気づいたらこんな時間。いつもより少し多めの書きたいことを抱えていたため、久しぶりにアメーバのアプリを起動してみる。いつもより、というのは、ラインのタイムラインに書くときよりも多く、ということ。ラインのタイムラインは1000文字しか書かせてくれないからね。
それにしても、いつからラインのタイムラインに文章を投稿することが「いつも」になったんだろう。慣れというものは怖い。
話は特に変わらずに進行します。いつもの生活というのはいったいどんなものなのか。
人によって違うのはもちろん分かる。そりゃあ僕は毎朝お化粧してブランド物のバッグを持ってザギンでセレヴなおぢさまに媚びを売ったりなんてしていません。それがいつもの生活な人だっているんだと思う。
気づいたら僕たちにとって生きる基準という物があって、それに従って目に映る物に価値を押しつけてる。なんて傲慢なんでしょう。でも、それってすごく普通のこと。だから、僕はそれをどうこう言うつもりなんてなかった。はずなんだけど。
みなさんは「普通」と言われると何を思い浮かべますか。あまりに抽象的すぎて何も浮かばないのではないでしょうか。僕もそうです。
だけど、例えば「駅前で、マリオのコスプレをしてひたすらコマネチを繰り返す人」がいれば、それは普通じゃないって思いませんか。そしたら、普通ってなんなんですか。だって、それって普通じゃないんでしょう?
やってる側は普通だと思ってやってるのかもしれない。みんながみんなマリオに扮してコマネチをするのが普通だと思ってるのかもしれない。それか、おかしいと思っているけどそれがおもしろいと思ってやってるのかもしれない。まぁ、なんにせよ、それをやる人にとっては普通なこと。
例えが極端すぎてきっと伝わってないと思います。分かりやすく言えば、僕にとって普通なことと他の人にとって普通なことって、違うに決まってるんです。
なのに、僕が何かしたときに「それって普通じゃないからやめておきなよ」って言う人がいる。これはもうおかしな話だ。だけど、そう言う気持ちも分かる。だって、主観的に普通じゃなかったんでしょう。普通じゃないことっていうのは、違和感があって、気持ち悪い。
普通ということは、一人についてだいたい二種類以上ずつ存在する。主観的な普通と、世間的な普通と、あとはなんか人による。主観的な普通と世間的な普通はだいたいにおいてせめぎあうことになる。例えば、ギターで生計を立てれるようになるために努力するっていうのは、ある人たちにおいては普通なことかもしれない。でも、世間的に見たら「あいつはバカだ」って言われかねない。いや、そんなひどい物言いをする人は少数派だけど、まぁ大げさに言えばそんなもん。
そして、厄介なのは、主観的な普通は人によって違うのはもちろん、世間的な普通っていうのも人によって違うということ。何が厄介なのかって、世間的な普通はみんなが共有している物だと誤解している人たちがいること。これが大概に迷惑だ。
自分にとっての普通を押しつけてくる人たちっていうのは、だいたいその通りにならないと不快が露わになる。なんで?って思う。別にあなたに危害が及ぶようなことしてないのにって。
だから、冒頭で言った、普通を押しつけるのは普通だと思ってたけど、傲慢だ、って話になる。自分にとっての普通を他人に強要するのは、普通じゃない。
だけど、分からなくもない。思い通りになる世界っていうのは、誰しもが探してる。そりゃあその方が暮らしやすいに決まってる。
しかし、思い通りにならなかったからって不快な態度をとって人を不快に巻き込む人はいけない。こういうところに気をつけたい。できたらいつだってハッピーでいたいもの。みんなそう思ってると思う。アホみたいな顔してバカみたいに笑ってたい。
ベースボールベアーというバンドがある。そのバンドのフロントマン、小出祐介が17歳だかそこらの頃に、SAYONARA-NOSTALGIAという曲を書いた。
荒々しいカッティングにタイトなドラム、サビでは4つ打ちになって、ディスコードを交えた浮遊感のあるコード進行に素朴なメロディーが乗る。とか書くのはなんかこう音楽ライターの人とかに任せたい。
この曲に「今日は現実的な一日 今日も普通がいいや」というフレーズが出てくる。まぁ内容としては、非日常を終えて、普通という現実に戻ってきたところです。この曲の主人公は、非日常を経験した上で、普通がいいと言っている。
しかし、僕はもう普通というものに心底飽きました。まぁきっとこれはいいものなんだろうって思います。何もせずに一日だらだらするのを羨む人はたくさんいます。僕だってそうしていたいと思う。そうしていないときは。でも、現に一日中、いや夏休み中ほとんど毎日だらだらと何もしていなかった僕は、もう気が違ってしまいそうなほど何かをしたくて堪らんのです。
周知の事実かと思いますが、僕は恐るほどに友人が少ないです。イリオモテヤマネコくらい少ないです。
しかも、その少ない友人たちと会うことはもっと少ないのです。そんな中、あたしも友達少ないよう~とか言ってるやつが、休みの日は友達と飲みに行ってるだのなんだの言ってるのを聞いたときには首すじに包丁をずぶりとしてやりたいです。
でも、僕にとっての普通は言うなればその毎日誰にも会わずに部屋からも出ずに何もしないことなのかもしれません。それに慣れてしまったから、そう感じつつあります。認めたくはない。
だけど、それを嫌だなぁと感じるのは、他の人たちが誰かと遊んでるのを見せつけてくるからなのです。いや、別にそれって悪いことじゃないぜ。たださ、友達いないって自称する奴らは休みの日は部屋から一歩も出ずに同じ漫画を続けて三回読み直してから言ってくれよって話。
思うよりずっと、嫉妬しています。この気持ち説明できる言葉を僕は知っています。「みんな軽めに死ねばいいのに」です。
自称友達いない人が無意識に押しつけてくる普通は、僕に「友達が少なすぎる」という現実を叩きつけてきます。本当に辛い。友達少ないって言っていいのは、こんな時間にこんな文を書いてるやつだけだ。
ああ、そういえば今日、何も食べてないな。何もしてないから、お腹だって空かないんだぜ。ちくしょう。いつかは俺だって、ブルジョワジーになって、お前たちを見返してやるからなー!ばーか!覚えてやがれー!