たぶん、その交差点である父子を見かけるようになったのは10年ほど前。
それは、自分の乗る通勤バスが、ほぼ同じ時刻にその交差点に差し掛かるから。
白髪が少しだけ混じったそのお父さんは、車椅子を押してその交差点を渡る。
その車椅子は、椅子というよりもベッドに近い形。 それ自体重いと思う。
乗せられているのは、たぶん息子さん。
姿からして、重い脳性麻痺ではないかと推察する。
お父さんが交差点を車椅子を押して渡るのは、養護学校のバスの停留所へ行くため。
平日は雨の日も風の日も毎日、養護学校のバスへ送っている。
自分のバスが先にすれ違って行くので、養護学校のバスが出るところは見たことがないが、
お父さんは送った後、会社へ通っているんだろう。
そんな朝の風景が続いていたが、私の転勤があり、暫くその通勤ルートから離れた。
その時は、その父子のことをほとんど気に留めていなかったと思う。
そして月日が経ち、転勤先から戻ってきた。
そして、以前乗っていたバスを利用して通勤するように。
少しの間離れただけだが、懐かしく思うところも。
そんなに月日が経っていないので、周りの風景はほとんど変わっていなかった。
それでも街並み、特にお店などの入れ替わりは変化を明確にしていたけれど。
そんな復帰の通勤風景に違和感を覚えたのは1~2か月してから。
何か、他にも違うところがあると感じた。 それが養護学校のバス。
そのバスとすれ違わなくなっていた。 よぎったのは、あの父子のこと。
あの養護学校の停留所を利用しているのが、あの父子だけだったから。
ひょっとしてとも思ったが、引っ越したのかもしれないし、とも考えた。
そんなことも忘れかけた頃、ある朝、そのお父さんと出会う。
髪は真っ白になっていた。 足は停留所ではなく、駅へ。
そう、車椅子はない。
私には、その姿に何かを振り払うため足早に進まなければならない悲壮感が見えた。
息子さんが養護学校へ行けない何かが起こったのだろう。
その後、お父さんとは稀にすれ違うことがあるが、息子さんの車椅子は見ていない。
なにもかもが時間とともに変化していく。
通勤風景にも様々な人生が溶け込んで。
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