狂気の母が、最期に教えてくれた人生の大切なこと | 神城豊の「あなたが逆境を乗り越え幸せに成功する魔法の法則」

神城豊の「あなたが逆境を乗り越え幸せに成功する魔法の法則」

倒産・一家離散・離婚、難病で生死を彷徨うも奇跡の生還後、現在はハッピービジネスマンへと逆境人生から何度となく立上がり今のハッピーライフを掴んだ波乱万丈人生を歩んできた私、神城豊が、あなたに逆境を克服し幸せに成功する魔法のルールを伝授します。

87歳になる母が、7月末に永眠した。
母は、とても繊細で神経が細やかな人でした。

そういうと母の良い面を強調し過ぎで、正直
病的な神経質、、神経症だったと言っても良いでしょう。

何より、悲観主義で「心配事がないと心配」な性格。

そんな母は、二か月ほど前に、足の骨にヒビが入り
歩行が困難になった。

母は、僕の家から電車で20分程度の兄家族と同居していたが
足を骨折した日の朝、、兄嫁に頼まれ私が様子を見に行き

玄関を開けた途端、目に飛び込んできたのが
毛虫の様に這いずり回っている母の姿だ・・

私:「大丈夫か? 何をやってるんだ!」

母:「足腰が痛くて立てないんだけど、トイレに行きたいのよ!」

私:「とにかく、一旦ベッドに戻ろう・・」

母:「嫌だ、漏れちゃうから・・」


こんな押し問答の挙句に、母を抱え込むようにトイレに連れて行った。

その後、少し話をして救急車を呼び、母と一緒に同乗し
病院に、、

検査をすると

左の腰と足の大腿部の骨に複数のヒビが入っており、即入院・・

入院の手続きを済ませ、ベッドに入った母と一しきり話し、その日は
帰宅した。

脚と腰の間に3本の鉄の棒を入れる手術も成功し、リハビリも順調に
進み、入院後1週間後は、あと少しで退院出来るところまで回復した。


ところがである・・・


なんと、肺炎を併発してしまったのだ。

左肺が、立体レントゲンで診ると「真っ白」になっている。

何でも、元々肺炎の毛があったところに

ベッド生活での食事で、誤って水分や食事が肺に入ってしまったらしい。

肺というのは、完全無菌状態で、一方人の口の中はそれに比べると

雑菌の宝庫・・・

で、飲み込みが上手く出来なくなっていた母は

雑菌だらけの、水や食事を肺にたんまり送り込み

重度の肺炎に掛かってしまったわけだ。


そこからが、もう大変な騒ぎになった・・・

高齢者が、こうした状態で長い間入院生活を余儀なくされると

「せん妄」状態と言って、少し「頭がおかしくなる」

つまり「現実を直視出来ず、体中にチューブが付いていても、

『早く家に帰る』といって着替えだしたり

【みんなが私を虐める】とか被害妄想になったり・・

母の場合、健康な時から「神経症」と「被害妄想」が強かったので

この時の「狂気性」は半端じゃなかった・・・

例えば、おかしくなる前(せん妄状態になる、退院出来るかも・・の時)

に、安心するだろう、という病院の配慮と我々家族の希望もあり

母に携帯電話を持たせていたのが、間違いの元だった・・・


毎朝、私の出勤時の一番クソ忙しい時に

1分おきに、20回でも30回でも、電話をしてくるのだ・・・

最初は、「何かあったか!!」と思い

慌てて電話に出て

「かあさん、どうした、大丈夫かい?」

と話しかけるが

「苦しい、助けて!助けて!みんなが私をイジメル!!」

と絶叫・・

二回ほどかけ直すと、看護師に代わり

「おかあさんは、完全なせん妄状態で他の患者さんにも

迷惑なので、携帯には出ないで下さい。 めんどうは

こちらできちんと見ますので」

と、迷惑千万といった感じの声・・・

仕方なくその晩、会社帰りに母を見舞うと

文句のオンパレード

「私を縛り付けて、皆がイジメル。

トイレも行けない、数メートルのところも自由に動けないなんて

人間の尊厳がないし、扱いがあまりにも非人間的だ!」

と・・・

縛るといっても、この段階では、いわゆる身体拘束(ロープで体を文字通り

縛り付ける)のではなく、細い線が腰についていて、一定距離以上に離れると

ナース・コールが鳴るだけのもの・・
(テントウムシ、、と呼ばれている⇒線が離れる部分が可愛らしいてんとう虫だから・・)
しかも、勝手に動いてベッドから落下したり怪我をする恐れが

