小島です。



いつも自分の興味を持つ事は、気付けばカラダの事ばかりでした。

それは中学の頃、ダイエットから始まりました。

食事制限という言葉を知らなかったので、当時流行っていたゾーンセラピー?麺棒などでふくらはぎを細くするというものでしたけどもね。

高校の時に部活で靭帯断裂を経験した事でそこをかばうようになり、その為に起こっていたと思われる肩こりや腰痛を経験し、トレーナーの方にお世話になり

骨盤の歪みから骨格矯正に興味を持ち、整体の勉強わして整体療術師に。

そして次は食事制限のダイエットに走り、過食症になる。20kg増加。そこでダイエット本を読み漁る。

気付けば過食症を克服。

そして整体の勉強と共にダイエットではなく健康の事も勉強し始め、いつしか沢山の知識を得る。

それから固まっているコリをほぐす事に長けていると実感したかっさを取得。

そして自分のお尻がものの10分もかからず小さくなった事でプロボディへと関心がいき、取得。

自分が小さい頃にアトピーが酷かった事、ダイエットや体重に囚われすぎて過食症になった事、そしてなかなか肌荒れが治らず、ストレスなどで悪化していく事を機に食事の勉強も少しずつですがしていました。(ダイエットマスター取得。)

そして、身体を『緩める』と、痛みやボディラインの崩れが和らぐという事に気付き

プライマリーウォーキング認定指導員と、プロボディのリラクセーションMENUのyuragiも取得致しました。

内側のこと、つまりは栄養などの食事の事、勉強はしていましたが、もっとしっかり食の事を勉強したいという想いが、昨年末に強くなり、1月末には確固たるものになりました。

と言うのも、祖母の死がきっかけです。

いや、暗い話では無いですし、祖母を話しにあげて…と言うつもりは本当に毛頭無いのですが

少しだけお話しさせて下さい。



祖母は本当にいつもニコニコしてました。

そしていつもご飯だけはしっかり食べていました。

風邪をひいても食事の量が減ることは無かったように思います。

いつも適量だったのかな?と。

祖母が働いていたのはとある企業の食堂で、そこで食事の事を働きながら学んだ方です。

そして何千人の胃袋を掴んでいた。

ですので、祖母の家に行くとバランス満点の食事が出てきていました。

祖母が体調を崩すと言うのは、高齢になるまでは本当に少なかったように思います。

(熱の測り方が男前で、水銀の体温計を30秒しか挟まないという祖母でしたが)

亡くなった時、お坊さまに言って頂いたのが「91歳には見えない肌艶で、亡くなっておられるとは思えない」

適度に動いておられたし食べておられたのでしょうと。

祖母を褒めていただいた事が本当に嬉しく、そして食事の大切さを切に感じました。

祖母自慢ですが、本当に穏やかな顔で安らかな眠りについてくれたのではないかと安心する程の亡き顔だったのです。

辿り着いた究極の所

『人は生きている以上、必ず死ぬ。

それまでをいかにして生きるか』

という所を考えました。

まさに祖母は私の理想の亡くなり方でしたので。

『できるだけ自然に、人らしく自然な最期を迎える』事を念頭に

『今ある余生を美しく、健康に過ごして頂きたい』という所に行き着きました。

その為には…

健康であれば美しくある。

美しくあるには健康に過ごす事。

理想でありますが、こう過ごしたいと思います。

外からのケアも大切です。外見は3秒で7割決まると言われているほどなのでね。

が、中からも大切。

内8外2は、本当なのだと実感しました。

人は口にするもので自分を作っています。


昨年が学びの年で、今年は伝える事をテーマに致しておりましたが、今年もやはり学びます。

年始から、大阪を中心とし、東京などでもご活躍されている『ベジフルビューティーアドバイザー兼野菜ソムリエの宮﨑ノゾミさん』に食や子宮・生理のセミナーを。

そして、3月をめどに『内面』の別のケアとしてタロットや数秘をされている、この方も大阪を中心とし、東京やラジオなどでもご活躍されている『geeta』さんにSTYLEにお越し頂きます。

