府中・京王線沿線の家庭教師、戸田朝海です。
寒さが深まるごとに、受験モードも深まっていることと思います。受験生の皆さん、いかがでしょうか?
受験といえば、受験に小論文を必要とする人も、多いと思います。
作文・小論文で、
・文が上手くかけない。
・文の最初と最後が繋がってない。
・途中で何を書こうとしたのか、わからなくなってしまった。
・文がねじれる。
このような問題が出てきてしまうのは、大抵、一文が長いことが原因です。
一文の長さは、だいたい30字前後が適切と言われています。
短く書け!って言われると思うのですが、あんまり短く書きすぎても、ちょっと幼く見えてしまいます。
ブログなど、ネットの文章はまた別なのですが、紙面に書く「論文」なら、30字~40字くらいが適切でしょうね。
それで私、学生時代、この
「一文を短くする」
というのが、苦手でしょうがありませんでした。
といっても、苦手じゃなくなったのは最近のことです。
大人になってもまだ、一文を長く取ってしまう癖が抜けませんでした(^_^;)
なかなか根深いですね。
そこで、何で私は一文を短くできなかったのか?
って考えてみたんですよ。
そしたらねー、どうも「長い文章の方がいい」と思っていたからなんです。
でね、どこからこの「長い文章の方がいい」って思い込みが生まれたのかと考えてみましたら、ふと思い当りました。
教科書に載ってる文章や、試験の問題文の文章って、一文がすごく長いですよね。
中学はまだしも、高校生ともなると、ものすごく一文が長いです。
しかも、難解で回りくどいw
そういう文章を普段から読んでいると、
「こういうのが、いい文章なんだ」
と思い込んでしまいますよね!
そして、私はそれを忠実にモデリング(模倣)してしまった、と。
なるほどー(^-^)
でも、おかしいですよね!
授業では、「こういう難解な文を読めなければいけない」と教えておいて、自分で書くときは「読みやすいように簡潔に書け」なんて。
と、ずっと思ってたんですけど、謎が解けました。
この二つは「目的」が違うんですね。
教科書の文章は、「読解力」をつけるための文章。
自分が書く「作文・小論文」の文章は、相手にわかりやすく伝えるための文章。
受け取る力と、伝える力。
それぞれ、反対の力をつけるためのものなので、要求されるものも、当然反対になるのでした(^^)
ボールに例えると、ピッチング練習のときには、正確にストライクゾーンを狙って投げなければいけませんが、守備練習のときには、敢えて取りにくいボールが飛んでくるようなもの。
そう考えると、納得がいきました。
確かに、こちらが受け取り手の時には、難解な文章も読み取ることが出来て、伝えるときには、わかりやすく正確に伝えることができる。
これが出来たら、一番いいですよね。
最高のコミュニケーション力です。
そう考えると、何のためにしているのかわからなかった授業も、試験科目も、後々役に立つことだったんだなあ、と実感できますね。
受験生の皆さん、今は「合格か・不合格か」しか見えていないかもしれません。
今はそういう時期ですから、それでもいいです。
でも、今やってることは、これで終わりじゃない。
無駄になることではない、ということを、覚えておいて欲しいな~と思います。
あと少し、精一杯がんばって下さいね!
戸田朝海でした(^^♪
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