JUNJI NAITO PHOTOGRAPHS BLOG -4ページ目

【 南青山 Dee’s HALLにて写真展『THE HEARTS』開催! 】

12月1日〜6日 南青山 Dee’s HALLにて写真展『THE HEARTS』開催いたします。
 

今朝方午前3時半、写真プリントアウトがすべて終わりました。
11/19,20 浜田省吾横浜アリーナが終わり、仕事場に籠ること1週間、ヘロヘロな状態ですがたどり着きました。昨夜最後の差し替え分の4作品を仕上げた時はつかの間の至福を味わいました。

 

現在の世の中では、簡単に写真がネットで伝わっていきます。それはものすごいことです。

しかし同時に、ぜひ見て感じてほしい生のプリントがあります。

重厚な和紙に染み渡っていく画像の深さ・・・同じ絵面でも染み渡っていく感覚が違います。

今回の南青山『THE HEARTS』写真展は、浜田省吾アリーナツアー巡回展と同様、私がこれまで訪れてきたアフリカやアジア各国、そして東日本大震災の写真を展示します。巡回展25作品の規模を大きく超えた全69作品(108カット)を展示します。


私が撮影してきたのは単なる活動ドキュメンタリーではなく、そこに息づくあらゆる命に目が向けられているのだろうと思います。

 

国と国との利害関係や軋轢の中で、多くの命が時代に翻弄され内戦や不安定な政治の中で生きてきました。そして今も生きています。
その影響で医療が届かなかったり、織物が絶滅しかけたり、避難したり、難民になったり・・・それでもあらゆる命は生き続けている。歩み続けている。
311東日本大震災以降の私たち日本人も懸命に生き続けている。歩み続けている。

 

そんな命の灯りを捉えた写真展です。

 

私は今回12/1~6の全期間、在廊します。
ゆっくりとファインプリントの深さを味わって、遠慮なくお声掛けください。

 

今日はこれからテキスト部分の精査 (写真展なのでキャプションは少ないですよ。笑)
明日はマッティングした写真にサインを入れて額装仕上げ。
あさって11/30はギャラリーでの設営で世界を創ります。

12月1日、会場でお待ちしております。

 

(なお、今朝方Facebookに南青山『THE HEARTS』写真展のイベントページができました。
随時招待をお出しします。そして参加していただける方も、ご都合がつかない方も、また招待拡散していただいて大いに広げてください。
Facebookお使いになられてない方も、シェアやリツィートや記事を書いて大いに拡散してください。
ぜひ、多くの方に見て感じていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。)

 

フォトグラファー 内藤 順司  

 

マキマキ納品 ☆彡

今日、マキマキ納品して、ふとっ気づいたこと☆

ハタチからのプロ写真屋人生37年間のなかで、一度も撮影をキャンセルしたことがない。一度も〆切を守れなかったこともない。

それが 唯一のじまん ^_^

… ただ、撮影に遅れたことはある。
ひとつはユニコーンデビュー当時の渋谷。取材開始時間に寝てた。
でも撮影にはどうにか間に合った、申し訳ないことをした。

もうひとつは、アルフィー日本平野外ライブの下見。メンバーも記者会見&下見で撮影することになっていた。やはり寝てた。
でも撮影はできた…その写真は強烈に評価をいただいた。
帰途には、行きに爆走したせいでポンコツマイカーは何度も止まった。午後2時撮影終了後、都内に帰ったのは午前0時すぎ…それから朝まで懺悔の酒をあおった。編集長宅に泊まった…あの頃、あたしは若かった。申し訳ないと思っていない。
愛しのマイカーは、これで廃車になった。

その逆もある…長渕剛 神奈川県民ホール。一週間前に行ってしまった。いつものように楽屋口で「おはようございます」… 通過して楽屋廊下を通る。なんだか、空気がちがう⁈
そのまま表へ出てみる… 八代亜紀リサイタルだった。
そーと 帰った。
でも、なぜ ふつーに入れてくれたんだろ?
若い時から態度がでかかったらしい、心は頭を床に付けるほど低姿勢だったのに。
一週間後にちゃんと出直して撮影した。その時にイベンターバイトだったSが、のちにビックアーティストのマネージャーになり、すぐに仕事を依頼してきた。

面白い時代を駆け抜け、今も同じように駆け抜けられているのは極上の幸せだ。

これからも無遅刻を心がけ、無欠勤、〆切死守で人生を楽しみたい。

人は見かけによらないのだ ^_^

(写真は、1985年に3ヶ月 アメリカ放浪時のもの。あの頃、あたしは若かった)

手の記憶/自然との共生 写真展『いのちの樹』開催 多摩美術大学

6月25日(土)から7月7日(木)まで、多摩美術大学(八王子キャンパス)アートテークで、手の記憶/自然との共生 写真集『いのちの樹 The Tree of LIfe - IKTT森本喜久男 カンボジア伝統織物の世界』に連動した写真展を開催します(入場無料)。


会場では約80点の写真展示とIKTTの絣布をダイナミックに配置し、かなり大規模な展示になる予定です。同時にIKTTに関するいくつかの映像も紹介予定。

また、6月25日(土)16時からは、僭越ながら私のアーティストトークをいたします。

そのなかで5月初めに私が「伝統の森」でドローンを使って撮影した映像も、ご紹介いたします。


とうぞご期待ください。
皆さまぜひお越しください。


と き:6月25日(土)から7月7日(木)まで(11時~17時)/日曜休廊
ところ:多摩美術大学(八王子キャンパス) アートテークギャラリー2F

アクセス:JR横浜線・京王相模原線 橋本駅北口から神奈川中央交通バス「多摩美術大学行」で約8分。またはJR八王子駅南口から京王バスで約20分。
 橋本駅からのバスダイヤはこちら
 八王子駅からのバスダイヤはこちら

