こんにちは門左衛門です。
今日は算数のお話。

保険や検索サービス、広く言うならばビジネスにおいて活用され、学校教育においても必修となっている資料の活用(統計)の授業を見てきました。

対象は小学校6年生
内容としては
・ゲームを行う
・ゲームの点数によってランク付けを行う
・事前テストにより得られたデータを基にランク分けの点数を設定、その妥当性を考える

というものでした。(特定怖い)
統計の授業、というとどうしても手法の習得に偏り、実際にデータをとったり、それについて吟味するという事はあまりされていない印象でした。

しかも授業数をそんなに多くは与えられない単元とも感じていたので、今回のような、データをとるところから自分達で行い、分析、設定、そして議論となるとかなりの授業数が必要だと思われるので、先生のこの単元への熱意を大いに感じました。

授業の展開としては、設定した点数の妥当性を再度考えたり、統計処理(今回はヒストグラム、表、平均)から考えられるよさについて理解する、というものでした。

子ども達の意見、非常に面白いですね。グラフ、表、代表値、様々な視点から議論が繰り広げられていました。アクティブラーニングってこういうのに使うんであってやたらめったら使おうとするアカン教員は今回の授業を行った先生の爪の垢を煎じて飲ん(ry

もちろん小学生ですから、感情的な意見も出てきます。低学年には厳しい設定だとか、ランクの価値を下げたくないから高めに設定するとか。けれどもそういう意見って人間だからこそ出るものであって機械では出されない意見なのでそちらも大変興味深かった。
ただ単に機械にやらせれば出来ることを学ぶだけではない良い授業だったと思います。


だからこそ感じたことを一言


これって算数じゃなきゃダメ?


いやほんとに、むしろ算数だけで解決しちゃうの勿体ないですよ。
もっと話したいじゃん、長期的にみてみたいじゃん、どんどん掘り下げていってもう一回データとってみたりして比べたいじゃん。
けど絶対一瞬で過ぎますよね。統計的なこと多分単元終わったら絶対やんなくなりますよね。



先に書いたように時間削られがちだと思うんです統計の単元って。中学でも高校でも、もちろん塾の授業でも一瞬で終わらせがちだと思うんですよ。

自分でも感じていたことなんです。手法だけ覚えてして問題解いてって、これで統計って名乗るんだーみたいな。もちろん手法を理解することは必要ですよ。データがもつ特性を把握していないと使えませんから。けど算数・数学でやってることって処理の部分じゃないですか。処理ばっかそんなにさせてこれちゃんと意味あんのかなぁ~他の部分に繋がるのかなぁって思ってたんですよね。今回の授業も最初は心配でした。算数で習うことだけで議論ちゃんと出来るのかなぁって。

けれども授業では明らかに算数の領域を超えた議論をされていました。感情論という意味ではなく中学、はたまた高校でようやく習うような概念まで拡張していました。データのばらつきとかに言及する子もいてやるなぁって感じです。そこで先生が「データのばらつきって数値化できるんだよ!けどここでやるには時間がかかるしみんなにはまだ難しいかもしれないから興味ある人は聞きに来てね!」みたいなこと言えたら最高だったんですけど先生も驚いてたのでそこまでは気が回らなかったみたいです笑



話が逸れましたがとにかくこれで終わらせるの勿体ないです。いろんな情報が飛び交い、正しいものを判断する力が年齢問わず必要になっている時代において、今回のような内容は凄く面白いと思うんです。
だからこそ、算数の中で終わらせるのが勿体ないと思いました。特別活動の内容で困っている先生方これすごくいいよ!って近所の小学校行って叫びたいくらいです。

学校は勿論教科の勉強をする場所です。それはズレてはいけません。しかしそれ以外の具体性のある事も教えなければならないとされている現状において、1つの答えが見つかったかのように思いました。


話をまとめるとこうです。
「統計を使えるようにする目的で数学で扱うの無理あるしなんなら間違ってね?」

読みづらい文章に最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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