長男の5年生、10歳から11歳になる頃を思い返そうとする現在。5〜6年前の事を振り返る。

 

今次男が6年生となり、こういう時期なんだ、自我が強くなり、いう事も聞かず自分の世界と友人との繋がりが優先で、どんどん新しい世界へ船出してみているのが見て取れる。重度の知的障害であった長男の世界観はシンプルで、痛みや不快感がなければ外への関心が向いたり、笑顔が戻る日々もあったが、不快感が強いとひたすら苦しんみをじっと耐えているだけで、泣いたり主張してくる事も無かった。。。その忍耐をこちらから観察して読み取って、不快をもたらす原因を少しでも取り除くよう努める繰り返し。。。どこまでわかってあげられていたのだろう。泣いて騒いでもいいんだよ。。そんな風に言ってみても、騒ぐ行動すら苦しみしかないようで、胸が痛んだ。

 

長男は11歳のころといえば、食べる量を最低限にコントロールして、学校では食後に足湯をしてもらいぽかぽか体を温めて、6時間以上尿が出ない場合や排便がない場合は、排便コントロールを一日2回行い、体の循環機能を外からゆるくサポートすることに親とヘルパーと訪問医と学校とで連携が強くなった時期。

 

調子よく食べていてもいつ体が炎症反応を起こして熱が40度近くにあがるかわからず、日々今日も無事過ごせますようにと祈るしかない現実で、私の精神状態が常に交感神経優位状態だったように思う。熱が40度近く上がったからといって、対処の方法も限られていて、家でできることもあったので、可能な限り家でやり過ごす日々。

胃にチューブを入れてガスを抜く、ソリタ水をゆっくり注入する、排便コントロール、アイスパックを使ったりゆったり心地よく眠りに落ちれるようひたすら見守る。このころは予防的に抗生剤もずっと内服していたので、耐性菌と共存していた。。院内では隔離されるのに、普通に外にかえされて普通に暮らしていた。

 

痩せ細った長男、よくなんで食べさせないのか的なことや、痛たましい姿を憐れまれるコメント、ああすればこうすればを投げかけてくださる人も山のようにいたけれど、心の中では、「1週間でいいから一緒に過ごして思うこと全部試してみて、よかったらまた教えて下さい」と思ったものだ。。。

 

こんな綱渡りな日々だったけれど学校行事に焦点を当てて体調管理に励み、たくさんの学校行事に参加させてもらい、たくさんの思い出を作れたことは、本当にありがたい。

校内宿泊で学校に先生とお泊まりし、花火を楽しめたり、区の音楽祭に連れて行ってもらいホールの大音響の中で音楽を体で浴びて、ニッコニコの笑顔を見れたり、音の出すバイブは強烈なポジティブパワーを受け取れるようで、免疫もぐんと上がったような気がした。

 

しかし、楽しみの後には落とし穴に落ちるようにしょっちゅう熱を出しては入院すれすれ、在宅で入院状態、そんな日々も多くて、まだしたの2人が小学校低学年、と生まれて2歳とかの時期で、私1人のオペレーションでは到底無理な状態でもあり、実父やヘルパー、レスパイト入院、色々と試していた。

熱が出てしまうと、私もピリピリ緊張感が高まるので、下の子達には心休まる状態ではなかったかもしれない。

毎日が戦争状態で、5年経った今から思うと家族にも辛い思いをたくさんさせて苦しかっただろうなと思う。

 

そうは言っても私はもともとお酒を楽しく飲めればその時は辛い思いから解放されるので、酒量も増えて、楽しく気分転換して過ごす術も覚えて実行していたようにも思うが、無理した気持ちをたくさん抱えて溜め込んでもいた。

それが人生と、今となってはその全ての日々が愛おしくて、もう2度と戻ってこない長男との生きるための日々がキラキラして思い返される。

 

ふと夜中に酔いが覚めて冷静に人生を考える。

この子にとっての生きる喜びとはなんなのか。

ハンディが多すぎて普通に食べて家で心地よく過ごすことすらままならない時が増えて。

家族での時間を大切に第一にする。

笑顔を無くすような選択はしたくない。命を引き止めることは親のエゴなのか、引き止めない事は罪悪なのか、いろんな方向にぐるぐる答えのない迷宮を彷徨う。

嚥下障害を克服して食べる喜びを奪いたくない。

後悔しない時間の過ごし方を常に選ぶ。もしいざと言うときに悔いのない選択ができるか自問自答が頭を巡る日々があった。家族や主治医とも話した。

精一杯生き抜く。その思いだけはとても強く思った。

 

5年生が思いのほかなんとか保ててやり過ごせ、いよいよ最終学年を迎えようとする。

高学年になってからは辛いことが多すぎて、本当にこのまま生きていけるのか、生命の根底がぐらぐら揺さぶられ、とはいえ現代医療では生かし続けることもできなくはない、、、しかしそこにこの子の喜びはあるのだろうか、生まれた頃からあらゆる山を超えてきて、表情がある笑顔の可愛い我が子になった故の苦難がまだ続く。。。