- 前ページ
- 次ページ
今月も定例会をしてきました。
いつものコースです。
本立ち読みして、カラオケ行って、全力で踊って、酒!
初めて本立ち読みしながら、泣いた( ; ; )裏で何があったのか、なんて本人達しか知らないことばかりで、きっと私たちが思っている以上の苦しみや葛藤の中に居たんだろうな、なんて思います(一万字)。
カラオケは、PVでトラジャ観れたことがとても嬉しかったよ~!!『YOLO moment』は、なんだかHigh school musicalを彷彿とさせるような音楽で踊りたくなるね~!!
切ない『交差点』も好きです~。トラジャのダンスは、ジャンプの高さも空中の姿勢も全て一致するほどの一体感です、これぞ努力の賜物!!
kinki kidsの『恋涙』を歌っているのを聞きながらちょっと泣きそうになったな~。「私が勝っても恨みっこなしよ?」って健気で儚いね。(是非聴いて欲しい)
少年隊の『actshow』『Be COOL』歌いたいのに入ってなかったなぁ( ; ; )残念だ( ; ; )
和民にて、安かったハイボールで乾杯!
(1ヶ月のお疲れ様 と 1ヶ月頑張ろう 、次の現場が決まりますように の意味を込めて)
お好み焼き食べたいな~って思ってたので、大阪焼きも食べました~!やったね!
\お好み焼き焼けば仲良うなる♪/
食べながらも、現場事情の話とかグループ編成問題について話したり~。畑違いだけど思うことは同じだなぁ、と( ; ; )何としても食い止めたい限りです。
帰りの電車の中で、この定例会がもう少しで1年経つねっていう話をしました。
小学生以来の何年ぶりかの再会で、とても緊張してたけど、今では旅行も行く仲だしなんだか嬉しいなあ。
素敵な繋がり大事にしたいです~!
また次の定例会で会いましょう><
気がつけば5月の中旬です。就職活動、卒業論文、やらなくてはいけないことがたくさんある5月、GW感覚を引きずり、絶賛中だるみ中です。
そんな中で、最近は映画漬けの日々を送っています。映画館に足を運んだ作品やレンタルした作品など、ちょっとしたメモに残しておきたいと思います。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150527/03/subabun220/80/b7/j/o0272018113319149409.jpg?caw=800)
『おんなのこきらい』
主演:森川葵 監督:加藤綾佳
森川葵ちゃん見たさに、お友達と鑑賞してきました。森川葵ちゃん演ずるキリコが抱える「女の子は可愛いことに価値がある」「可愛いコト・モノが絶対」という「可愛い」の概念について考えていきたいと思います。
「チョコレート、アイス、マカロン、ケーキ…かわいいものみんな溶けて私の一部になればいい」(冒頭のシーン)
キリコにとって、可愛い自分を構成する要素でさえ、可愛いものでないといけない、というこだわりを強く感じた一言です。
そんな彼女にとっての「可愛いの価値観」とは、
「可愛い、可愛い、可愛い…。女の子はそれだけで生きていけるのです。生きる価値があるのです。」
キリコにはとっても大好きな人がいます。バーの店長をしているユウト。彼の部屋に帰り(半同棲)、体の関係もある二人ですが、どことなくお互いが好きで好きで付き合っている、というわけではないような気もします。
そんな時、バーには新人さやか(のちに様々な人と体の関係があるということが判明する)が入り、ユウトと良い雰囲気に。キリコにとっては目障りな彼女。ある日、キリコはさやかと彼が体の関係を持ってしまったことを知り、お店へ乗り込みにいきます。
「私の方がずっとずっと好きだし、私の方がずっとずっと可愛いもん!」
キリコにとっては「可愛い」が全てにおいて優先されることが分かるシーンです。(なお、自分が一番可愛いという気持ちの表れもあります)
「そういうところが嫌なんだよ」
とユウトに振られてから彼女の絶対的概念「可愛い」が薄れていきます。
