高知滞在中の私の最大の発見は奈良時代以前の土佐への交通・物流ルート。
これにより空海に関する私の疑問が1つ解けた気がする。
718年に野根(現高知県東洋町)から奈半利(なはり)に至る養老新道が整備されるまで、
畿内からであれ、北部九州からであれ土佐に行くルートは伊豫か宇和島を経由し、
幡多(旧中村市)から土佐国府にいたる「遠回り」をせざるを得なかったらしい、、。
瀬戸内海は、黒潮や対馬海流の様な一定方向の海流は無いが、潮の干満により定期的に
潮流が「反転」しており、潮と風を利用すれば「登りも下りも」自由に効率よく移動できるらしい。
数百年以上、畿内と太宰府、さらに朝鮮・大陸を結ぶ「文明の高速道路」だったかも知れない。
海上保安庁の潮流予測によるとキッチリ6~7時間おきに外海から海水が流出入し、
潮の流れが反転している事が判る。しかも1~2ノットはざらで、時速3km前後の速さ。
数tの大荷物を1日に10km以上移動させられる航路が発展したのは必然という気がする。
ちなみに潮流がぶつかる「相転移」ポイントが「崖の上のポニョ」で有名な「鞆の浦」との事。
結局、当時の大多数の人間の感覚では「伊予の向こうに宇和島があり、さらに遠くに幡多があり、
その、さらに向こう側に(あるらしい地の果ての国)が土佐、、、」という事になる。
九州や山陰、あるいは東国よりも「遠く」しかも「特に用のない土地、、」といった感じか?
その土佐国府の「最も奥」にあるのが奈半利(なはり)。現在、くろしお鉄道の終点。
くろしお鉄道の(展望用)デッキ付き車輌。奈半利から室戸まではさらにバスで小1時間。
川之江から高知に山越えで至る「北山越え」が開通したのが796年。空海が室戸岬で修行した
「ことになっている」のが丁度その頃。(箱根より険しい)高低差1000mの養老新道を
通ってでも迂回する室戸岬は恐らく当時の「最後の秘境」という位置づけ?。
中岡慎太郎の実家も「養老新道(野根山街道)沿い?」という感じ。
室戸の海。磯釣り客多数。足を滑らすと助からなさそう、、。
室戸の猫。愛想が良い。毛並みも良い。ちょっと小綺麗な感じ、、。
ジオパークに選定された地層にもたれて、くつろぎ中、、。
もっと言えば「地球が平面で、毎日新しい太陽が出てくる」と信じ切っている大衆を手玉に
取るには、最も遠く、太陽の領域に隣接している「室戸岬」は極めて絶妙な道具になる?
岬近くにある御厨人窟。
入り口は狭いが中は結構広い。けど当然暗い。
洞窟から海を眺めた様子。多分当時からこんな感じ?、、。
私は空海は相当頭が良い人間だったと想像している。
「権威やブランドに弱く、自分で検証せず、かつ周囲に流されやすい」この国の世論形成を
熟知しているし、官僚機構の利用の仕方も判っている気配を感じる。勿論「修行」などという
非効率、不確実かつムダな事に時間を費やすはずがない。
不思議だったのは、それ程頭の良い空海にしては「室戸岬で修行した。奇跡が起こった。」
というウソは「お手軽すぎる」感じがしていた。が、今回現地に行き(北山越えの開通など)
当時の空気を想像することで、逆に「絶妙な設定だった?」と思える様になった。
設定ポイントは誰もが想像できる範囲の「ちょっと外側」ぐらいが適切なのであろう。
例えば「南米最南端のホーン岬」では当時の人間の想像力を越えすぎてリアリティーが無い。
逆に「九州や京都の山奥のどっかの寺」では世間に近すぎて付加価値がない。
現在の癌治療でもインチキ広告のキーワードは「遺伝子突然変異」とか「自己免疫力」とか
「米国の研究所」とか、である。まあ1000年後も似たような感じかも知れない。
