の思いと違う行動をしている時、
僕らは、自分が「北風」になっている。
気付かぬうちに、自分が北風を浴びせているから、相手は頑になり、
コートをますます、しっかりと着込んでいるのだ。

好まぬ事態。自分が、望まない状況が目の前にあった時、
まず省みるは、自分。
自分の行動が、先んじている。

皮肉なコトかもしれない。
僕らは、望むモノを手に入れるためには、望んではいけないのだ。
「信頼して、その状況が、ひとりでに、そちらに転がっていくのを、眺める」
これが、何かを手に入れるための、方法だということ。

まさに、「無為自然」。
タオの心は、端的にこの、心の物理学を、教えている。

望むことと、信頼すること。
これは、実は、反対の概念なのかも知れない。

欲しがっている限り、それは、手に入らない。
なぜなら、相手は必ずその引力を感じ、そこから身をひるがえすのだから。

「私を愛して欲しい!」と近づけば、
相手は、無意識のうちに、支配を感じる。
結果、相手は、警戒し、距離を置くことになるだろう。

「もっと、自由に考えろよ!」と提案すれば
相手は、自分自身の考えに、より執着しようと思うだろう。

「自分」を否定されたとき、僕らは、本能的に「自分」を守ろうとする。
相手が否定したのなら、自分は肯定する。
プラス・マイナスのエネルギーバランスをとる。

だから、相手に期待をし、今の相手ではない状態になって欲しいと望むとき、
僕らは、図らずとも、「目の前のあなたは、ダメよ」と伝えるので、
相手は、「今の、自分に留まろう」と思う。

望むほどに、遠ざかる。

親が、「勉強して!」と望むほどに、息子は、勉強を嫌いになる。
親が、「堅実な道を歩め!」と迫ると、だいたい、アーティストかフリーターになる。

望むほどに、遠ざかるのだ。

だから、望むのではなく、確信するのだ。信頼するのだ。

相手が、相手の人生を生きること、
その中で、必要な学びを得て、必要なタイミングで必要な人に出会い、
必要なモノを吸収して、生きていくことを。
相手が、自分の力で、幸福をつかみ取る力があることを。


そのために、
「信頼する力」を、自分が養うしかないのだ。

昨日書いたように、信頼する力、それは即ち
「ありのままの自分を、信頼する力」のことだ。

自分自身へのコントロールを辞めた時、
僕らは、相手をコントロールすることを、辞める。
それは即ち、相手に期待し、望むことを、辞めるということだ。

その時、相手との間には、支援的な関係が生まれる。
相手が、相手の人生における最適な選択をしていくこと、
それを、ただ、肯定出来る時、互いの中に、残るのは、幸せだけ。
いかなる選択がそこで行われようと、そこには、ひとつの達成感だけが残る。


相手に対する眼差しと、自分に対する眼差しは、等しい。
相手に対する態度と、自分に対する態度は、等しい。

相手に対する態度を変えること、即ち、世界との接し方を変えるコト、
それは、自分に対する態度を変えるコト、即ち、自分との接し方を変えるコト、
そこからしか、始めることはできない。

自分と、接すること。

丁寧に、自分の内部にあるモノを、見つめること。
記憶、感情、観念。

いや、先んじて、自分を感じること・・・そこから、なのではないだろうか。
「先んじて」と書いたけれど、それは、「前後」の話ではないね、
それは、同時的なモノであり、必要なタイミングで交互に行われる。


自分自身の、記憶や感情や観念に、直接アプローチすることもできる。
様々な心理技法がそれを、サポートしてくれるだろう。
ヨガや瞑想、禅、それに「運動」も、サポートしてくれるだろう。

自分の深い部分とつながること。
入り口は、わからないけれど、「内側からの自分のエネルギー」を感じるコト。
それが、必要なプロセスなのだとわかってきた。

頭ではわかっていたけれど、
ここ数日の瞑想の中で、実感が出来てきた。

それにしても、瞑想って、呼ばれるモノなんだね。読書と同じ。
僕らは本を選ぶのではなく、本に選ばれるように、
瞑想も、必要な時に、瞑想から呼ばれる。




23:00

提案書の作成を終え、最後の作業中。

先日、ある企業に提案に行った。
久しぶりに、「疲れる」という経験をした。

とても、実感がある、疲労感。
あの疲労感の、原因は、「支配」にあった。

僕は、彼らを説得しようとした。
理解を変えてくれるように、新しい考え方を受け入れてもらえるように、
僕は、相手を変えようとしたのだ。相手を、自分の思う通りに、動かそうとした。
僕は、やたらと話をし、空回りをした。

僕は、彼らのあり方を、肯定していたか。
僕は、彼らのあり方を、認めていたか。
僕は、彼らを愛していたか。

彼らのありのままを、愛し、
その支援をしようとしたのなら、僕は等身大でそこにいただろう。
そして、支援的な関係、生産的な関係を作っただろう。

僕は、それをしない選択をしてしまった。

そこには、「自分を大きく見せよう」
そんな気負いもあっただろう。
だから、僕は、自分自身を支援できなかった。
自身と支援的な関係を築く事ができなかった。

この経験は、とても良い教訓をくれた。

「愛」として、現場にいられるか。
常に、「愛」であること。
be love.

それを、今、ここからはじめたい。