統合失調症 寛解のために 急性症状を脱するための心得
寛解(かんかい)とは、基本的に完治することのない精神疾患において、それでも平穏な社会生活を営むことができるくらいにはこころを保つことが出来るようになった状態のことです。統合失調症はスピリチュアル的な要素も加わり、なかなか幻覚、幻聴、というものを克服するというか、見えても聞こえても実社会と離れない判断ができるようになることは難しい一面もあるのですが。ようやく最近になって、さまざまな霊障であり、幻覚・幻聴である状態を持ちながら、平穏なこころを保つことができるようになったので、そこに至るまでに実践したことや、スピリチュアル的な要素との兼ね合わせによって改善したことなどを綴っていきます。寛解のために1 急性症状を脱するための心得幻聴・幻覚が発生しているとき、または自分をあらゆる他者が陥れようとしている、と感じるとき、そして自分の考えが盗み聞きというか、自分が見聞きするものごとのなかに表現されてくる、という状態が頻繁にあるときを、統合失調症としてとらえる場合は「急性症状」となります。この状態のとき、あきらめなくて受け入れなくてはならないのは「隠れる場所など、どこにもない」という霊的世界の理(ことわり)です。そして「おかしいのは自分かもしれない」と思うことです。私は、急性症状としてこの状態になったとき、最初は家に監視カメラが設置されている、自分の思ったことがテレビや新聞などで出てくる、まわりのひとびとが自分の考えていることを言葉にしていないのに知っている、仕事の同僚が話していると自分の悪口や話題にしている、という典型的な被害妄想の症状でした。それでも、大事にならなかったのは、これは自分がおかしいという漠然とした感覚があったからです。仕事をしていた私は、その妄想を誰にも言わずに仕事場を変えましたが、変えた先でも同様の妄想はひどくなるばかりで、家にいてもあらゆる行動がどこかから監視されているという妄想から逃げ出したくて、行動がおかしくなり、突発的な家出をした自分を冷静におかしいと感じたので精神科の病院に飛び込みでお世話になり、たまたまお休みでも緊急的に受け入れてくださった先生がいらしたおかげで、診断書を出して頂き統合失調症患者となりました。もし、誰かにこの妄想を話し、理解を求めようとしていたら、家族と友人の関係をことごとく失ったかもしれません。実際に、家族には自分の財布からお金を盗まれた、という被害妄想をもとにそのことを家族の話題としたこともありました。その時点では、すでに統合失調症患者としての生活が始まっていましたので、家族も、それは被害妄想だと受け止めて、大事にはなりませんでした。「あらゆる行動、言葉、思考が監視下にあるとしても、私は私である」「周りがおかしいと思っても、責めない自分を作る」「神々の見守りのなかに、自分が生きている」そうした開き直りと寛容の精神、そして神さまがたへの感謝を胸に、霊的世界の存在を感知し、自分の生活の中にその啓示や、主に悪霊からの物質的なコンタクトである不快な幻覚・幻聴などをも受け入れて生きていくこと。統合失調症の寛解の状態はそのことの実践から生まれます。寛解のために2 まずこころの健康を目指すこと急性症状を抜けても、そのタイミングではまだ、脳の機能がおかしくなっていて外出すると衝動的に行方不明になりたくなったり、死にたくなったりする状態が起きているときもあります。それは、スピリチュアル的には悪霊からの影響であり、ネガティブな想念に基づいて行動するように誘惑されている状態です。被害妄想が強く、家族や友人や、仕事先の人間関係をすべてダメにしてしまった崖っぷちの人間が、統合失調症の症状で自殺を選ぶのは精神疾患のなかでもパーセンテージが非常に高いです。自殺しない自分になるために、生きているだけで奇跡的なことである、と統合失調症の場合は認識する必要があるかもしれません。幻聴や幻覚がずっと続くのならば、死にたいという気持ちを克服するには、それは霊障である、という認識に至らないと難しいです。脳の機能が壊れたから幻聴や幻覚が発生しているいうのはあくまで物理的な事実で、霊的なことの説明にはなりません。そして、悪霊払いをしてもらう、という他者に頼る行動は、おかしなお金目当ての霊媒者を呼び、ことがこじれていく原因にもなりかねないですし、そもそも自分に悪霊がやって来る状態と言うのは、自分の意識がネガティブであり、同じような存在を引き寄せることなのです。ひとつの悪霊を払っても、本人の意識がネガティブな感覚を払拭しなければ、また別の悪霊や、同じ悪霊を呼ぶので、自分の意識改革を行いポジティブシンキングを出来るようになることが必要です。