二人目治療と子育てのブログ(37歳からの不妊治療で一人目出産できました)

二人目治療と子育てのブログ(37歳からの不妊治療で一人目出産できました)

37歳から不妊治療開始。7回の人工授精、5回の体外受精を経て40歳で第一子出産しました。現在二人目を目指して不妊治療再開中。

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タイトルの通り、二人目諦めました。

・・・というか保活に負けました笑い泣き

 

現在の小規模保育園は2歳児クラスまでなので、来年度から新しい保育園に入りなおさなくてはいけません。この保活が思った以上に苦戦しています汗

 

現在、療育に通っている娘。まだ診断はつけていませんが、発達障害児としてみなされます。発達の遅れのある子供を持つ場合、認可保育園の生活ができるか親子体験したり、面接をしなくてはいけなくなるそうです(加配を付けるかどうかの判断をするのだと思います)

 

認可保育園に入るための点数は十分なので、発達の遅れが原因でどこにも入れないという事はなさそうですが、希望の園に入れる可能性は不明で、入るためにも色々と苦労しそうです。

 

そうしてやっと保育園に入ったとしても、もし私が妊娠したら育児休暇制度のないパート従業員なので、出産後4ケ月以内に職場復帰しなくては保育園が強制退園になってしまいます。

保育園激戦区の居住区。0歳児(しかも3~4ヶ月)を預かってくれる保育園など見つかるはずもなく、どう考えても強制退園です・・・滝汗

 

最悪、私が仕事を辞めて4歳から幼稚園に通おうか・・・という選択も考えましたが、発達の遅れのある娘をすんなり入れてくれる幼稚園がそもそもあるのかどうか・・・汗だったら、今の保活でしっかりと面談をしてもらい、加配があるにしてもないにしても、決まった保育園で就学前まで続けて通った方が娘のためにはなるのでは・・・と考えるようになりました。(そもそも夫の収入だけでは厳しい)

 

また、保活以外にも色々と心配事があります。

私の体力面、二人目が出来た場合の二人分の学費。

高齢出産に伴う母子のリスク。二人目が何らかの重い障害を持って生まれた場合、夫婦でその子を育てられるのか。娘に負担をかけてしまうのではないか。などなど。

 

そんな不安を上回ってでも兄弟姉妹が欲しいと思っていたのですが、何度も保育園を変わることはどう考えても娘のためになるとは思えず、夫とも相談し諦めることにしました。

 

たまたま、悩んでいる間に後輩が亡くなったと立て続けに連絡が来ました。

 

二人とも35歳くらい。まだまだ若い年齢です。

一人はスキルス胃癌でした。

もう一人は3歳の息子さんを残して。乳癌でした。

辛かっただろうし、子供を残して亡くなることはさぞかし悔しかったと思います。

 

それを思えば健康であること、一人でも子供を授かれたことはなんと幸せなのかと思いました。

 

まずは娘の成長を一番に考えることにします。

 

やり切った感じのない不妊治療の最後で、決めた後もまだどうにかできるのではとモヤモヤしていましたが、採卵のために休みを取っていた日も仕事を入れ、今はスッキリしました。

 

不妊治療を頑張った自分にどこかでご褒美をあげようと思いますニコニコ

 

不妊治療のために仕事を辞め、保育園のために二人目をあきらめました。子供が出来ない夫婦にとっては厳しい世の中ですね。

 

 

 

D2

 
久しぶりに不妊治療の話です。
保活勤務もそろそろ終わりに近づき、最後の治療を開始するためうすだレディースクリニックに行って来ました。
 
娘は延長保育をお願いしてうすだへ。
月曜日なので、混んでいたら保育園のお迎え時間ギリギリになるかと心配していましたが、かなり空いていましたニコニコ
 
すぐに診察室へ呼ばれてスケジュールの確認。
カウフマンから始めるのは予想通りでしたが、いつもより早めに内服しはじめて、長めに飲むことに。
D4からプレマリン2錠を18日間、その後プラノバールを18日間です。
 
私の中ではこれで治療を終わりにすると決めていたので、先生に採卵できても出来なくてもこれで治療をやめると言うことを伝えました。
 
来年の1月で43歳になり、助成金も今回で終了です。幸いにも第一子を体外受精で授かり、この辺りが潮時だと夫婦で出した結論でした。後悔は全くなく、むしろ治療を継続するかどうか悩んだくらいです。
 
