鏡の法則、その理解と利用のために 1 | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

現実とは、自分の内的世界(精神)の反影に過ぎない

このセンテンスは、「鏡の法則」として、有名になりました。
もちろん、この「法則」は、超自然的な現象でも、魔法でもなく、
人間の脳構造、精神構造を理解すれば、
極めて常識的、極めて当たり前のことだということも知られてきました。


※ 鏡の法則が成り立つ「仕組み」を詳しく知りたい場合は、
哲学の中で、特に「現象学」、もしくは「構造主義哲学」の「記号論」の基本を
学んでみると良いと思います。

「仕組み」はともかく、その意義や意味をより深く「理解したい」したい場合は、
東洋哲学だと思います。ヨーガ・スートラの基本部分とかが良いかもしれません。
僕が読んだ中では、インテグラル・ヨーガ (パタンジャリのヨーガ・スートラ) が分かりやすい。

もちろん、僕のセッションに来てもいいですよ~



さて、「鏡の法則」として知られる、この「知恵」ですが、
知っている →  実際の生活に使っていく
というところで、少しハードルがある気がします。

基本的な考え方は、
自分の目に映し出されたモノ、自分の意志、気分、気持ち・・・
なぜ自分はその現実を拾い上げたのか、その出来事が気になるのか・・・
というところから、自分の中へと踏み入っていくわけです。

例えば、「働かないで、遊んでいる人を見るとイラっとする!」という状況を、
・自分の中に、現状の仕事に対する不満足があり、それが、「相手への不満」へとコピーされた
と分析する。

では、なぜ、そんなことをするのか。
それは、「僕ら(自分 + 自分の周りの人)がよりスムースに生きていくため」です。

前回、カウンセラーにとって、クライアントは鏡だという話をしました。
「カウンセラーの中にある課題と、同じ課題を持ったクライアントさんだけが目の前に現れる」
「カウンセラーとクライアントがそれぞれ持っている課題のうち、
共通した課題を軸にして、人間関係が生まれるため、結果、必ず協力して課題に取り組むことになる」
と表現することもできるけど、ポイントは、

・カウンセリングとは、カウンセラーの心の中にあるテーマ(課題)を解決することで
 結果、クライアントのテーマを解決していくこと

という部分です。
ここを見失うと、カウンセリングはうまくいきません。
うまくいかないのは、「悪」ではないけど「苦労」というカタチで現れます。

ここを間違えてしまうと、色々、大変です。
その例として、ひとつ「動物保護活動家」を取り上げてみましょう。
(あくまで、空想上の・・・ということで、念のため)

彼らは、自分たちと異なる生命への保護のために、懸命に活動しています。
「人類と人類ではないモノ(=他者、自分と異なるモノ)の共生」を目指しているわけです。
僕は、彼らの活動に、心から賛意を持ちます。

しかし、時に、彼らは、
「自分の主張と異なる態度を持つ他者(例えば、捕鯨、毛皮・・・)を、絶対に認めない」
という態度に立つことがあります。
そして、相手に、徹底的な攻撃を加えようとします。徹底的な不寛容を貫きます。
「動物を保護しない人間なんて、人間ではない!」
見えてくるのは、

・「他者への愛と共生」を誰よりも願うはずの人間が、
 「他者の排斥と攻撃」を仕事にすることになる

という状況です。
この矛盾した状況は、なぜ生まれてしまうのでしょうか。

動物保護活動に人生を捧げている人たちは、
「自分の中にある他者(自分と異なる考え方を持つモノ)への差別や攻撃性」という
テーマ(課題)を持っていることがあります。
そのテーマに持っているが故に、それを最も学べる環境へと、
自ら歩を進めているんです。
(全く異なる観点から関わっている人たちも、もちろん無数にいます)

さて、自分の中にある「テーマ」は、本人からすると、
「未熟で恥ずかしい、見たくない自分」です。
そこから、目を離そうとしたとき、
「そのテーマを実現できていない他者」を召還します。

本ケースでは、
「他者(この場合は動物)に害なすモノ」
を目の前に連れてくるわけです。
そして、その人たちを攻撃する。
「他者(動物)を愛しなさい!!!」とね。

もうお分かりの様に、
それは、自分が見ないようにしている、本当の自分へのメッセージなんですね。
これを、自分に伝えるために、自分をそこに連れてきたんです。

この様な矛盾を、目の前に創り出すことになるのは、
自分の内的なテーマが、自分をその領域に駆り立てているということ
即ち、「目の前の状況は鏡に過ぎない」ということを
忘れた時だということです。

しかし、それは、けっして、悪くはないんです。
召還された側も、同じ課題を持っているわけなので、
それも、「与え合い」ではあるんです。
(ここら辺はまたいずれ詳しく)
故に、その様に生きる「意味」も「価値」もあります。

でも、それは、やっている本人も、周囲の他人も、辛い。
いつも、「自分の主張と反対のことをしている他者」に囲まれ続け、
それを攻撃、批判、反対をし続けなくてはならなくなります。
では、動物保護をしなくてよいのか!?!?
社会的な活動は、すべて、
「ホントの自分を見ないようにするために、
 虚像を追いかけていることに過ぎない」のか?

No No No、そんなことは言っていません。
自分が身を置いている環境とは、それがどんな環境であっても、
「そこに身を置くことで、より深く人間・セカイ・自分 を知り、
 本来の自分に戻っていくために、自分で自身に与えた機会だ」
ということを、理解する必要があるということです。
そこからスタートする時、攻撃性や排他性が生まれることはない。

本当に、動物保護を実現していくためには、本当に、貧困を撲滅していくためには、
本当に、社会をより良いモノへと変化させていくためには、
攻撃と批判ではなく、相手の立場を尊重し共生の妥協点を見つける、
粘り強い努力が必要になる。
それは、「自分が、全ての始発点である」という真摯な眼差しによってのみ、
実現されるということです。


さて、話を戻していきましょう。
・外側に目を向けている限り、外側のセカイ(状況)は、変わらない。
ここが、スタート地点です。
だから、状況を変える、状況をより良い場所にしていくためには、
自分の内側を探り、その原因を探し、解消していく必要があります。
その様な世界観で、現実と接していくということです。

その第一歩は、「目の前の現実を見る」ということ。
現実は、「鏡」・・なんですから、せっかくある鏡を使えば良い。
そして、鏡にうつっている「内的な要素」が何なのかを見つけ出していくわけです。
だから、
「目の前の現実に映っているのが、自分の中の、いかなる要素なのかを読み取る技術」
を学んでいくことが、ひとつの合理的な方法論だということです。

昨今、様々な場所で、その「方法論」を学ぶコトが出来る様になってきました。
たくさんの人が、その知を「使う方法」の師としての役割を担っています。
(それは、専門職だけでなく、組織の中での指導者として、上司として、先輩として・・・

そして、方法論自体もたくさん存在し、学べる場所も無数にあります。
ヨガ、座禅、武道、哲学・・・ヒーリングや、セラピー
そして、カウンセリングというのも、それを学べる場所です。

どこが自分に最適なんだろう・・どんな方法論が良いんだろう
それは、心配に及びません!
自分のテーマに即した学びの場、最適な場が、自分の前に現れるからです。
次回は、その話をしようと思います・・・(たぶん)

ではではまた次回♪