突然ですが、皆さんはいくつまで生きたいですか?
いくつまでと訊くと、100歳という方も居れば、生きられるだけ生きたい!という方もいらっしゃるでしょう。
私は違います。
しかも、数ヶ月前に生まれ変わった日「再誕の日」と勝手に呼んでますが、その日を境に考え方が違います。
再誕する以前は、「僕なんて居ても居なくても変わらない。いや、むしろ人類全体で見たら有害な余分かもしれないから早々に死ぬべきだ。でも、死んだら死んだで葬祭費とか警察を出動させたりで迷惑をかけてしまうかもしれない。生きてても余分だし、死んだ後も余分となると、僕は一体どうすればいいのだろう」というくらいな感じで本気で悩んでました。
死んで詫びるという方法すら迷惑になるなら、どうしたらいいのだろうってね。
ここまで奈落の底みたいな考え方になるには、それはもう~色々とありました。
でも、端的に表現することもできます。
理由:成功体験が極端に少なすぎたから。
っていうのは、言い訳で...。
ホントの理由は、自分を最低基準にしたほうが気持ち的に楽だと勘違いしていたからです!
世界で一番不出来なのだから、みんなの方が上手にできて当たり前。
世界で一番努力が身に結ばないのだから、みんなの方が大成できて当たり前。
世界で一番卑屈で他人に冷たいのだから、みんなの方が人気があって当たり前。
ざっとこんなもんすわ。
いや~、今の私がこんな人に出会ったら、思わず手を差し伸べたくなっちゃいますね。
「甘えてられる時期は10年くらい前に過ぎたぞ♪」ってね。
コレ書きながらゾッとしてます。
やべぇよ、もう成人して10年くらいになっちゃってるよ。この10年親に守ってもらう期間を延長してもらってるじゃん...。
でも、今ではコレに気づくことが30になる前で良かったと、よく気づいた偉いぞ私!と本気で思ってます。
両親には、約30年分の恩返ししないとね!
話が逸れましたね、戻ります。ごめんなさい。
まぁ、つい最近まで他人に甘えて、自分に甘えて、自分を騙して生きてきたわけですよ。
ですが、今務めている職場で働くことのなんたるかというものを学びました。というか、実体験しました。
なんでしょう、お寺で修行したようなものでしょうか、それと似たような効果を実感しています。
私の上司は、職場案内時にこう仰いました。
「うちで働けば、絶対に後悔させないし、アナタの夢を全力でサポートしたい」
こんなことを言われたら、以前の私ならこう思うでしょう。
「え、詐欺かなんかですか?あの、やっぱりお断りします。もし、ホントだったとしても、その期待に応えられるような実力が僕にはありません」
実際、それを言いかけました。でも、言えませんでした。言えるわけが無い。
だって、目の前には、自信に溢れたまっすぐな目で、なんだか太陽みたいな温かさのオーラを纏っている上司がそこにいたのですから。
正直、運命だと思いました。
その上司との出会いが、ではなく。
僕が私になるには、ここしかない!今しかない!そう思わずにいられなかった。
その数ヶ月後に前職を辞めて現職に入社したわけですが、ここまではまだ卑屈な僕でした。
そこから、頑張ろう。自分の特性に合った仕事をしよう。その為なら起業だってしたいとすら考えていました。
職場の雰囲気は、アットホームでした。アットホーム過ぎるくらいにはアットホーム感満載でした。
お客様とスタッフみんなで「家族」とでも言うかのような雰囲気。仕事場というより日常って感じです。この感覚、皆さんに伝わってますかね?
なんでしょう、癒やされたのでしょうね。それだけでなく、仕事面での考え方も色々教わりました。
業務の中には、私が苦手な内容も当然ありました。苦手作業は、他人よりも時間や丁寧さが低クォリティになりがちです。
けれども、
「焦んなくていいよ。徐々に巧くなれば良い。はじめから高水準を期待する方が、おかしいとおもわない?」
このようなニュアンスの言葉をいただきました。
他にも、「トイレ掃除でもなんでもそうだけど、雑務もしっかりとこなせない人に大事な仕事を頼みたいとは思わないでしょ?だからね、起業について教わりたくて、サポートして欲しいのなら、先ずは雑務から立派にできるようになろう」
「人生の半分以上が何かしら労働に関わる時間なのに、その働くっていうことに苦痛を感じるということは、人生の半分以上を苦痛で終えるわけでしょ?それ辛すぎない?だったらさ、楽しもうじゃない。その為の心構えを教えてあげるからさ」
こういったことを沢山、懇切丁寧に教えてくださる上司がいる職場なのです。
なんなら、社長にだって、起業した時の苦労話なども聞ける環境下にいるのです。こんな恵まれた職場がありますか?
無い。無いね。絶対無い。
確かに、僕だった頃までは良いことが少なかったかもしれない。でも違うんです。少なかったんじゃ無い。ハードルを勝手に高くして、それ以下の成功体験を認めなかっただけなんです。
そしてなにより、そんな自分に甘えて、努力を怠っていたのです。
努力ができるのも才能と言います。そうではないと反対意見を持つ方もいらっしゃると思います。
私は、努力はタイミングだと思ってます。
きっと、誰にだって、生きていれば、どうしても頑張りたいと思えるタイミングが来るのだと思います。
そのタイミングと、その時の環境がマッチしたとき、はじめて人は頑張れるんだと思います。
環境は、自分で計画的に作るものと、外から来るものがあります。そのどちらでもいいのです、そのどちらでもいいから、その環境が目の前にあるときに挑戦するのです。
最後に、上司からの教訓をひとつ紹介して締めたいと思います。
「チャンスという名の前髪を掴め。その為には、常にアンテナを張っていないといけない。もし、気づくのが遅れて手を伸ばしたときに、後頭部がハゲだったらどうする?掴む場所ないでしょ」