(ながいまえがき)
国語の現代文もそうですけど、
不思議な科目だと思っていました。
私は地方の進学校(とジモトでは呼ばれている)出身です。
進学校とはいえ地方ですから、東大とかを目指すわけじゃないです。
(毎年1~2人「物好き」がいるくらいだったと思います。)
なのでそのほとんどは地元国公立を目指して学習します。
ひたすらセンター試験の勉強をして、
2次は苦手ですって人が大多数を占めるので
センター試験を念頭に話しています。英語の話。
みなさんひたすら、単語と文法を暗記するんです。
ほんとうにやってたのかは知らないけど
(ずいぶんな物言いだけど、知りようがありませんし)
前半の文法問題で稼いで「長文で時間足りない」というグチを
よく聞いていたような気がします。
私はあんまり自分から勉強の話しはしませんでした。
ところで私自身はというと、文法が壊滅的だったわりに、
センター試験の長文問題はめったに落としません。
ゼロから訳文をくみたてることはできなくても、
選択肢がいくつかあれば「あ、これね」と選び出すことができます。
ここでしたいのは自慢ではありません。
「なんで?」という問いです。
私は文法はおろか単語も(当時の同級生にくらべ)あまりできません。
単語と文法を覚えるのが英語の勉強(力をつける道筋という意味での勉強)
だとしたら、英文が読める道理がないんです。
「ま、いっか」と思ってました。読めるにこしたことないし。
そんななか以下の文章に出会います。
(↓読み返して意味がわかりにくかったので補足します)
「バカげた暗記主義がまかりとおるのは、その中で一定の成功者がうっかり出てしまうから」
という主張と、暗記主義のなかで「成功者」が出る理由を述べた文章です。
(暗記主義の中で)その成功者が成功者たるのは、決して「努力の成果」などではないと断じています。
人間の中には元来無秩序に見えるものの中から一定の秩序を見出そうというベクトルが本能的に備わっており、大量の情報に接したり繰り返し同種の経験をしたりすると、その本能のせいで、誰に教わるわけでもないのに自分の得た情報や経験から無意識に有用な法則を導き出し、それを十分にコントロールできるまでに無意識に訓練を積む者が決して多くはないが現れる(富田一彦、「試験勉強という名の知的冒険」、大和書房、2012)
抽象的な話に見えますが、これ書いてるの代ゼミの英語講師の方なので、
英語学習についての話です。
この方の主張をひらたく言えば、
「英語は数学といっしょで、体系立って実力を伸ばすことができる。
『ひたすらやればいつの間にかできてた』などというのはほとんどない。」
ということでしょうか。
読んで、「ああ、そういうこと」と納得がいきました。
私はたぶん「幸福な少数」だったんでしょう。
でも、それだからなおさら得心がいきません。
「私の友達になんてことしてくれんですか」という
見当違いな怒りのようなものが沸いてきます。
だって、単語覚えて文法暗記して、
英文読みまくればオーケーって言ってたんだよ?
それも口にだして。英語の先生諸氏。
しかし過ぎたことを言っても仕方がありません。
問題は「なんとなく」しかできない私が、
「きちんと」法則にもとづいて英語が読めるようになるためには、
どーしたらいいかということです。
というわけで前掲書の先生をたよることにしました!(ここから本文w)
富田の英文 です。
英語はこれを使って学習を進めます。
先に挙げた「試験勉強という名の知的冒険」も
(続編もあります)
これ(富田の英文読解100の原則)も、
どちらも人を食ったような文章ですが、読み物としても大変おもしろいです。
(3/27学習記録)
・出口の現代文講義の実況中継
・富田の英文解釈100の原則
・初めから始める数学IA part
ひとやすみしたら物理と、就寝前の英単語。
「日記」の文章量じゃないなこれ・・。反省中I