葡萄の美味しい季節になりました。
今日はスージーの体験です。


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あるとき私は、「なんて酷いことを言うのだろう」とある方に言われたことに愕然としてしまいました。
その時は自分でも訳がわからないほど動揺し、手が震えてしまいました。
後日、その方は形式的に謝ってきましたが、自分は全然悪くないという姿勢でした。

確かに私に否がないわけではないのですが、気持ちよく和解できればそれで良かったですし、間違いは誰にでもあるので、本当に悪かったと感じているならいいやと思いました。

しかし、自分は悪くないという姿勢が丸出しでしたので、またそれに腹が立ち、いつしかそれがトラウマになっていました

その方とは、いろんな意味でうまくやらなければいけないし、忘れようとしてきましたが、ふと、イヤこれだけは人生の教訓として忘れてはいけない、と知らない間に心にバリアを張っていたのです。

しかし、大切な付き合いでしたので、長い時間をかけて関係を築いてきました。

最近になって、その方の性格もよく理解できていましたが、ふとしたことがきっかけで、そこに他人からのメスが入りました。

本人は、人に吐いた言葉の重みなど何も感じていないのか、謝って済んだことだと思っているのか、信頼関係もあったので全く感じていません。
確かに謝ったのだから済んだことなのです。

その頃の私は、それはもうどうでもいいと思っていましたが、やはり思い出すと心は動きました。

相手は全く忘れているのに、ひとりでグズグズ考えている自分をくだらないと思いました。
また、そんな自分が嫌でした。

そうしているうちに、あることに気づきました。
以前も人間関係で同じような経験をしていました。
その時は、姑小姑の問題でしたので、理不尽なことがあっても私の手には負えません。
言ったところで理屈など通る相手ではないからです。


話を戻します。
嫌なことから気持ちを離しても、原因を外に向けている以上、苦しみからは離れられないことに気づき、相手も含め全てを理解することが必要だと感じていました。

浄霊時にも神様から、自分のこと相手のことを問いかけられ、考えてきました。

要するに執着から離れられずにいるため、それが足を引っ張り前に進めずにいるわけです。

相手のことを理解し、前世も含めた自分のことがわかれば、勝ち負けは関係なく、自分の何が違っていたのか、視点が違うことに気づきました。

そしてそれがわかると、相手の器を知ることができたのと同時に、自分の先が見えてきました。
つまり、自分の前世からの内面を見つめ納得できると、更に次のことが見えて前進できるのでした。
またひとつよくない執着を捨てられました。
相手が悪いのではなく、自分のくだらない執着が、自分自身を苦しめていたのです。
更に言うと、相手のミスを自分の武器として持っていたわけです。

人は本当の自分を知ることができないから、相手を理解することもできない。
そうなるとそこで止まってしまいます。
つまり、【思い込みや執着】が自分をダメにしているということです。

どうしてこれがわからなかったのだろうと、今更ながら未熟さを感じています。

占いで言い当てるのではなく自分自身が向上する、このレイラの浄霊(神様)の難しさ、レベルの高さには本当に驚き感謝しています。



相手を知って、自分を知れば、解決できるということね。


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