「わがままな人」というのがいます。
わがままな人って、どんな人? 自由気まま?自分勝手?利己的?・
実は、そうではなく、「我慢している人」のことです。
我慢できないから、「わがまま」なんじゃないの?
だから、わがままな人は、我慢していない人のことでしょ?
と思われるかもしれませんが、そうではありません。
ちょっと考えれば、わかります。
我慢というのは、自分の欲求を自ら押しとどめる行為ですよね?
「欲求の抑圧」のこと。これは、わかりやすい。
では、「わがまま」って何?
我慢せず、自らの欲求の通りに振る舞うこと? 実は、違うんです。
「わがまま」とは、「状況に対して、不満を持つ」ということです。
これは、論理的に説明するより、思い浮かべてもらったほうが、わかりやすい。
誰かを、「わがままだなー」って思った時のこと、思い出してください。
自分でも人でも。
目の前の状況に対して、異議申し立てしてるでしょ?
(もちろん、それが良い悪いって話ではないので、そこは置いといてください)
これは、論理的に説明するより、思い浮かべてもらったほうが、わかりやすい。
誰かを、「わがままだなー」って思った時のこと、思い出してください。
自分でも人でも。
目の前の状況に対して、異議申し立てしてるでしょ?
(もちろん、それが良い悪いって話ではないので、そこは置いといてください)
つまり、「本当は、こうあってほしい、こうあるべきだ!」
というリクエストをしている人。
それは、「不満がある」ってこと。
・・・ね、もう「我慢」がすぐ隣に見えて来る。
というリクエストをしている人。
それは、「不満がある」ってこと。
・・・ね、もう「我慢」がすぐ隣に見えて来る。
それが良いとか悪いとか、そういう話ではありません。
ここで、重要になってくるのは、
わがままな人っていうのは、必ず、本人の認識的には
「自分は、こんなに我慢しているのに!」って思っているということです。
ここが哀しいところですけど、我慢するが故に、利己的になってしまい、
他人からは、わがままな人・・・と見られてしまう。
このギャップに、本人はまた不満を持ってしまうわけです。
「自分は、いろいろなことを、我慢しているなあ」と思っている人、
他の人から見たら、すごく、わがままに映っていると思います。
それは、とっても残念なアナウンスです。
なぜなら、我慢している人 というのは、「わがまま」を言ってはいけない
と思っているから、我慢しているんです。
「わがまま」というのは「自分の感情の通りに生きる」とか
自由に行動する・・・というのとは、違います。
本当に自分の中がクリアで、自分に我慢を強いていない人が
自分の思いの通りに行動している様は、「自由」です。
自分の中にブレーキがないから、他人からもブレーキをかけられない。
自由人。そういう人は、「わがまま」と言われません。
行動の原質が全然違うんで。
その前の段階の、自分の内部の抑圧が暴発してる状況が
「わがまま」っていう状況です。
自分でブレーキをかけている(我慢している)ので、
それが投影されて、周りもブレーキをかけたくなる。
それが「あの人、また”わがまま”を・・・」ってこと。
・我慢すればするほど、僕らは、わがままになる。
・我慢すればするほど、自己中心的になる。
じゃあどうする?
YES、逆に進めば良いのだ!
我慢をやめていくこと。
自らにあてた禁止を、解いていくこと。
我慢をやめた時、僕らは利他的に生きはじめる。
本当に自分を許し、愛す時、 僕らは人を許し、愛さずにはいられない。
人間って、そんな生物です。
「我慢をして、わがままになる」よりも、
「ありのままの自分を解放して、利他的になる」ほうが、ずーっと素敵ですよね、
そんで、楽。
「あいつだから、仕方ない」と笑われてはじめたら、しめたもの!
みんなに諦めてもらい、苦笑してもらってなんぼ!
わがまま を 超えた、自由人。
何をしても許される、特別枠、トリックスター。
そんなスペシャルな場所に、滑り込みましょう。
みんなに諦めてもらい、苦笑してもらってなんぼ!
わがまま を 超えた、自由人。
何をしても許される、特別枠、トリックスター。
そんなスペシャルな場所に、滑り込みましょう。