そんな時に手を差し伸べてくれたのが、デザイナーの幸太。
◎幸太との関わり、出会い、流れ
かつての仕事で、デザイナーとしてのこだわりや伝統に趣を置く幸太に対して、キリコは自分の「可愛い」という価値観を否定されてしまう出来事がありました。(キリコのデザイン案に首を縦には振らず、それに対しキリコは自分の可愛いデザインを押し付けたため)
「男に媚びている女」
だと幸太は言います。私は、この映画を観ていくにあたって、幸太は一番女性の感覚を兼ね備えている、唯一女性の味方のような存在なのではないかと思いました。(キリコは女性から嫌われるタイプなので)
しかし、同じ専門学校に通っていた(幸太は彼女を知っていたため)というひょんなとこから仲良くなっていく二人。キリコはどんなに自分の「素」を魅せても優しい幸太に心を開いていきます。
話はユウトとの別れに戻ります。
◎「可愛い」が薄れる姿
キリコは彼に振られてから、「可愛い」姿である自分を見失い、その執着心は薄れていくように感じられました。
かつてのキリコの姿として、誰よりも朝早くに出勤し、ゴミを運び分別している姿が挙げられます。これは、「誰にもゴミを運んでいる様子を見られなくないから。」そんな姿は「可愛くない」というキリコの信念の強さです。
しかし、キリコは髪もボサボサ、鏡も見ずに部屋着で公園のベンチで眠ってしまう始末。そんな時に、キリコは長かった髪を自らハサミで切り落としてしまいます。彼女の中の概念が変わっていく瞬間です。
手を差し伸べた幸太は(髪を切ってもこの姿を見せても)「可愛いよ」と今のキリコにとってまた魔法のようなの言葉であやします。
そんな中で
「私は幸せになる」
というキリコの強い言葉。キリコにとって幸太は特別な存在になります。
しかし幸太には付き合っている彼女がいるということを知ったキリコ。幸太の彼女は、キリコとは全く雰囲気の違う大人な女性。
「私のこと、好きになってよ」
「ごめん」
「可愛いなんて言わないでよ」
キリコにとって幸太の「可愛いよ」は全てだったように感じます。彼が可愛いと感じるものを自分の「可愛い」に設定変更して、また彼女は「可愛い」という概念に縛られていたのかもしれない。
再度掲げる。
「可愛い、可愛い、可愛い…。女の子はそれだけで生きていけるのです。生きる価値があるのです。」
この作品は、女性の心の奥底に潜む「可愛い」という概念を、考えさせられる物語である。
こうして私も自身の心の中に潜む醜さを見つけたのだ。
◎『かわいいだけじゃダメみたい』(ふぇのたす)
http://www.youtube.com/watch?v=X82hZurzmEY&sns=tw
そんな中で、最近は映画漬けの日々を送っています。映画館に足を運んだ作品やレンタルした作品など、ちょっとしたメモに残しておきたいと思います。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150527/03/subabun220/80/b7/j/o0272018113319149409.jpg?caw=800)
『おんなのこきらい』
主演:森川葵 監督:加藤綾佳
森川葵ちゃん見たさに、お友達と鑑賞してきました。森川葵ちゃん演ずるキリコが抱える「女の子は可愛いことに価値がある」「可愛いコト・モノが絶対」という「可愛い」の概念について考えていきたいと思います。
「チョコレート、アイス、マカロン、ケーキ…かわいいものみんな溶けて私の一部になればいい」(冒頭のシーン)
キリコにとって、可愛い自分を構成する要素でさえ、可愛いものでないといけない、というこだわりを強く感じた一言です。
そんな彼女にとっての「可愛いの価値観」とは、
「可愛い、可愛い、可愛い…。女の子はそれだけで生きていけるのです。生きる価値があるのです。」
キリコにはとっても大好きな人がいます。バーの店長をしているユウト。彼の部屋に帰り(半同棲)、体の関係もある二人ですが、どことなくお互いが好きで好きで付き合っている、というわけではないような気もします。
