くまさん's family ~おてんば娘と気管切開の息子~ -23ページ目

くまさん's family ~おてんば娘と気管切開の息子~

長女2014年3月14日 出産
長男2016年12月19日 出産
 
長男はピエールロバン症候群など先天性の疾患を抱えています

くまさん(主人) 38歳
すー(筆者)   35歳  

のーーーんびり更新中 

身長61.0センチ
体重6280g

からだが大きくなり
コットもいよいよ
狭くなったので
3月13日
大きいベッドに移動しました


生後2ヶ月を1週間経過した
2月26日


呼吸が苦しく
真っ黒になっていく息子を見て
主人や
主人の家族
すーの家族と相談し
いよいよ
気管切開をする決意が固まりました


できればここに到達したくありませんでした

主治医から
産後間もなく説明を受けた段階の
一番重い症状です


ですがもう
息子のからだの成長にも限界があって
3ヶ月過ぎてからは
ゆるやかになりました

ここからは急激に大きくなることもないし
決断しなければいけない時期に
来ていることは
くまさんにもすーにも
わかる気がしていました


気がかりなのは

声が聞けなくなる

ということ…


人間って優先順位がどれとかじゃなくて
全てが元気で
普通であってほしいじゃないですか

息子は呼吸ができる代わりに
声を失うわけです

辛すぎます


呼吸もできて
声も出せて……

それが当たり前じゃないんですね…


なんで息子が……
わたしが何か悪いことした???
妊娠中悪い薬でも飲んだのか……


考えても解決できないことばかりを
考えてしまいます


前向きになんてなかなかなれなくて
でも息子は日々成長していて
結果また息子に励まされています


くまさんとよく話し合って
主治医の先生から気管切開について
話していただく機会を
与えてもらいました

息子は
・小顎症
・舌根沈下による呼吸困難
・口蓋裂
の症状から
『ピエールロバンシークエンス』
という病名になりました

色々な症状からの
『症候群』
ということで
正式な病名とは言えないそうですが
今の段階で病名は?
と聞かれたらこういうことになるそうです


今後は
何もないかもしれないし
もしかしたら

目の異常
骨の異常
耳の異常
その他…

成長段階で色々なことが出てくる可能性も
あるかもしれないそうです

その時々で
対処療法をしていくしかないようで
根本的な治療というのは
細胞レベルの話なので
できません

それとエアウェイでは
帰宅できない=すーたちには管理できない
ということでした

くまさんと腹をくくり
気管切開を決断した後は

・手術日の決定
・手術前の説明

とてもスムーズで
早かったです


手術前の説明で
一番怖かったのは
麻酔科の先生の説明でした

息子は
顎が小さい
『小顎症』です

・全身麻酔がかかると
舌根が気道に垂れ込んでしまい
すぐに挿管できないと
低酸素脳症等を引き起こす

・声帯の辺りは手術を始めてみないと
わからない(挿管がしやすいか否か)

・目的に合った手術ができない可能性がある
(手術を始めてみたら挿管ができず他の病気がみつかりそちらの方に合った手術をする)

「とにかく全力を尽くします!」

と言ってもらい
親の心境としてはまさに
神にもすがる思いでした



3月28日
(日齢99日)
手術当日

実は息子とお姉ちゃん
初めて会うことができたんです

まぁ会うと言っても
手術をするために病棟を出て
エレベーターで移動をする時間の
ほんの数分でしたけど
会わせてあげられて本当によかったです


お姉ちゃんの呼び掛けに対して
息子が思いっきり反応していて
驚きました!!!


くまさんもすーも涙…涙…

姉弟揃うことが嬉しかったです


手術室に入る姿を見送り
手術が終わるまでの時間…
何もしないのに
頬を涙が
何度も
何度も
流れ落ちました


予定通り一時間弱で終了し
無事に手術が終わったことを
耳にした時は
くまさんと手をとって喜びました


「神様っているんだな…」

とくまさんが口にしたことが
印象に残っています



術後はNICUに戻り
経過としては順調でした


そして
覚悟はしていましたが
泣き声が聞けなかった時は

『あぁ…そうだよね…』

と思いました



ミルクを再開すると吐き戻しが多く
なかなか体重が増えませんでした

顔周りは術後少し経ってからの方が
結構腫れていました
(←太ったと思っていた(笑))

NICUにいたのは
ほんの数日で
すぐにGCU病棟に
戻ることができました

GCU病棟に戻ると
新年度でチーム編成が変わっていました

異動もあったりで
少しメンバーも入れ替わったり…

県立病院なので
違う病院への異動もあり
とても親身に話を聞いてくださった
看護師さんも
他院へ異動してしまいました


くまさんは
29年度から部署が異動になり
以前よりも
家にいられる時間が長くなりました


それに合わせて
主人の実家から自宅に戻りました
約3ヶ月
本当に本当にお世話になり
ありがたいです


娘は
4月から幼稚園に通い始めました


娘の準備がほんとに大変でした


好奇心旺盛な2歳児をそばに置き
ミシンするのは容易じゃないです


なので寝ている時間を狙って
朝や夜中に何度もやり直しながら
ちょこちょこ進めていき
起きたらやめて
搾乳
家事をして
じーじの家に娘を預け
面会
面会から帰ってきて
じーじの家で娘を拾い
家に帰って
搾乳
夕飯の仕度・片付け
お風呂
搾乳
洗濯
搾乳

夜中も搾乳で起きたりしていたので
毎日寝不足でしたが
娘が選んでくれた
ラブリーなピンク色の布で
完成したものを持って
幼稚園に元気で通ってくれる姿を
想像しながら
自分を奮い立たせました

じーじの家では
真冬でも
苦手な靴下を履かず
サンダル姿で過ごしていた娘(笑)


北風吹く中
病院へ面会にいくすーを
いつも見送ってくれた娘を
見ていたのもほんの一瞬だったな
と今なら思えます

時には
大泣きしている娘を
無理矢理預けて
後ろ髪引かれながら
病院へ向かったこともあります

娘もお留守番頑張りました


大変だと思っていた
子育て約3年間でしたが
今思えばあっという間でした


集団生活に入る前に
娘と
のんびり関わることができず
我慢させてしまうことも多かったり
妊娠中に
「赤ちゃん生まれたら
たくさんお母さんと公園で遊ぼうね」
なんて話していたことも
実践できないままに
入園してしまい
かわいそうなことをさせてしまいました

でもこの生活もあと少し!
息子が退院できるように
今度はくまさんとすーが
お世話の練習をしています


退院まであと少し!!!