お後、まだお願いの段階ですがファスティングの講師の方にもお越しいただく予定です。

腸を綺麗に。そして気持ちのケアを。

『学び伝える』をテーマとして皆さまに沢山の事をご提供できるように致しますので、何とぞよろしくお願い致します。

STYLE代表  小島慶子
22・23日とお休みを頂きまして、ご迷惑をおかけ致しておりますと共に、本当に本当にありがとうございます。

祖母が他界しました21日から23日

お通夜と葬儀、告別式、仕上げまでの全て。

最後まで見送る事ができました。

本当にありがとうございました。

いろんな感情がありますが、どこかで聞いたネーミングになりますが、人体の不思議を身近で感じた数日となりました。

祖母の事を沢山思い出し、沢山話したあの三日間。

知らなかった祖母の、すごい芯の強さと精神力の持ち主である一面を知ることもできました。

私個人としては、物心ついた頃から本当に沢山の愛情と笑顔で接してくれてたんです。

怒られた事は本当に思い出せないくらい。怒られた事、ないんじゃないかな?

いつもニコニコ笑ってくれてたと思います。


亡くなり方も本当に良かったと言いますか、安らかな眠りってこういう顔になるって事なのね、と思うほど。


何か、本当に沢山の人に見送られておばあちゃんは逝きました。

家から会場まで来る際の出棺の時もご近所の方が集まってくださり、雨の中見送って下さった。

湯灌の際も、お顔剃りから洗髪まで、本当に丁寧にしてくださり

死に化粧もおばあちゃんが自分でしてたよりも綺麗で(ごめんおばあちゃん)似合う口紅の色を塗って頂いてました。

ここまで丁寧に、ここまで大切に祖母を扱って頂いた皆様に本当に『感謝』を感じました。

しんどくても、しんどい顔を見せない祖母。

あと20日で92歳の誕生日を迎える予定でしたが、しんど過ぎて我慢できなかったんだろうなと思いました。

もう少し長く生きていて欲しかった。と言うのもありますが、もう少し、と言いますか、まだまだ祖母と話したかったです。

死ぬ前にカレーが食べたいと言った祖母。

祖母は母方の祖母で、母がお嫁に来てからは一人暮らしが長かったのですが、家に遊びに行くとよくカレーが出てきました。

カレーだけは1人分の量が難しいと言っていた事を今更思い出し、

カレーの缶お供えしましたが、一緒に食べたかったなーと。

我慢強かった祖母。自分以外の人には優しかった祖母。

見習いたいし、そうなりたいと思うヒト。

小島家唯一の、可愛らしく女性らしい

そして芯の強い女性でした。

そう思います。

いや、本当に祖母は可愛かった。

亡くなって頂く名前を法名と言いますが、その名が

『慈愛』

祖母をまんま現した名前。凄いな。

なーんて祖母をだいぶ自慢させて頂きました。

あの数日は泣き虫に徹しました。と言うか、元来泣き虫なようです。

何か、こういう事があり、祖母の事を思い返して家族で話しました。

この祖母の死で思う事、考え直した事は本当にいろいろあって、沢山お伝えしたい事もあるのですが

かなり、本当に、凄くマニアックな所に到達してます。

歯に物が挟まったような言い方して申し訳ありません。

またすぐにご案内致しますので、少しお待ちくださいませ。

おばあちゃんのお陰です。

ばあちゃん、本当にありがとう。
こんにちは、小島です。


本日、大好きだった祖母が他界致しました。

つきましてはお通夜・葬儀の為、臨時休業とさせて頂きます。

ご予約頂いておりましたお客様にはお電話をさせて頂きました。

繋がらなかったお客様にはメッセージを入れさせて頂いたり、メールを送らせて頂きました。

当日、万が一お店に来られることがありましたら、それは本当にごめんなさい。

ご迷惑をおかけ致しますが、何卒ご容赦くださいますよう、宜しくお願い致します。

STYLE 小島慶子

























未だに急逝した事を受け入れたくないですが、でもでも大往生したばあちゃん。本当に最期の最期まで可愛いばあちゃんでした。

しんどくてもいつも笑顔だったばあちゃん。

小島家で一番可愛らしかったおばあちゃん。



のように、素直で可愛い女性になります!