そんな時、バーには新人さやか(のちに様々な人と体の関係があるということが判明する)が入り、ユウトと良い雰囲気に。キリコにとっては目障りな彼女。ある日、キリコはさやかと彼が体の関係を持ってしまったことを知り、お店へ乗り込みにいきます。
「私の方がずっとずっと好きだし、私の方がずっとずっと可愛いもん!」
キリコにとっては「可愛い」が全てにおいて優先されることが分かるシーンです。(なお、自分が一番可愛いという気持ちの表れもあります)
「そういうところが嫌なんだよ」
とユウトに振られてから彼女の絶対的概念「可愛い」が薄れていきます。
そんな時に手を差し伸べてくれたのが、デザイナーの幸太。
◎幸太との関わり、出会い、流れ
かつての仕事で、デザイナーとしてのこだわりや伝統に趣を置く幸太に対して、キリコは自分の「可愛い」という価値観を否定されてしまう出来事がありました。(キリコのデザイン案に首を縦には振らず、それに対しキリコは自分の可愛いデザインを押し付けたため)
「男に媚びている女」
だと幸太は言います。私は、この映画を観ていくにあたって、幸太は一番女性の感覚を兼ね備えている、唯一女性の味方のような存在なのではないかと思いました。(キリコは女性から嫌われるタイプなので)
しかし、同じ専門学校に通っていた(幸太は彼女を知っていたため)というひょんなとこから仲良くなっていく二人。キリコはどんなに自分の「素」を魅せても優しい幸太に心を開いていきます。
話はユウトとの別れに戻ります。
◎「可愛い」が薄れる姿
キリコは彼に振られてから、「可愛い」姿である自分を見失い、その執着心は薄れていくように感じられました。
かつてのキリコの姿として、誰よりも朝早くに出勤し、ゴミを運び分別している姿が挙げられます。これは、「誰にもゴミを運んでいる様子を見られなくないから。」そんな姿は「可愛くない」というキリコの信念の強さです。
しかし、キリコは髪もボサボサ、鏡も見ずに部屋着で公園のベンチで眠ってしまう始末。そんな時に、キリコは長かった髪を自らハサミで切り落としてしまいます。彼女の中の概念が変わっていく瞬間です。
手を差し伸べた幸太は(髪を切ってもこの姿を見せても)「可愛いよ」と今のキリコにとってまた魔法のようなの言葉であやします。
そんな中で
「私は幸せになる」
というキリコの強い言葉。キリコにとって幸太は特別な存在になります。
しかし幸太には付き合っている彼女がいるということを知ったキリコ。幸太の彼女は、キリコとは全く雰囲気の違う大人な女性。
「私のこと、好きになってよ」
「ごめん」
「可愛いなんて言わないでよ」
キリコにとって幸太の「可愛いよ」は全てだったように感じます。彼が可愛いと感じるものを自分の「可愛い」に設定変更して、また彼女は「可愛い」という概念に縛られていたのかもしれない。
再度掲げる。
「可愛い、可愛い、可愛い…。女の子はそれだけで生きていけるのです。生きる価値があるのです。」
この作品は、女性の心の奥底に潜む「可愛い」という概念を、考えさせられる物語である。
こうして私も自身の心の中に潜む醜さを見つけたのだ。
◎『かわいいだけじゃダメみたい』(ふぇのたす)
http://www.youtube.com/watch?v=X82hZurzmEY&sns=tw
私は書店で、綿矢りさの本を手に取った時、必ず懐かしさを感じる。それは、一瞬にして21歳の自分ではない、小学生の自分がこの本を手に取ったような感覚、いわばタイムスリップしたような感覚に陥る。
綿矢りさの作品を初めて読んだのは小学6年生だった(あれからもう10年経つのだなぁ)。当時、芥川賞(2004)を受賞し、書店で大きく飾られていた記憶がある。マスコミメディアでも取り上げられていた。
『蹴りたい背中』
私はこの本を買った経緯を覚えていない。いつだって本を選ぶときは直感である(今でも)。
ただ、何年も経った今、タイトルも筆者も覚えている作品は数少ない。当時の自分にとって大きな衝撃だったのかもしれない(文学に触れたことなんてなかった)。
