1500年代「土佐だった」国は江戸期には「地方」と言う場所になる。しかも、
徳川所長がどっかから連れてきた管理職が「日本一のゴマすり侍」山内一豊。
実績もプライドもある長宗我部の遺臣に「従え」と言っても多分ムリな相談。

能力も人望も無い上司が部下を管理する最後のアイテムが「人事権」。
土佐藩の身分制度の厳しさと城の過剰さは結局「指導力不足」の裏返し?

「ポスト」が手段でなく目的化した「小さい」人材が取り立てられ、
代を経る毎に矮小化してゆく、言わば「人材のデフレスパイラル」。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-高知城紅葉

大手門と天守が現存する唯一の城とのこと。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-大手門石垣

浦戸城から運ばれ再利用された石垣。地方行政の為の「ハコ物」の礎石になるとは、、。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-高知城天守閣

天守から、はりまや橋方面。(この2枚は6月撮影)
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-天守から6月

12月は「龍馬伝」の便乗企画、夢灯籠。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-夢灯籠

そんなに寒くない。歩くのに丁度良い感じ。やっぱ高知は良いわ。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-夢灯籠2

外敵との戦では無く藩内のテロ対策用の堀。ハード的にどんなに立派であっても、
インチキな理由で建てられ、ソフト面が備わっていない城は空虚に見える。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-高知城堀

土電、枡形駅近くの堀。亀や魚や鴨がうようよ、、。半袖で散歩。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-枡形亀

太陽活動を反映するという太陽黒点の数(赤線)と、太陽風が強くなると「減る」と
いうベリリウム同位体の年次プロット(青線)。氷河の中などから採取したとの事。
太陽活動が極小になった数年後に気温低下が起こり、不作になるという説がある。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-太陽黒点

応仁の乱の頃がやはり最悪。1500年代前半も厳しい。土地に恵まれない武田信玄などは
略奪の限りを尽くす。江戸期に入ると回復傾向。が、数十年をかけ回復したと思ったら
太陽活動は低下し飢饉を起こす。下手に人口が増加するとその後の飢饉が余計きつそう。

しかも藩支出の半分は江戸屋敷で消費され、参勤交代の費用も含めると地方財政は破綻。
江戸時代を「地方分権のモデル」とか「江戸文化が華やかだった」と称するのは稚拙過ぎる。
農奴制と地方のエントロピーの蓄積で辛うじて維持されたのが100万都市「江戸」。

日清戦争ぐらいまでの戦争や侵略は殆どが飢饉に押し出されてのことの様に見える。
腹が減って死にそうなので他人のものを奪う、という最も「根源的な」行為。
子供だましの大義も、取ってつけた様な言い訳も必要ない。

が、1910~1920年代にハーバー・ボッシュ法でアンモニア合成が可能になり
「空気から肥料」が造られるようになると戦争動機は「食料以外」に転換される。
不正直な戦争を維持するために様々な「セット」や「脚本」が用意されてゆく。