自転車と人生の運転 | 須藤峻のブログ

須藤峻のブログ

すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

イメージして欲しい。
自転車がうまく走らない・・・う~困った。
ブレーキは利かないし、ガタガタいって、お尻が痛い・・・
キーキー音がして、うるさい・・・

さて、どうする?
選択肢は2つ。

1.微妙な体重移動や、お尻を浮かせる独特の乗り方を覚え、乗りこなす。
2.修理をする。

誰しも、いつか、2番を選ぶタイミングが来るだろうと思う。
修理は、早いほどいい。
早いほど、簡単だし、もしかしたら、乗りながら直せてしまうかも知れない。

器用な人ほど、「乗りこなすテクニック」で、しのいでしまう。
しかし、その「テクニック」のおかげで、
気がついた時には、自転車はぼろぼろ、「抜本的な修理が必要」
ということも多いのだ。

では、修理の方法は?
まず、「普通に漕ぐと、どうなってしまうのか」を確認する。
シャフトが曲がっている。前のブレーキは利きづらい。
サドルは、ぐらついている。後輪は、パンクしている・・・
こうして、「自転車の現状」が見えてくる。

これがわかって、はじめて、
修理の方向性や、必要なプロセスが見えてくる。

そのためには、「乗りこなすテクニック」を使うのをやめ、
できるだけ、「自転車に任せて走ってみる」というプロセスが、必須なのだ。

その上で、それを正常に戻していく。
もちろん、自分好みのブレーキの効き具合や
サドルの高さ、それを、走らせながら決めていくのだ。

すると、自然に自転車が走ってくれる状態が出来上がる。
乗り手は、行き先を浮かべるだけ。いや、足の向くまま漕ぐだけ。
自転車が連れて行ってくれる。
そんな、関係性が生まれる。
こんなに頼もしい、相棒はいないだろう。


さて、この話を、人生の話に代入しよう。

・自転車:潜在意識(普段は見えない、心の深い部分)
・乗り手:顕在意識(自覚されているワタシ)
・テクニック:意志=「◯◯すべき/したほうがいい」という思考 ※
 (※この文章では、「意志」という言葉を、少し特殊な意味で使っている)

と読み替えるのだ。

自転車に乗って、最高の旅を愉しむには、
まず、自転車の現状を知ること。
そのために、「テクニックを使うのをやめること」から始めるのがセオリーだ。

人生の話に翻訳するなら、「意志を捨てること」が、始発点になる。
「◯◯すべき/したほうがいい」という思考、判断を捨てる。
自分を律したり、マネジメントしたり、自分に言い聞かせたりすることを、やめる。

すると、自分の心(いつも、隠れて見えない、自分の素顔)が見えてくる。
それが、「現状の自分の本当の姿」である。

自分の心との対面は、
「心の中にある、価値観や思い込み、思考や思想」との対面を意味する。
それは、自分の中にコピーされた、たくさんの「常識」に、向かい合うということだ。

そこではじめて、その「考え方」や「常識」や「価値観」が
自分にとって望ましいのか、必用なのかを、判断をする機会を手にできるのだ。
そこから、その価値観とひとつひとつ対話し
自らを解放していくことを、選択できる。

その先に実現されるのは、
自分のイメージ(顕在意識)と、自分の心の中(潜在意識)のギャップがない状態である。
人馬一体ならぬ、人車一体。
だから、心のままに生きるコトが、そのまま「ワタシ」の最高の人生となる。
心を、律したり、コントロールしたりする必要はなくなってしまう。
辿り着く場所は、「意志」のない地平だ。
「為すこと無く、然るべく自ずとある」場所なのだ。
(・・・もちろん、この境地は、僕の目線の遥か先に広がっている)

さて、スタート地点は「意志」を捨てること。
恐れることはない。意志を捨てよう。乗りこなすテクニックを捨ててみよう。
自分を律し、自分に言い聞かせ、自分を駆動するのをやめてみよう。
(・・・と、自分に「言い聞かせる」んだけどさ・・・)

その代わりに、
自分を見つめてみよう。
自分の心の動き、身体、気分に触れてみよう。
自分の「したい」、「ありたい」を見つけてみよう。

・自分の心の状態を知ること。自分の心の中を見つめること。

ここからしか、僕らは始発できない。
そして、それに従ってみよう。
いきなり全部・・・でなくていい。
一つ、一つ、一つ、「あるべき」から「ありたい」に行動原理をシフトする。
その結果、目の前の現実に起きることを
しっかりと見つめよう。そこからチューンナップをしていけばいい。

自転車が走りたい場所に連れられて、
僕らは、何の苦労もなく、実現をする様になる。
それは自己実現=「ワタシ」の想像できる範囲の実現・・・ではない。
「ワタシ」の想像だにしない地平への、「超越」である。

ワタシの中にある、ワタシならざるものだけが、その地平にワタシを導いてくれる。