そして本論に戻るが、小学生の自分を思い出しながら手に取った本が『ひらいて』だったのだ。
そしてこう書いてあった。
【『蹴りたい背中』以来待望の女子高生小説】
私は既にレジへと並んでいた。この帯にあるたった17文字に誘惑されたのだ。このたった17文字で、かつて読んだ『蹴りたい背中』を思い出したのだ。そうだ、そういえば女子高生の話だった。女子高生となんともぱっとしない男子高生の話。(言うてどちらもぱっとしない二人だった)
読みたい読みたい読みたい読みたい
私の大好物な恋愛モノだ。
【もう一回やり直そうよ、ファーストキス】
読みたい読みたい読みたい読みたい
私の大好物な恋愛モノだ!!!!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150527/02/subabun220/58/b6/j/o0800060013319143364.jpg?caw=800)
私は読んだ。読んだ。読んだ。
「騙された!」
と思った。
「もう一回やり直そうよ、ファーストキス」この言葉は、私の想像を遥かに超えていた。こんなの聞いてない!!という展開が待ち受けていた。
『ひらいて』を読んで
この物語は、三人の人物によって話が進んでいく。
華やかでモテる女子高生、愛。
哀しい目をした地味男、たとえ。
問題を抱える美少女、美雪。
これは、ただの三角関係ではない。
◎~あらすじ~
華やかでモテる女子高生、愛が惹かれた相手は、哀しい目をした地味男子。自分だけが彼の魅力に気づいているはずだったのに、手紙をやりとりする女の子がいたなんて。思い通りにならない恋にもがく愛は予想外の行動に走る。
◎名前の話
あらすじにも、冒頭にも、彼の名前は出てこない。
「彼の名前をノートに書いて、上からシャーペンで黒く塗りつぶす。彼の下の名前はすごく変わっている。」
私はまず、愛のこの行動に共感をした。若干対象物は異なるが(私の場合はアイドル)、好きな人の名前を書いてしまうのは女子高生あるあるなのではないかな。そして、彼の名前に興味を持つことになる。
「ご両親はどうしてこの名前にしたんだろうね」
「知らない」
「本当?普通聞かない?自分の名前の由来とか」
「聞かない」
(この会話は、読み終わった後に読み返すととても残酷のように思えた。)
「でも、いい名前だよね」
「え?」
「意味ありげで、謎めいていて、でも響きが綺麗で。素敵な名前だなって、一年生の時から思ってた。でも、一年生の時はね、たとえば、のたとえだと思ってた。イグザンプルの方ね。でもこの前、西村くん、国語の授業で朗読したでしょ。そのなかに、違う用法のたとえが出てきて、もしかしたらこっちの意味なのかもしれないと思ったの。ほら、あの文章だよ、たとえ五千年の歴史が、どんな誤りを犯していても…忘れちゃった。えーと、ごめんね。変なこと言って」
「別に、変じゃない」
「え?」
「名前についてそんなに色々と考えてもらえたの初めてだ。なんでもない。ありがとう。それじゃ」
彼の名前は「たとえ」である。ちなみに言うと、このシーン、この20頁目にして私は「たとえ」に対するもっと知りたいという好奇心は最大値になった。(人見知りなのかな?恥ずかしいのかな?照れてる?どうしたの!?って心の中で叫んだ。)
そして私は、愛の感性は素晴らしいということに気付く。この物語を読んでいくほど愛の感性に興奮や恐怖、興味が芽生えていく。
また、たとえにとって禁断のワードが名前の話ではない(のかもしれない)ということが後々わかることとなるはずだ。
また後半に自分の名前をひどく傷つけるような愛の心情を、表す文章に出会うことにもなる。(124頁)
◎手紙とたとえ
ある日、たとえがロッカーの隅に隠れて手紙を必死に読んでいる姿を見てしまった愛は、その手紙が気になってしょうがない。ひょんなことから、愛は学校に忍び込み、たとえの机の奥底にある手紙を盗む。すると、差出人に「美雪」と、書かれてあることを知る。