理由はやっぱり娘の事。
 
成長が遅れているのも気になるし、運良く妊娠したら来年度やっと入る新しい保育園もまたやめなくてはいけません。産休育休の間は預かってくれますがそれ以外は退所扱いです。そもそもパートなので育休がないため、産後すぐに復職するにしても0歳児を預ける所がすぐに見つかるとは思えず、同じ保育園の復帰はほぼ無理です(だから日本は少子化になるんですよねムキー)。環境の変化に慣れるのが難しい娘のことを考えると出来れば妊娠しない方が良いのでは・・・と考えた時期もありました。
 
それでも兄弟姉妹がいた方が良いのではと思い治療をすることにしたのに、「最後の治療にします」と先生に言った瞬間、不思議と涙が込み上げるような感じがしました(泣きはしなかったけど…笑)
最近診察してくれる気の良さそうな先生は残念そうに「そうですか・・・」と言っていました。
 
待合室に戻り、あの感情はなんだったんだろうなと考えました。
 
二人目が出来ない辛さ?悲しさ?もっとやれるのではという後悔?
 
なんとなくどれもしっくり来ない。
一番合う言葉は「無力感」かと思います。
 
不妊治療は努力して成果が出るものではありません。頑張っても実を結ばないのであれば、どこかで区切りをつけなくてはいけない。今回、自分のなかで区切りをつけ、それを伝えたことで、努力が実を結ばない事を実感し無力感を感じたのかもしれません。
 
まだ結果が決まったわけではないですが(笑)
一人目を治療していたときの黒い感情がよみがえった感じがしました。
 
一人目の治療ですでに娘を授かった事だけでも感謝すべきなのに、欲深い話ですねショボーン
 
でも、この治療を終えたら辛かった長い不妊治療からやっと解放です。
辛いのは身体的な痛みではなく、当たり前に得られるはずの幸せが私には得られないという無力感。しかし、娘を見るとその無力感は緩和され、一人目の治療よりフランクな気持ちで臨めているな~と実感します。
 
最後は採卵すら出来ないかもしれないし、奇跡的に複数個の卵が採れるかもしれない。その卵が無事に受精し、妊娠出産するかもしれません。
 
どんな最後を迎えようと、治療が終わったら自分を誉めてあげたいです。
 
その時はお疲れ様会しよう~ラブラブ
絶対に旦那抜きで(笑)
 
娘は可愛がるけど不妊治療には全く興味のない旦那。
首を締めたくなりますムキー
 
 
 
 
 
 
 
 

ET22

 
前回の陽性後、何日間かフライング検査をしましたがみるみる反応は薄くなり、再判定日前に検査もやめてしまいました。
 
ET20のクリアブルーはかなり薄い色だったので、すでにhcgはほとんど出ていないのではと思って受診。
 
以外にも内診からで、「胎のうなんて見えないのに~」と心の中で思いながら診察汗先生は一生懸命胎のうを探していて、微妙な黒いものを3.2mmと測定していました(多分胎嚢ではない)。
 
その後の採血結果はhcg17.3・・・滝汗 ひ、低い(笑)
先生も、残念ながら流産ですねと。
 
生理が来たらカウフマンから始めましょうと言われましたが、とりあえず10月までは保活勤務のために週5で働かないといけないので、しばらく治療はお休みです。
 
今のところ、ここでやめても良いかな...という気持ちが3割。あと1回は助成金対象なので、ラスト1回を頑張りたいな、というのが残り7割の気持ちです。
 
娘に弟か妹を作ってあげたいけど、また採卵・移植から始めると出産時(下手すると妊娠時)には43歳になり、二人育児の体力がもつのか、子育てするためのお金は大丈夫かなど、悩み事は尽きませんあせる
 
でもチャンスがあるのであれば、最後の1回に賭けたいかな~
 
キネマでは4回の移植ではかすりもせず、初めてAHAした5回目の移植で妊娠に至りました。今回のうすだでは、年齢が上がったのにもかかわらず、2回目で着床。うすだは原則AHAをするので、私の不妊の原因は高齢により卵子の膜が硬くなり、受精してもハッチングできない事によるものではないのかと。
 
そう考えると、3回目にチャレンジしたい気持ちがまだあります。
 
ダメだったらすぐに採卵しようと思い6月前半の勤務を開けていましたが、化学流産で採卵の予定はなくなったため、実家に帰省しようと思います。
 
地元の那須どうぶつ王国の無料チケットがあるらしいので、娘を連れて行ってこよう音譜アウトレットで娘の夏服もたくさん買ってきますグッド!