僕は若い人たちと一緒にお酒を飲むのが好きなのですが、僕自身が「若者」と呼ばれたのはかなり過去のことで、どっちかというと「老害」に近い年代に差し掛かっているかもしれません。自分は老害にはならないと思い込みたいので、できるだけ若い人たちの目線で会話をしようとしているのですが、時々話がヒートアップして「おまえらガキには分からないんだよ!」「だまれ老害!」みたいなやり取りになる時もあります(汗)

 

と、まあ前置きはおいといて。

 

さっき某有名経済アナリストの仮想通貨に関する記事を見かけました。

某新聞の一部ですが、そのまま転記します。

※全文こちら

 

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それでは、なぜ仮想通貨に価格が付き、値上がりするのか。それは、仮想通貨を対象とした投機が行われているからだ。誰も、仮想通貨を使おうと思って買っているのではなく、値上がり益を得ようとして買っている。つまり、マネーゲームが行われているのだ。その意味で仮想通貨の本質は、「ギャンブル」だと言える。

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アホやろか、この人。。。

 

いや、2年前くらいの第何次かの仮想通貨ブームの時は、僕もなんとなく同じようなことを感じていました。

 

大手金融機関が仮想通貨をEFTに採用し、機関投資家が本格的に参入している現在において、仮にも専門家的立場にある人が何を言ってるんだろうか???ましてや、ブロックチェーンは社会インフラのバックボーンとして着々と多くのシステムに浸透してきている現在において、仮想通貨を単なるギャンブルとしてしか捉えられていないとは。。。

 

僕はこれまでのこのアナリストの意見には賛同することもあったし、ここまでアホとは考えたくない。

もしかしたら、この紙媒体での記事となる際に、このアナリストの意見が読者の水準にあわせて編集されている可能性もある、それだとすれば、もっと問題で。。。

 

紙媒体は急速にすたれてきていると思います。

ネットリテラシーがあるならもっと別の情報入手手段も多く、事象に対して多次元的な見方から自分なりのロジックを見出すことも可能だと思います。

 

なので批判を承知で言えば、今の紙媒体を喜んで読んでいる人は、メディアに模範的な回答を夢想する思考停止した人(≒老害)しかいないのではないでしょうか。(あ、そういや僕も雑誌購読してたわ(汗)、まあ例外ありってことで。。。)

 

そして、紙媒体はかろうじて販売部数を伸ばすため、老害に媚びる文章しか載せない。

紙媒体は、仮想通貨が何たるかを分かっていない老害、いやぼくもよく分かっていませんが、自分の理解の範疇を超えるものを理解しようともしない老害どもが、自分の優位性を担保する、つまり「仮想通貨なんてギャンブルだ」的な記事を見て気持ちよくなるだけのオナニーの小道具になっているのではないでしょうか。

 

まあ、どうせ滅びゆくメディアなのでどうでもいいといっちゃどうでもいいのですが、上記の経済アナリストは、たぶんまだそこそこの政治的発言力を持っている。もし、この人(というかこの人種の人々)が自分の過去の無駄な経験に基づく妄想で政治力を発揮してし、それに誘導される人々が多いのなら、まじで日本はやばいです。

 

関連して、ちょっと話が飛びますが、、、

 

誘導されやすい人が陥りがちなことがあります。

それは、「自分が理解できたこと = 正しいこと」と思ってしまうことです。

そして、それは「自分が分かるようにしゃべる人 = 正しい人」になっていきます。

 

・・・なんか、独裁者に似てませんか?

 

なので、僕は勘違い芸人がカリスマ性を見せつける着飾りで、もっともらしい単純なことをユーチューブでしゃべる、そこに誘導されて信者になっている人たちがいることも気持ちわるくてしょうがないのです。

 

また、ちょっと支離滅裂な文章になってきましたが、仮想通貨投資はもちろん、人生すべてにおいて、情報は努力して多チャンネルから集め、そこで得た知識を知性(=選択する力)をもって自分自身で判断していくことが重要だということを言いたかったのです。過去の経験のみで現在を自分勝手に妄想してはいけない、それを心がけていればもう若者たちに「老害」と呼ばれることはなくなる、と信じてます(^^;