水や火を出来るだけ無駄にしないように作る。

出来るだけゴミを増やすこと無く皮や種も調理する。

見た目にも少しだけ気を使い、会話を楽しんで食べる。

汚れは出来るだけ拭き取って、洗剤は使わないで洗う。

私の作って食べて片付ける。

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今日は朝ご飯みたいなお昼ご飯 ^^;

黒米入りご飯
玉ねぎ、にんじん、お麩のみそ汁
ゴーヤの白ごま和え
いんげんの黒ごま和え
お豆腐胡麻油風味
出し巻き玉子
牛深のきびなご味醂干し
小梅と紅花漬け
たぶんshionが小学校3年生か4年生の時。
学校の先生から平和憲法があるのは日本だけじゃないって聞いてきた。
コスタリカがお祭りみたいに選挙をやっていて、投票率も高いこと。
平和憲法があるだけでなく、その国では平和憲法が生きている。
そんな印象の、平和教育に国家予算の25%をかける国。
当時、本を読んだらそんなことが書かれていた。

小学生の心に大きなインパクトを与えたそのことをshionの文章が物語っている。

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この文章は「9をまく」に掲載されました。

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京都に仮住まいして8ヶ月。
東京の家の売却が決まった頃に、
ちょうど京都でも良い場所に中古の家を見つけた。
築7年の家から築年数不詳の家へ。
すでにすぐ住めるようにリフォーム済みだったけど、
床はフローリングに、床暖房も入れて、洗面室を作り、
洗濯機置き場はベランダへ移動し、
竹林に面した広めのテラスをサンルームとして居室へ変更。
お金無いので、最低限のリフォームだったけど、満足。

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懐かしい、すてきな写真は、小学校のカメラマンさんが撮ってくれた1枚。
6年生の時だったからか、2クラスしかなかったからか、
それにしてもこんな愛情ある目線の写真を撮ってくれるなんて、
感激だったな~。
そういう学校だった。
本当に小学校は親も楽しみ、学んだ6年間だった。
先生と親とみんなで子どもを見守りながら、
喜んだり、悩んだり、泣いたりしながら、親も育ててもらったんです。
幸せだったし、とても素晴らしい時間でした。

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カメラマンさんは6年生の時に変わったばかりだったけど、
和光の教育にとても共感されていました。
おそらく彼の人生も和光に出会ったことで、
これまでとは違う輝きが増したのではないでしょうか。

私はshionが6年生の時に、卒業アルバム委員だったので、
たくさんの写真の中から、写真を選び、アルバムを作るという
素晴らしい経験をさせていただきました。

カメラマンさんとも親しくなって、バレエの先生に紹介し、
バレエの発表会も彼が撮影されています。

そんなこともあり、バレエでも素敵な写真を撮っていただきました。


2012,11,20 2005年に祖師谷のとっても気に入ってた借家の取り壊しで、
追いつめられて買うことになった千歳台の家だった。
新築で、大きなバスタブと高い天井のリビング、
shionの通学に不安の無いバス通りのすぐそばで、
おかげで中高の6年間を無事に過ごさせてもらった家。

でも私はずっとここに住むような気がしていなくて、
そして2011,3,11大震災と原発事故。

shionの高校生活があと1年。
チャレンジするには大学進学のその時しかない。

運命の歯車は、私達の目を京都へと向けさせてくれた。
それは、自然な流れで、
そして50代になった私に冒険のチャンスを与えてくれた。

最初に家を見に来た家族が購入を決めてくれた。
住宅ローンを片付けて、借金をしないで買える中古住宅に巡り会えた。

ご先祖様、神様、仏様、そして何よりもお父さん、ありがとう。

がらんとした、明日は人手に渡る家で、寝袋で一晩一人で過ごした。

ありがとう。



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