◎美雪について
美少女が入学した、と騒がれた美雪は、友達がいない。入学してすぐ、インスリンの注射を自らみんなの前で打ったことが理由である。そして、たとえの彼女である。差出人も、同じく。
◎三角関係
私は騙された、と書いた。
「もう一回やり直そうよ、ファーストキス」この言葉は、愛が言われたわけでも、たとえが、言われたわけでもない。美雪が愛に言われるセリフだ。
愛は美雪に近づき、たとえと繋がろうとする。美雪からたとえとの関係を聞き出す中で、キスもセックスもしたことがない(5年ほど付き合っていることが判明する)という美雪に苛立ちを覚える(または嫉妬)。
「西村くんとキスしてないってことは、あれが美雪のファーストキスだったの」
「あれって愛ちゃんとしたの?ふふ、そうだね。あれが初めて。最高のキスだよ、危機を救ってくれた助けのキス」
「もう一回しようか」
ここで言っておきたいのは、最初のキスは助けのキスであること。糖尿病で血糖値が低くなり倒れた美雪を助けるためにジュースを口移しで飲ませたという経緯があることを付け足しておく。
すべては勢いでそういう関係になってしまう二人。(この後凄く面白いことになる)
何が言いたいかって、ものすごくドロドロな三角関係が始まったセリフであるということと、「もう一回やり直そうよ、ファーストキス」のセリフに対する期待をいろんな意味で裏切られたということだ。
◎たとえの言葉
「それが、木村の本当の笑顔か。まずしい笑顔だな。いつも君が完璧に作っている笑顔とはくらべものにならないくらい、まずしくてわびしい。瞳がぼんやりしすすけて、薄暗い。自分しか好きじゃない。なんでも自分の思い通りにしたいだけの人の笑顔だ。一度くらい、他人に向かって、俺に向かって、微笑みかけてみろよ」
極め付けは
「お前みたいな奴大嫌いなんだよ」
このセリフも、後に読み返すと頷ける部分が見られる。初めてたとえの怒りが表現されている。今までの愛の行動を、全て見透かしたような言葉たち。たとえにある、「なにか」と重ねて「お前みたいな奴」と表現している。
この作品のキーパーソンは愛でも、たとえでも、美雪でも、ない。たとえの父である、と私は感じている。
もし、この記事を見て、少しでも興味を持ってくれた人がいるならば、私は先を言わない方が良い。この先割愛。
◎ひらいて
「おまえも一緒に来い。どうにかして、連れて行ってやる」
「ありがとう。でも鶴をもう、折ってなくて」
「折れ」
私はもう泣くしかなかった。
かつて愛は、折ると祈るは似ていると。たとえのことを思っている時、考えている時はいつだって鶴を折っていたのではないか。
「ひらいて」
この物語には、この言葉なしでは終わることができない。
私は、人を好きになること、にとても不器用な人間だ。
とても悲しいことだと思う。
泣きながら読み終えた。
クラクラしながらも、恋がしたいと強く思った。(現実には目を向けたくないが)
愛のように、自分を好きになってもらう自信も欠け落ちている。
たとえのように、誰かを守りたいと思える強さや忍耐もあるとは言えない。
美雪のように、誰かのために生きる、他人を思う十分の一ほども自分を大切にしない人間にはなれない。
だから、私も、むこうみずの狂気を抱いて突き進みたい。
「ひらいて」
さぁ、私は誰にひらいていこうかな。
綿矢りさの作品を初めて読んだのは小学6年生だった(あれからもう10年経つのだなぁ)。当時、芥川賞(2004)を受賞し、書店で大きく飾られていた記憶がある。マスコミメディアでも取り上げられていた。
『蹴りたい背中』
私はこの本を買った経緯を覚えていない。いつだって本を選ぶときは直感である(今でも)。
ただ、何年も経った今、タイトルも筆者も覚えている作品は数少ない。当時の自分にとって大きな衝撃だったのかもしれない(文学に触れたことなんてなかった)。
そして本論に戻るが、小学生の自分を思い出しながら手に取った本が『ひらいて』だったのだ。
そしてこう書いてあった。
【『蹴りたい背中』以来待望の女子高生小説】
