悪魔。
人はそれを絶対的な悪の象徴として語る。
しかし、厳密にはそれは事後的に色づけられた形象(イメージ)でしかない。
本来の「悪魔」の定義とは、「神の敵対者」のことを言う。
もし世界をキリスト教的に解するのであれば、
それこそ「悪魔」は、クリスチャン以外の異教徒、無神論者たちのことを指す。
厄介なのは、
彼らによれば、世界は「神」や「人間」のほかに、「天使」という存在があることだ。
彼らの聖典によれば、
「天使」は時に「神」に反抗し、「神」の世界から追放されることがあるという。
そうして堕落した天使を「堕天使」と呼ぶ。
この「堕天使」こそが、一般に我々がイメージする「悪魔」という存在なのだ。
さらに厄介なことに、
キリスト教は、自分たちの正当性を主張するために異教の神や精霊を
低次元の存在として文化的に吸収した。
そうした存在の中に「デーモン」という悪霊が概念として存在し、
そうした者たちが混同し、統合された。
こうして考えていくと「悪魔」は本当に「悪」なのかという疑問さえ浮かぶ。
いわば「神」という絶対的存在に、反抗する意思。
それが「悪魔」なのであれば、
世界は「神」と「悪魔」の二極化で概念化されてしまう。
しかし、(彼らに言わせればその考え自体が堕落と呼ばれるのだろうが)
その「神」の絶対性が果たして「絶対」なのだろうか。
「絶対性」そのものは「神」という存在に形象として与えられた性質に過ぎず、
その「神」を描写するのが人間であれば、
その「神」自体が、描写する人間の精神を投影したものに過ぎない。
そのような「相対的」存在が果たして絶対的存在といえるのだろうか。
つまり、この「悪魔」という概念は、
「神」の絶対性を仮定した上に初めて成り立つ概念なのである。
では「悪魔」はなぜ生まれたのか。
つまり「堕天使」はなぜ堕ちたのか。
彼らの聖典によるとこのような例が示されている。
ルシフェル。
俗に堕天使の長とされ、悪魔の王サタンと同一視される存在である。
かつては大天使長として絶大な力を誇ったが、
神に敵意を示し、仲間の天使を集め、戦いを挑んだ。
大天使ミカエル率いる神の軍団との戦いの果て、
ルシフェルは敗れ、彼に賛同した天使たちとともに神の世界を追放される。
そして彼らは「悪魔」となった。
多くの娯楽フィクション作品にも起用されており、
クリスチャン以外にも比較的有名なエピソードであろう。
厳密には、教義や聖典によっては、異なるものもあると思われるが。
悪魔が堕ちた理由としては次のようなものがある。
一つは「自分は神を凌ぐ力を持っているのでは?」という高慢さゆえの叛乱。
一つは「神が人間を天使よりも愛情を注いだ」ことに対する嫉妬ゆえの反抗。
一つは「神が試練として天使に与えた、自由意志」ゆえの非服従。
こうして観ていくと神とは、ひどく気紛れで、そのくせ器の小さいやつだと思うだろう。
でもこれらは本当に「天使」が自分から選んだ、あるいは天使の咎ゆえの堕落なのだろうか。