【関連イベント】
6月25日(土)16時 アーティストトーク/内藤順司(フォトグラファー)
6月28日(火)11時 ギャラリートーク1/川井由夏(多摩美術大学教授)
6月30日(木)11時 ギャラリートーク2/深津裕子(多摩美術大学准教授)












 

ラオスからの報告「生まれかわる」

昨日のラオス小森さんからの報告はほんとうに感激しました。

まだ興奮覚めやまぬ状態なので、3月の写真を少し公開します。
長い文章になっちゃいます、すいません。

まずは小森さんのラオス報告をぜひ読んでみてください >>  http://www.japanheart.org/laos/report/post-34.php

1枚目の写真は、まずパークグム病院(ビエンチャン市内より東へ約40km)でのワンシーン。彼も写真を撮られているのを知っています。私は目配せとアク ションで「撮ってもいいですか?」と尋ね、彼も目配せで「Yes」を送ってくれています。しかしまだ彼の表情は無表情です。しかし日を追うごとに手を動か したり目で挨拶を交わすようになりました。私も撮影したあとは必ず手を合わせお礼をしました。



2枚目の写真は、ヴィエンチャン市内にある小さなプライベートクリニックの2F・・・彼はベッドだけのこの部屋でほとんど手当てされることなく横たわっていました。小森さんの文章にもあるように現地のレスキューチームからの依頼で彼の初めて診察をした日です。
私と吉岡医師はミャンマー手術ミッションを終えタイ国境を越えてヴィエンチャンに着いたばかり・・・平山看護師から「診ていただきたい患者さんがいます」ということでプライベートクリニックの2Fにやってきました。






3、4枚目の写真は吉岡医師が患者を診ているシーンです。「骨髄損傷」で寝たきりになりひどい床ずれを起こし不衛生な環境も手伝って傷口はひどく膿んでて酷い 状態でした。患部をカラーでお見せするとあまりにショッキングなのでモノクロにします。ここが写真集では許可が下りればぜひ掲載したいシーンですがSNS では刺激が強すぎるので自制します。







5枚目の写真は、レスキューチームが手術ミッションのためにスタッフがいるパークグム病院へ搬送するため2Fの部屋から運び出しているシーンです。彼はずっと無表情でした。





6枚目の写真は、パークグム病院に着いてナース達が傷口を毎日丁寧に洗浄しているシーンです。ここに小森さんや短期ボランティアのナースさん、そして通訳もいます。





7枚目は、傷口が見えないのでカラーでお見せします。隣では手術を終えた患者が次々と運び込まれてきます。同時に彼女達はブンミーくんのケアをします。その時には他の患者さんに見えないように覆いをしてあげます。両端で持っているのはご両親です。





このパークグム病院手術ミッションのあと、私と吉岡医師は次の手術ミッション地のカンボジアへ移動しました。そしてJHラオススタッフはビエンチャン市内にある事務所兼住居に彼を搬送して昼夜を問わずひたすらにケアをしてきたのです。


それは執念に近い行為、そして美しい美しい愛情です。


日本の看護師にはそれがある。


だからこそ、今日の小森さんの報告がほんとうに嬉しかった。
彼が「生まれかわった」ことを知り、ほんとうに嬉しかった。


私が取り組んでいるジャパンハートの活動取材・・・公には吉岡医師の名前が通っているのだけど、その中心人物でまちがいないのだけど、年間800人ものド クター、ナースが無償で、しかも自腹で渡航して活動をしている。そのすべてのエネルギーは捉えることはできないけれど、その片鱗だけでも伝えられればと 思って取り組んでいます。


吉岡医師が講演でおっしゃっていたことがある。
「ドクターという仕事は職人なので東南アジアでも機器が揃っていき経験を積めば20年後、30年後には差がなくなります。だけどナースという仕事はそれか らが重要になってくる、職人知識だけでなく心が必要なんだ。それは日本の看護師の非常に優れたところだ。だから30年後にはナースが中心の支援になってい く」

そのことこそが写真集でお伝えしたいことなのです。


過酷な環境のなかでもラオスを始めミャンマー、カンボジア、活動各地ですばらしい献身的なケアが行われています。


彼らひとりひとりの心の行為こそが尊いのだと思うのです。


さきほど小森さんに「大統領よりも首相よりも都知事よりも、遥かにエライっ! *\(^o^)/*」とDMしておきました。


私には小森さんの文章は何度読み返しても泣けてくるのです。


そして今日もどこかの現場で吉岡医師が「そんなこと、やってちゃーダメだ ! 」と叱咤激励の荒声が私には聞こえてくるのです。


長いヘンテコな文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

森本さんのカンボジア帰国

森本さんが森に着かれたようです。


なんだか、涙です。


ほんとうにうれしいです。


いまDMをいただきました。


ご本人より先に報告かもしれませんが、みなさんにお伝えします。



… アニキがほんとうに森に還れてよかった。


(写真は2013年秋、カンボジアにて撮影)