私は既にレジへと並んでいた。この帯にあるたった17文字に誘惑されたのだ。このたった17文字で、かつて読んだ『蹴りたい背中』を思い出したのだ。そうだ、そういえば女子高生の話だった。女子高生となんともぱっとしない男子高生の話。(言うてどちらもぱっとしない二人だった)
読みたい読みたい読みたい読みたい
私の大好物な恋愛モノだ。
【もう一回やり直そうよ、ファーストキス】
読みたい読みたい読みたい読みたい
私の大好物な恋愛モノだ!!!!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150527/02/subabun220/58/b6/j/o0800060013319143364.jpg?caw=800)
私は読んだ。読んだ。読んだ。
「騙された!」
と思った。
「もう一回やり直そうよ、ファーストキス」この言葉は、私の想像を遥かに超えていた。こんなの聞いてない!!という展開が待ち受けていた。
『ひらいて』を読んで
この物語は、三人の人物によって話が進んでいく。
華やかでモテる女子高生、愛。
哀しい目をした地味男、たとえ。
問題を抱える美少女、美雪。
これは、ただの三角関係ではない。
◎~あらすじ~
華やかでモテる女子高生、愛が惹かれた相手は、哀しい目をした地味男子。自分だけが彼の魅力に気づいているはずだったのに、手紙をやりとりする女の子がいたなんて。思い通りにならない恋にもがく愛は予想外の行動に走る。
◎名前の話
あらすじにも、冒頭にも、彼の名前は出てこない。
「彼の名前をノートに書いて、上からシャーペンで黒く塗りつぶす。彼の下の名前はすごく変わっている。」
私はまず、愛のこの行動に共感をした。若干対象物は異なるが(私の場合はアイドル)、好きな人の名前を書いてしまうのは女子高生あるあるなのではないかな。そして、彼の名前に興味を持つことになる。
「ご両親はどうしてこの名前にしたんだろうね」
「知らない」
「本当?普通聞かない?自分の名前の由来とか」
「聞かない」
(この会話は、読み終わった後に読み返すととても残酷のように思えた。)
「でも、いい名前だよね」
「え?」
「意味ありげで、謎めいていて、でも響きが綺麗で。素敵な名前だなって、一年生の時から思ってた。でも、一年生の時はね、たとえば、のたとえだと思ってた。イグザンプルの方ね。でもこの前、西村くん、国語の授業で朗読したでしょ。そのなかに、違う用法のたとえが出てきて、もしかしたらこっちの意味なのかもしれないと思ったの。ほら、あの文章だよ、たとえ五千年の歴史が、どんな誤りを犯していても…忘れちゃった。えーと、ごめんね。変なこと言って」
「別に、変じゃない」
「え?」
「名前についてそんなに色々と考えてもらえたの初めてだ。なんでもない。ありがとう。それじゃ」
彼の名前は「たとえ」である。ちなみに言うと、このシーン、この20頁目にして私は「たとえ」に対するもっと知りたいという好奇心は最大値になった。(人見知りなのかな?恥ずかしいのかな?照れてる?どうしたの!?って心の中で叫んだ。)
そして私は、愛の感性は素晴らしいということに気付く。この物語を読んでいくほど愛の感性に興奮や恐怖、興味が芽生えていく。
また、たとえにとって禁断のワードが名前の話ではない(のかもしれない)ということが後々わかることとなるはずだ。
また後半に自分の名前をひどく傷つけるような愛の心情を、表す文章に出会うことにもなる。(124頁)
◎手紙とたとえ
ある日、たとえがロッカーの隅に隠れて手紙を必死に読んでいる姿を見てしまった愛は、その手紙が気になってしょうがない。ひょんなことから、愛は学校に忍び込み、たとえの机の奥底にある手紙を盗む。すると、差出人に「美雪」と、書かれてあることを知る。
◎美雪について
美少女が入学した、と騒がれた美雪は、友達がいない。入学してすぐ、インスリンの注射を自らみんなの前で打ったことが理由である。そして、たとえの彼女である。差出人も、同じく。