これにより空海に関する私の疑問が1つ解けた気がする。
718年に野根(現高知県東洋町)から奈半利(なはり)に至る養老新道が整備されるまで、
畿内からであれ、北部九州からであれ土佐に行くルートは伊豫か宇和島を経由し、
幡多(旧中村市)から土佐国府にいたる「遠回り」をせざるを得なかったらしい、、。
瀬戸内海は、黒潮や対馬海流の様な一定方向の海流は無いが、潮の干満により定期的に
潮流が「反転」しており、潮と風を利用すれば「登りも下りも」自由に効率よく移動できるらしい。
数百年以上、畿内と太宰府、さらに朝鮮・大陸を結ぶ「文明の高速道路」だったかも知れない。
海上保安庁の潮流予測によるとキッチリ6~7時間おきに外海から海水が流出入し、
潮の流れが反転している事が判る。しかも1~2ノットはざらで、時速3km前後の速さ。
数tの大荷物を1日に10km以上移動させられる航路が発展したのは必然という気がする。
ちなみに潮流がぶつかる「相転移」ポイントが「崖の上のポニョ」で有名な「鞆の浦」との事。
結局、当時の大多数の人間の感覚では「伊予の向こうに宇和島があり、さらに遠くに幡多があり、
その、さらに向こう側に(あるらしい地の果ての国)が土佐、、、」という事になる。
九州や山陰、あるいは東国よりも「遠く」しかも「特に用のない土地、、」といった感じか?
その土佐国府の「最も奥」にあるのが奈半利(なはり)。現在、くろしお鉄道の終点。
くろしお鉄道の(展望用)デッキ付き車輌。奈半利から室戸まではさらにバスで小1時間。
川之江から高知に山越えで至る「北山越え」が開通したのが796年。空海が室戸岬で修行した
「ことになっている」のが丁度その頃。(箱根より険しい)高低差1000mの養老新道を
通ってでも迂回する室戸岬は恐らく当時の「最後の秘境」という位置づけ?。
中岡慎太郎の実家も「養老新道(野根山街道)沿い?」という感じ。
室戸の海。磯釣り客多数。足を滑らすと助からなさそう、、。
室戸の猫。愛想が良い。毛並みも良い。ちょっと小綺麗な感じ、、。
ジオパークに選定された地層にもたれて、くつろぎ中、、。
もっと言えば「地球が平面で、毎日新しい太陽が出てくる」と信じ切っている大衆を手玉に
取るには、最も遠く、太陽の領域に隣接している「室戸岬」は極めて絶妙な道具になる?
岬近くにある御厨人窟。
入り口は狭いが中は結構広い。けど当然暗い。
洞窟から海を眺めた様子。多分当時からこんな感じ?、、。
私は空海は相当頭が良い人間だったと想像している。
「権威やブランドに弱く、自分で検証せず、かつ周囲に流されやすい」この国の世論形成を
熟知しているし、官僚機構の利用の仕方も判っている気配を感じる。勿論「修行」などという
非効率、不確実かつムダな事に時間を費やすはずがない。
不思議だったのは、それ程頭の良い空海にしては「室戸岬で修行した。奇跡が起こった。」
というウソは「お手軽すぎる」感じがしていた。が、今回現地に行き(北山越えの開通など)
当時の空気を想像することで、逆に「絶妙な設定だった?」と思える様になった。
設定ポイントは誰もが想像できる範囲の「ちょっと外側」ぐらいが適切なのであろう。
例えば「南米最南端のホーン岬」では当時の人間の想像力を越えすぎてリアリティーが無い。
逆に「九州や京都の山奥のどっかの寺」では世間に近すぎて付加価値がない。
現在の癌治療でもインチキ広告のキーワードは「遺伝子突然変異」とか「自己免疫力」とか
「米国の研究所」とか、である。まあ1000年後も似たような感じかも知れない。