体験の選択と、学びのテーマ | 須藤峻のブログ

須藤峻のブログ

すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

僕らの生活には、日々、いろいろな出来事が起こります。
そして、僕らは様々な状況に立ちます。
その「状況」や「出来事」や「経験」は、良かったり悪かったりして、
僕らはそれに、一喜一憂します。

例えば、

お金があるのは、良いコト
争いがあるのは、悪いコト
人が死ぬのは、悲しいこと 等々。

しかし、これは、「その社会における常識的な価値観」でしかありません。
社会や文化が変われば、善悪の基準なんて変わって当たり前。
だから、「セカイが始まった時から、決まっている善悪」など存在していなくて、
その社会の人達が、なんとなく決めたコト・・・に過ぎません。

だから、全ての出来事は、ニュートラルです。


いつもの例なんですけど、「星空」をイメージしてみてください。
星空は、ランダムに星が並んでいるだけです。
でも「星座」を知っていると、その星座が確かに見えます。
「オリオン座」を知っている人にとっては、「オリオン座」は「存在する」わけです。

全ての「体験」は、同じ仕組みです。
自分が「良い」と意味を与えれば「良い出来事」が存在し、
自分が「悪い」と意味を与えれば、「悪い出来事」が存在する。
元々意味の無い、透明な現実に、僕らは自分で意味を与え、それを体験するんですね。

では、なぜ僕らはそんなコトをするのでしょうか?
それは、「自分が学びたいことを、一番学びやすいカタチで、経験する」ためです。

だから同じ体験をしたはずなのに、人によって全く違う体験をするということが起こります。
例えば、昔、結婚式に出席した時のこと。親族の方がスピーチをされました。
その人は緊張してしまって、ガクガク・・・でも、僕はとても心をうたれました。

僕の経験は「上手い下手なんて、関係ない。心は伝わるモノだ」というもの。
僕の学びたいテーマが、「等身大の自分を伝えるコト」だったからです。

その隣で、知人が経験していたのは「あがってしまって、大失敗のスピーチ」でした。
その人の学びたいテーマが、「周囲にコントロールされないこと」だったからです。

ニュートラルな現実を、それぞれが、自分のテーマに沿って、
異なる体験に塗り分けたわけですね。

また、同じテーマを学ぶために、創り出す現実も、人それぞれです。


ある人は、「愛の大切さ」を学ぶ為に、愛の「存在」という体験を作ります。
心からの愛に包まれ、本当に愛し合う人が必要だったのだ!とつぶやくのです。

またある人は、「愛の大切さ」を学ぶ為に、愛の「不在」という体験を作ります。
信じる人に裏切られ、自分には、本当に愛し合う人が必要なのだ!と気がつくわけです。

この様に、現実は、いつだって、
その人にとって、一番学びやすいカタチで存在しています。

さて、この「学び方」=「体験する現実」は選択することができます。
僕らは、長らく、「苦しいこと」から、学ぶという選択をしてきました。
しかし、上で挙げた例のように、「愉しく、幸せな体験」から同じ学びを得るコトもできます。

であれば、愉しく、ハッピーに学びましょう。
そのためには
・状況に対して「ネガティブな意味付け」をしないこと
そして、
・状況にネガティブな意味付けをした場合、そんな自分を否定しないこと
です。

例えば、「偉そうな態度を取っている人」が気に障ったのなら、
なぜその人の態度を、「偉そう」と、意味付けし、
「良くないこと」と判断したのか、自分に、問いかけるわけです。

「立派で堂々としている」と意味付けすることだって出来たのに、なぜかな・・・
すると、自分の中に「謙虚でなくてはいけない」という「思い込み」があることに
気がつくかもしれません。

小さな頃、お母さんにいつも、そう言われてきたっけ・・・
いばってばかりのお父さんが、好きじゃなかったな・・・
でも、偉そうに振る舞ってしまう自分が厭になったりするな・・・

そんなことを、思い出すかも知れません。
そうしたら、その「思い込み」が、今の自分に本当に必要なのか
自分に聞いてみます。

もう必要ないのであれば、
「自分の気持ちを自由に表現し、ありたいように生きる」
ということを、自分に許可し、行動してみてください。

すると、「偉そうな態度を取っている人」は、自分の前から、姿を消します。
その様に、意味付けする自分が、いなくなってしまったので
現実は、本来のニュートラルな状態に戻ってしまって
僕らの意識にのぼることが、なくなってしまうのです。

本人にとっては、不思議な体験ですけど
実は、当たり前のことなんですね。

まずは問うことから!
「なぜ、自分は、目の前の出来事に対して、その様に意味を与えたのだろう」
その問いを発した時に、僕らは、人生の主人公になることができます。

目の前の出来事を、「自分が自分に宛てた手紙」として読み取った時、
全ての現実が、全ての体験が、全ての記憶が語りかけてきます。
その尽きることのないメッセージが、僕らを、どこまでも導いてくれる。

呼び声に導かれて、どこまでもいきましょう!!
僕らを待っているのは、胸躍る冒険の旅路です。