◎三角関係
私は騙された、と書いた。
「もう一回やり直そうよ、ファーストキス」この言葉は、愛が言われたわけでも、たとえが、言われたわけでもない。美雪が愛に言われるセリフだ。
愛は美雪に近づき、たとえと繋がろうとする。美雪からたとえとの関係を聞き出す中で、キスもセックスもしたことがない(5年ほど付き合っていることが判明する)という美雪に苛立ちを覚える(または嫉妬)。
「西村くんとキスしてないってことは、あれが美雪のファーストキスだったの」
「あれって愛ちゃんとしたの?ふふ、そうだね。あれが初めて。最高のキスだよ、危機を救ってくれた助けのキス」
「もう一回しようか」
ここで言っておきたいのは、最初のキスは助けのキスであること。糖尿病で血糖値が低くなり倒れた美雪を助けるためにジュースを口移しで飲ませたという経緯があることを付け足しておく。
すべては勢いでそういう関係になってしまう二人。(この後凄く面白いことになる)
何が言いたいかって、ものすごくドロドロな三角関係が始まったセリフであるということと、「もう一回やり直そうよ、ファーストキス」のセリフに対する期待をいろんな意味で裏切られたということだ。
◎たとえの言葉
「それが、木村の本当の笑顔か。まずしい笑顔だな。いつも君が完璧に作っている笑顔とはくらべものにならないくらい、まずしくてわびしい。瞳がぼんやりしすすけて、薄暗い。自分しか好きじゃない。なんでも自分の思い通りにしたいだけの人の笑顔だ。一度くらい、他人に向かって、俺に向かって、微笑みかけてみろよ」
極め付けは
「お前みたいな奴大嫌いなんだよ」
このセリフも、後に読み返すと頷ける部分が見られる。初めてたとえの怒りが表現されている。今までの愛の行動を、全て見透かしたような言葉たち。たとえにある、「なにか」と重ねて「お前みたいな奴」と表現している。
この作品のキーパーソンは愛でも、たとえでも、美雪でも、ない。たとえの父である、と私は感じている。
もし、この記事を見て、少しでも興味を持ってくれた人がいるならば、私は先を言わない方が良い。この先割愛。
◎ひらいて
「おまえも一緒に来い。どうにかして、連れて行ってやる」
「ありがとう。でも鶴をもう、折ってなくて」
「折れ」
私はもう泣くしかなかった。
かつて愛は、折ると祈るは似ていると。たとえのことを思っている時、考えている時はいつだって鶴を折っていたのではないか。
「ひらいて」
この物語には、この言葉なしでは終わることができない。
私は、人を好きになること、にとても不器用な人間だ。
とても悲しいことだと思う。
泣きながら読み終えた。
クラクラしながらも、恋がしたいと強く思った。(現実には目を向けたくないが)
愛のように、自分を好きになってもらう自信も欠け落ちている。
たとえのように、誰かを守りたいと思える強さや忍耐もあるとは言えない。
美雪のように、誰かのために生きる、他人を思う十分の一ほども自分を大切にしない人間にはなれない。
だから、私も、むこうみずの狂気を抱いて突き進みたい。
「ひらいて」
さぁ、私は誰にひらいていこうかな。
2015年 ただ今 21歳。
「JUKE BOX (2014)」 の自分で書いた記事、とても感慨深い。
約1年ぶりに更新です。
2015年4月21日1時51分 現在 安定の山川くんとのスカイプを楽しんでいます。
数分前のことなのに、何故こんなことになったか思いだせないけれど、
中高時代のホームページや、アメブロ、クルーズ、前略などなどを
ひたすら見つけ出す、という作業をしています。
「若い!!」 「恥ずかしい!」なんて言葉を発しているけど、
全部過去の自分だと思えば、少しは寛容な気持ちになる…。(恥ずかしさは消えないけれど)
これから活用していきたいと思ってます☆
あけましておめでとう。
また年明けちゃったから。
1月です。
久しぶり1月。
大阪にいってきた。
関ジャニ∞LIVE TOUR JUKE BOX
へようこそ
すばるくんの叫びから始まったツアー。すばるくんに会うために。