明日まで物件に行けないので
自分の生い立ちを少し
今でこそ地方で、嫁ぎ先の持ってた土地に
ローンで建てた大手ハウスメーカーの家に住まわせてもらっていますが(義父母と同居ではありません)
元々わたしは
中古戸建投資家の皆さんが「ボロ物件」と呼ぶ古い借家で育ちました
わたしが中学2年生のとき両親が離婚し
以来、母が美容師の仕事をしながら女手ひとつでわたしたち三姉妹を育ててくれました
事業に失敗した実父から
養育費の支払いなどもちろんなく
それでも母は
わたしを芸術系の短期大学
末の妹を専門学校に通わせてくれました
(わたしとは年子の次女が高卒で就職する道を選んだのは、わたしの進学のための経済的な事情です
辛抱させてごめんね)
両親が離婚してから一時期住んでいた公団を出て、新たに住む借家を探すため不動産屋さん巡りをしたときのことも薄っすらと覚えています
家は古い借家でしたが
いつも綺麗に掃除して清潔にしている母でした
(もっとちゃんと家の手伝いをしなかったあの頃の自分を叱ってやりたい
)
一日中立ち仕事で、帰ってからは夕食の支度(家族全員で作るのが日課でした)、朝はお弁当のおかず作り(お弁当箱に詰めるのは各自の役割)
この頃の母を思い出すと
涙が出てしまいます
母と同じことを、自分だったら子どもにしてやれるだろうか
うちの母は、厳しかったと思います
まだまだ離婚が珍しかった頃
「あの家は片親だから」と周りに後ろ指さされないように厳しく接したんだと今では思います
高校生になって友達の家に遊びに行くようになり「よその家はお母さんと友達みたいに話すのに、なんでうちはこんなに厳しいんだろう??
」と息苦しく思ってしまい
母のことは尊敬しながらも
短大を卒業し就職してすぐに実家を出て、恩返しの親孝行をする間もなく、今の夫と一緒に暮らす道を選んでしまいました
夫は長男で
商売を継ぐという名目で、地方で自営業を営む義両親と同居をすることになりました
義母は悪い人ではありませんが
農家育ちだったためか「嫁は下から貰う」的な考えがたまに言動に見え隠れする人でした
地方の広々とした家に見慣れている人からすると、都会(というほどでもありません
)のボロ借家住まいというのは馬鹿にされました
義母も、商売や子どもを亡くしたことで苦労した人でしたが、実家や母を馬鹿にされるのはすごく悔しくて腹立たしくて傷つきました
その頃、わたしは母に家を買ってあげたい一心でヘソクリ貯金を始めました。
宝くじを買ったり
その宝くじが当たるように、自転車の前かごに乗れるようになった息子を連れてお地蔵さんに願掛けに行ったり
そうこうするうち
さすが芯の強いうちの母親
中古物件ではありますが
最寄りの駅徒歩3分の立地の戸建を自力で購入したではありませんか

こうして使われなかったヘソクリ貯金が
若さと無知から来る失敗で減ったり
またコツコツ増えたりし
そして色々あって
今回の物件購入となりました
人生 山あり谷あり
今がちょうど 谷
わたしも自力で登って行かなくては
きょうの小さな大家さん でした