「見る」ってどういうことだろう?。眼の病気や、正常な人間にもある盲点や運転中の周辺視野などではなく、観察に近い概念です。

例えば私、花や鳥の名前が苦手です。人の名前の覚えも良くないので同じ理由かも知れないが、特徴の抽出が劣っているのか、名前との連想が不得手なのか?。反面、観天望気は、どちらかと言えば得意な方だと思っています。

先日も、嫁から傘の必要性を問われ、「直に取れるよ」と答えて当たりました。山沿いでも盆地でも海から近くもないので朝曇りは多くはないが、何となく直感で分かることが少なくありません。でも、直感は直感、雲の何を見ているのか、高度・色・均一性(単調な模様)か、それとも風や空気を感じているのか、自分ですら良く分かりません。

観天望気ではないですが、息子にも思い当たるふしがあります。小さい頃は良く、ファミレスへの運転途中で行き先を当てていたのです。車窓の何を見て判断したのだろう、方向感覚は良い方だと思っているが、関係しているのだろうか?。

ただ、絵の上手い人は、目の前になくても記憶だけで描けると言うが、私には出来ません。良く見る雲でさえ見ながら描いても下手だろうから、そもそも絵心の欠如が最大の問題だが、情景も浮かばないので、幾何学模様でも恐らく駄目。観察と記録は別の問題だからか、記録内容に違いがあるのか、それとも記録の取り出し方法なのだろうか?。

もっとも、私の妹は私同様に鳥の名前に無頓着だったが、野鳥好きの旦那の影響で、今では運転しながらでも識別できるほど。訓練すれば克服の可能性はありそう。でも、残りが限られている人生、得意な分野を伸ばした方が効率は良さそう。

結局、「見る」なら観天望気?。でも、嫁に答える際、精度の向上が著しい気象情報を参考にしている自分もいます。天気は、地上に接する対流圏の下層だけでなく、成層圏との界面付近の影響も受けるから、当然と言えば当然。観天望気で主に分かるのは地上の天気図だから、気象庁の三種の神器に基づく予報にかなう訳がない。

最近、色んなことに興味があり、気象予報士もその一つです。でも、職業にしていない矢部太郎氏などの例はあるものの、人生の残りを考えると得策ではないかも。理論重視の資格を取っただけでは予報は出来ないと言うし、やっぱりローカルな予報にはその土地の地形や天気の特徴などは不可欠。それに、数値予報や実技以前に、大気力学や熱力学など、習得すべき知識が少なくない。気象予報士の知識は魅力だし、専門天気図にも触れてみたい誘惑はあるが、仕事も資格取得も目的ではないので、決断は先送りか?。

となると、時代には逆行するが、観天望気をベースに仮説・検証を繰り返せば、今の感覚が鈍らない程度には維持できそう。ただ、外れた際の理由の推測が難題。或いは、全天球カメラなどで撮影し続けて機械学習すれば、何かが得られるかも知れない。もちろん、ウェザーニューズのマネではない。「感測」には近いかも知れないが、自分の感覚を磨くため。そもそも、自分の感覚もブラックボックスに思える今、味気ないが相性は良いのかも知れない。でも、それだけではあまりにももったいないから、過去のデータを使った時系列な気候予測などにも深入りしそうだし、ディープラーニングの話は長くもなるので、一先ず先送り。

結局、未だ結論は出せそうにないが、気象は地球温暖化の影響を最も大きく受ける一つだから、知識があって損はないと思っています。他人の役に立つのは難しくても、自分のためと割り切れば良いから。リタイアまでに、人間だからこそ出来ることをもう少し考えてみよう。