2011年終わるね。
いっぱい泣いた1年でした。


なんとなくmixiでは振り返りしたくなかったので。



1月は成人式で楽しくあけたのに、後半に家族が壊れてそのまま2月。それを引きずりながら実習も頑張っても先生に勘違いされぼろっぼろに…。

3月、そんな気持ちのまま、震災がきました。

不安で無理やり家に帰ったけどその後の学校の対応がひどくて…目の前に広がる自分が昔暮らした家の無惨な姿と、学校の対応のギャップが苦しかった。後半にはひいばぁが亡くなって…悲しい悲しい月になりましたね。


4月、気持ち切り替えて三年生になって、仲良しな友達と4月5月と実習一緒で、持ち直して頑張れた。

6月実習に行けなくて、元気になってもいかせてもらえなくて、半月も家ですごした。それはそれで辛かった。

7月事例が母性で、先生とも病棟ともうまくいかず、苦しくて苦しくて苦しくて、毎日が本当に苦しかった。


7月に学校のボランティアで野田に行った。けど野田を知らないみんなにはあまり伝わらなくて、悲しかった。

あっという間に、実習がおわり8月が終わり、9月。

9月はすごい良い実習ができた。
家族の絆を教えてもらった。


10月。みんなが学校で勉強してる中たった1人で実習に行った。1人なりに頑張れた。


10月終わりにとうとう統合が始まった。いろんな不安が多すぎて毎日行きたくなかった。でも、ビクビクしながらも、夜勤とか楽しむこともできた。統合の合間に久しぶりに吹奏楽をした。実習のストレスと疲れからの、徹夜、本番、シンバルのストレス…精神的に追い込まれてたこともあってちょっと辛かった。本番中もどんどん手が冷たくなって、なんだかなさけなかった。

11月、最後の実習。保育園の子供たちは可愛かった。苦手な小児。苦手な先生、苦手な病棟、苦手な看護師。行きたくないと思いながら休まないでいくことができた。


11月にいとこと弟が進学を決めた。わがことのようにうれしかった。我が家にも光がもどってきた。


12月、毎日勉強、ストレス、暴食、模試…でも大好きな人と幸せにいっぱい過ごせた。大好きな友達とも過ごせた。



このまま来年にも明かりがともりますように。
敷かれた道を一生懸命歩いても、言うこと聞いても、それより道はずれた手のかかる子の方が可愛いんだって。



父親も弟もだいっきらいだ。




二十歳になってこんなこと思いたくないけど、なんだかすごい嫌な気持ちだ。




あのとき死んでれば、とか
生まれてこなければ、とか



きっともう敷かれた道しか歩けない。そう育ってしまった。


嫌いだ。



ぁたしばっかり我慢してるわけじゃないんだけど…



自由な人をみるといらいらしてしまう。



心がせまい。



逃げ出したい。



あぁ。


同じ土俵じゃないとわかんないってことかな…




無力感。



もう私必要ないのかなって思う。



いや、多分思うんじゃない。

実際私いらない。




私の方が絶対想ってると思ってた。



でも味方したもん勝ちみたい。



あの人の予言、当たっちゃった。



世界、違うもん。




寂しいな。




きっとただの独占欲。


だけど…寂しい。




バカだと思われてるから頼りにされないのは当たり前か(;_;)




毎回毎回みるたびに泣いて、涙もろいって疲れるな。



コミュニケーションがうまくいかない。



疲れた。









わざとやってるなら尚更許せないよ?


大事なアナタが傷つくのが辛いのと同じくらい

大事で傷つけたくない人がいる。



数日おさまっていた偏頭痛がまた痛い。




難しいな…


ワタシいらないかしら
蓄積したものの出し方がわからない人間だったみたいです。



だからたまった物が別の違う刺激で噴出して抑えられなくなる…みたいな…


限界が近い…
だけど、最近唯一の泣き場所である彼氏には、しばらく逢えません。


ここは被災地で、彼氏は国を守る仕事をしているからです。


他の場所ではみっともないと思うのか泣きたくありません。


なんか本当の信頼関係と心の繋がりを三年で築いてこれたのだなと、得たものは大きいと思います。



世の中なにがあるかわかりません。


でもそのときまで、全力で愛する人を大切にしようと思います。


この気持ちをしらない人は可哀想だと思います。


愛されて愛でられて育てられることは当たり前ではないと知っている2人だからわかる気持ちだと思います。





だからやっぱり、もうしばらくは歯を食いしばって、被災地であるばーちゃんちの復旧作業にのぞみたいし学校もしっかり単位をとらなきゃいけないと思います。



次泣くのはやっぱり彼氏の前にしよう。


1ヶ月頑張ります。