あれは2004年の年初のこと・・・。
ある日突如、日本泳法達人の竹中さんという方に、アジアンレストランの経営を依頼されました。
これを二つ返事で引き受けて、1年間やった活動です。全部でおおよそ50万円超の赤字がでましたが、レストラン経営自体が非常に愉快な経験でした。皿の洗い方、接客の極意、戦場と化すキッチン・・・全てが懐かしいです。
ここでは子ども連れのお母さんたちの憩いの場を作る「紙芝居ランチ会」や、昭和60年代の「歌声喫茶」の再現といったの活動をやりました。
お店でアルバイトをしていた学生さんたちが7名ほどいました。バトン部の女子がいました。で、僕がバトンを習っているうちに、バトン部を創ろう!という流れに。閉店後の深夜、4人ほどでバトンの練習をしたりしました。遠征と称して鞍馬山でバトンの練習をしたりもしていました(笑)。みなさん、今はどうしてるのでしょう。
岡崎さん(塾講師)や北條さん(画家)が初参加の活動です。現在、一乗寺にある日曜大学の寮の運営をやっていただいている寮長、高橋さんともこの活動で知り合いました。
ちょうど道路交通法が改正になった時期です。
このレストラン「我亜羅」のように、駅から離れたレストランは、アルコールの提供が難しくなり、経営に大きな創意工夫を迫られた時期でした。固定客は50名ほどいましたし、続けるのも面白そうだったのですが、2005年3月、予定どおり活動を終了。
当時、店長兼料理長だった百々さんも、もう70歳を超えています。




