僕らが感じる「困難」は
「起こっている問題そのもの」ではなく、
むしろ「なぜ、起こったのかが、わからない」という点に生まれます。
例えば、
・彼女が怒っているけど、理由がわからない
という状況がストレスフルなのは、「怒っている事実」よりも
「なぜ、怒っているのか」がわからないことに起因するわけです。
それが、「自分が約束をすっかり忘れていた」とわかれば
疑問は解消されます。
もちろん後悔や罪悪感は残るかもしれませんが
「原因不明の状況」よりも、ずっと状況は簡単になっています。
逆に、「原因不明」のままだと、ずーっと引きずってしまう。
人間にとって、
・なぜ、それが起きたのかを、理解すること
は、ものすごく、重要なんです。
それが理解できたとき、人は「本質的な対応」ができる様になります。
謝ったり、埋め合わせをしてみたり、気を取り直したり・・・という
その場しのぎの対処ではなく、
自分が忘れてしまったという事実を通じて、
根本的な問題を見つけ、解消するということです。
どうして忘れてしまったのだろう?
そう言えば、前回も、約束を破ってしまったっけ・・・
なれない仕事に、浮き足立っていたのかも知れない。
大切なモノがおざなりになってたんだ・・・
ひとつひとつのコトを丁寧に生きよう・・・
こんな風に、自分と対話すると
その「体験」が、必然的に起こったことが見えてきます。
そして、その体験が、自分に必要な「気づき」を
もたらしてくれるコトがわかります。
「なぜ、起きたのか」を理解した瞬間、
あらゆる体験は「学びの機会」へと変わるのです。
だから、例え大きな困難が目の前におりてきても
・なぜ、自分が、今、その問題と向き合っているのか。
・どうして、そんなことが、起きるのか。
・自分の人生において、何の意味があるのか
がわかった時、それは、「わけのわからない、大変なこと=問題」から
「自分を成長させる、学びの契機」へと変わります。
その様に、捉えた時、人はどんな大きな困難にも
立ち向かっていく勇気が湧いてくるのです
僕は、あらゆる「サポート」、あらゆる「支援」、あらゆる「価値提供」は
「その人の内部にある、「気づき」と「学び」のプロセスを、起動すること」
だと言えるのではないかと思います。