非常に高いために、家族の同意を取って止む無く病院が処置したもの・・

私が何とか

「かあさん、みんな母さんのためを思って一生懸命介護してくれてるんだよ、

誰も、かあさんを虐めようとしている人はいないよ。

お母さんが、一人で動いちゃうから、付けてるだけだよ。

動きたい時は、ナースコールを押して、一人で勝手にベッドから

離れようとしなければ、テントウムシを取ってもらうけど・・」

とか、説得を試みても、全く聞く耳持たず

「こんな自由の無いところ、刑務所と一緒だよ!

こんなんだったら、窓から飛び降りてやる!」

と鬼の形相で、私に食って掛かりそうになる・・

流石の私も、プッチン切れて

思わず「飛び降りれるなら、飛び降りて見ろ!我が儘ばっかり言ってんじゃない!!」

と叱りつけようと思ったが、グッと堪えた・・・

「気持ちは分かるし、物凄く大変なのも分かる。

でもね、良くなって家に帰って、普通の生活に戻る為には

少しだけでも我慢しないと良くならないよ」

と、母の大変さに共感しつつ、近い将来の希望(家に帰り普通の生活に戻ること)

を具体的に説明し、何とか、狂喜乱舞している母をなだめた。




1. 死は誰にでもやってくる。

問題は、死に際で「どういう死に方をするか」に

その人の一生の「生き方」が象徴される。

どんなに苦しくとも、痛くとも、 もうろくしても

周りに迷惑は極力かけず、静かに悠々と死んできたいものだ。

人生の最期「死に際」こそ、その人の一生が出てしまうものなのかもしれない。

これは、母の死に直面した私の偽らざる本音である。

ただ、一方で、母があの時言っていた言葉

「病院の扱いが酷すぎて、非人間だ、人間の尊厳を冒している。」

「何度言っても、私の言うことを誰も信じてくれない。」

との言葉は、どこかで、少し「本当だったのかもしれない・・・」

との悔いは残っている。

だが、それなら、あの時、私には何が出来たのだろうか・・・

母の言うことを真に受けて、病院に猛烈抗議すれば良かったのだろうか?

否、たとえ母の言っていたことが「客観的に真実だったと仮定しても」

猛抗議しても意味が無いばかりか、逆効果だったろう。

病院の主治医や、看護師長などナースの皆さんと何度も話したり

介護の様子を見ていたが、おそらく普通に対応されていた。

問題は、やはり現実を受け入れられず

じっとしていられずに「どんどん自分のペースで動いてしまう」母に

あったとしか思えない・・・

かくゆう私も15年前にアメリカで大病で倒れ、一週間の昏睡状態から

復活し、強力な抗生剤投与を中止し、リハビリ・センターに移った日の晩・・・

隣の孤独な米人ジジイが夜中に携帯で電話しまくるのに耐えかねて

大暴れした経験がある。

だから、母の気持ちも分からないでもない・・・

ただ、どんなに辛い状態でも「自分と周囲の状況」を冷静に見つめる

もう一人の自分を持っていることは「潔い厳厳粛な死を迎えるためにも」

極めて大切なことだろう。

高齢になり、足を骨折し、重症の肺炎になり

「もしかすると、このまま死んでしまうかもしれない」

と感じ,自分の意志に反してベッドに縛り付けられたら・・

冷静でいろ、という方が無理なのかもしれない。

ただ、最後の瞬間まで「死んでしまう」とは誰にも分からないので

やはり、自分を見失わず、周囲の迷惑も考えられる人間の強さを身に付けて

いきたいものだ・・・