ヴァージニア・サティアの「権利の目録」
1.誰かが私のすること、言うこと、考えること、感じることを嫌うからといって、自分に罪の意識を持つ必要は無い。
2.怒りを感じたり、反射的に怒りを表してもかまわない。
3.意思を決定する際に全責任を負う必要はない。特に、他の人々が責任を分担し合っている場合はそうである。
4.「わからない」と言ったとしても、自分がばかだと思ったり、罪を感じなくてもよい。
5.「知らない」といっていい。
6.「ノー」と言っても罪の意識を持つ必要はない。
7.「ノー」と言ったからといって、謝ったり言い訳する必要は無い。
8.他人になにかしてもらう権利がある。
9.他人から頼まれたことを断ってもいい。
10.他人にいいように操られたり、指図されたり不公平な扱いを受けたと感じたら、それを相手に告げていい。
11.負担が増えそうになったら、悪いと思わずに断わっていい。
12.他人の行動に悩まされたら、それを相手に告げていい。
13.あくまで正直であっていい。
14.自分の過ちに対して自分が責任をとることができる。したがって、間違いを犯してもいい。
15.すべての行いを、みんなから好かれたり、賞賛されたり、尊敬される必要はない。
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上記は、インターネットを使用して地元の精神科を探していたときに見つけたものだ。
どうしても自己嫌悪や自己否定を止められなくなったときに、この「権利の目録」を書写するようにしている。
先日、外出したときに母が部屋に入って書写用のノートを読んだようだ(場所が変わっていた)が、きっと噴飯しただろう。これだけ回りに迷惑をかけているくせに、この期に及んで何を言うか、と。
しかし、実際にこの権利を行使するか否かは別の問題だ。おそらく、この「権利の目録」を必要とするような人は、頼まれごとを断ったり、他人の行動を不快と伝えるようなことはないだろう。
では、この「権利の目録」の意味とは何か。
「~してはならない」「~しなくてはならない」という強迫観念に囚われている人たちは、膨張する自責感に苛まれ続け、やがて崩壊する。そんな人たちにとって、「~してもいい」「~しなくてもいい」という赦免は、過剰な強迫観念という内圧を排出する安全弁となる。この目録は、そんな安全弁なのだろう。
この目録を掲載しているサイトは多いが、悩める人の目に触れる機会が少しでも増加すれば良いと考えるので、本ブログにも転載する。
サムライの憂うつ
おそらく「コバルト・ブルー」の感覚で創作したことばだと思うのだが。
”the baby blues”で「産後のふさぎ込み」を表すように、”blue”には憂鬱という意味合いがある。
和製英語としても「マリッジ・ブルー」「マタニティ・ブルー」という表現の知名度は高い。
決定するときに、誰も突っ込みを入れなかったのだろうか。
他国語に親しむのは良いことだと思う。
しかし、何でもかんでもカタカナにしてしまう風潮はあまり好もしくない。
日本語にも綺麗な響きのことばは多い。色の和名にも洒落たものがたくさんある。
だから侍瑠璃、侍群青、侍露草、侍縹と言い換えて……いまいちか。
ネズミ算
子供は木の股から産まれるのではないわけで。
ニートが一人居れば、健在か否かを問わずその親が二人居ることになる。
(兄弟揃ってニートの家庭などがある可能性があるから、乱暴な計算だが)
現在、約70万人のニートが居るようだ。
言い換えれば、ニートへの対応能力がない人間が倍…140万人は居ることになる。
計上する人間を社会へと拡大すれば、この数はいくらでも増やせる。
そう考えたら、「うちの親だけがダメなんだ」という思いこみがすっと消えた。
それで親が変わるわけではないけれど、恒常的なストレスがひとつ減るのは嬉しい。
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相変わらず
投稿する記事がないまま、三ヶ月が経過した。
本は連続して20頁程度読むのが精一杯で、読み終わる頃には内容を忘れている状態。
ひらめきも憤りもなく日々は無感動に過ぎた。
変化がない自分を棚に上げて言うのも何だが、家族に理解してもらえないのは相変わらずだ。
彼らは私が溺れているのに、彼らは「ふざけるな、真面目に泳げ」と怒鳴る。
溺れているのか、ふざけているのか確かめようともせずに。
泳げと言えば泳ぎ出すと信じているのだろうか。信じているのだろう。
うずくまる人の前に立って、どこかで聞いたような言葉を並べる人間はいくらでもいる。
うずくまる人の隣に座って、ただ話を聞いてあげられる人間は少ない。
ギブミーニンゲンパワー
ニュートラ [働くことを考える◎現状に満足しない若者を応援するサイト]
こんなサイトがあったことを全く知らずにいた。しかもgo.jp、政府機関のURL(クレジットを見ると内閣府の企画のようだ)である。ニュートラというサイト名は”ニュー・トラバーユ”の略だと思い、今時”トラバーユ”なんて死語もいいところだろうと思っていたら”ニュートラル”の略だそうで。働くことに対してニュートラルな立場とは、どんな状態なのだろう。
このサイトを知ったきっかけは、このサイトが開設された意義”ニートとフリーターの正社員化支援”とは遠くかけ離れたところにある。「50の質問であなたの性格を分析します!」とうたう、適正・適職診断というコンテンツが巷で話題になっているようなので、試しにやってみようとアクセスしてみたのだ。
> 仕事 人間関係が重視される組織には向きません
> 性格 自分の価値観や夢のなかに閉じこもってしまうタイプです
> 恋愛 あなたが考える理想的な恋愛は現実にはまったく存在しない物語の世界です
…見事、政府にダメ人間認定された。
”特に向いている職種”も、「今日からなりまーす」と言ってなれるものが一つとしてないのは政府の陰謀だろう(政府が専門職の増加を促したくて、このようなラインナップになっているのかもしれない)。ただ、図書館員・翻訳・執筆業・著述業あたりに興味がある(残念ながら「自分にはこれしかない!」レベルの熱情を抱くには到らない)のは事実で、この診断の結果には概ね納得することができた。友人にもこの診断を受けてもらったところ、笑ってしまうほど的確な結果が出た。オモチャのような見かけに反して、出来は意外と良いようだ。
さて、同じく政府機関である厚労省もこのような企画を行っている。
深読みすると、「若者には人間力がない=若者は人間ではない」とも受け取れる。では非若者はさぞかし人間力に富んでいるのだろうと思うが、そんな人たちが主導している社会で人間力のない若者が量産されているのはこれ如何に。
しかし、本題はそこではない。私が言及したいのは、先ほどの”ニュートラ”内の適性診断の中の設問なのだ。
「自分の恋人の浮気を許せない」
「自分より恋人の都合を優先しても、それほど苦ではない」
「恋人がウソをついても、小さなことなら許してあげる」
厚労省さん、世の中に「年齢=恋人居ない歴」の人(誰とは言わない。断じて誰とは言わない)が居ることを知らずにこんな無神経な質問をする、”人間力”の足りない人が内閣府の中に居ますよ!
