先日、東海道線の通勤時間帯で線路の立ち入りによる緊急停止をくらいましたが、隣に立ってた女子の独り言がおもしろかったので・・・

アナウンス「お急ぎのところ大変申し訳ございません。ただ今、線路内立ち入りの為、緊急停止致しました。」

女子「立ち入るんじゃねーよ。」

アナウンス「ただいま安全確認を行っております。しばらくお待ちください。」

女子「待てねーよ。」

アナウンス「安全が確認できました。間もなく発車致します。」

女子「早く出せよ。」

アナウンス「お待たせ致しました。発車致します。」

女子「飛ばせよ。」

 

 

いかにもJKですねえw

 

どうも、今週のカシミアです!

 

前回は下ネタで終わってしまいましたが、今回はちゃんとした内容です!

いや、前回もちゃんとした内容ではあるのですがw

倫理が受験科目じゃないなら必要のない知識ですw)

 

そもそも昔の人は人間の力が及ばないそれ以上の力を神としました。

そして世界を説明する役割を神話が担ったのです。

 

 

そう、その神話。

現代の私たちからすると、なんてファンタジーで神秘的なお話なのでしょうか!

と、うっとりしてしまいますが。

そもそも昔は<真実>世の理としての基準が神話だったのです。

 

 

なぜそんな馬鹿げた話を信じてしまうのかと言うと、

ママとパパ、お兄ちゃん、お姉ちゃん、おばあちゃん、おじいちゃん

お隣さんや身の回りの人すべてが信じていたので

そんな環境で育てられたら疑う発想すら出てきません。

 

神話は、先祖代々の皆が信じてきたこと。

その『神話』を疑うことは民族の歴史、文化を否定する冒涜行為。

だから神話が間違ってるわけがない。

 

ところが、農耕を開発して食料を貯蓄し、だんだん豊かになっていくと

民族の人口は膨れ上がり、他の民族と出会うようになる。

他の民族と交流しているうちに、『全く違う神話を持つ民族』

がいるのです。

彼らも私達同様にその神話を信じている。

そこで彼らは、

『彼らは嘘を信じているのか?それとも私達が嘘を信じているのか?』

『それとも両方嘘か』

と思うわけです。

 

 

こうして人間は

『神話は、ただの空想に過ぎない…』

と気付き始めるのでした。

 

 

つい数年前まで『ゆとり教育』というものが行われていました。

往来の詰め込み教育からの脱却。

受動的に勉強しても身になる知識が乏しい。

時間を与え、考える時間を作る事で能動的な学習をしてもらおう!

それで始まったのが『ゆとり教育』だったのですが

皆さんは、経験にないでしょうか?

バイトとかで、

自分で考えて行動するより指示された事をただ単にこなす方が楽じゃないですか?

そう、時間を与えてくれた所で

余程の事がない限り、頭で考えて自ら行動する事は

とても難しいのです。

 

 

つまり、『ゆとり教育』は失敗。

ですが昔の人は農耕の作業以外に特に何もする事がなかったのです。

そうなると、自然といろんな事について考えだします。。。

 

これが哲学の世界がスタートした経緯です。

 

時間がありすぎて暇なとある人が

いきなり突然、何の脈略もなく自分が世界に存在している事に気付き

訳も分からず生きる俺という人間。

『この世界とは一体何だろう』

こう考えるわけです。

 

 

周りを見渡すと、空があって山・森・動物がいて…。

とにかく果てしない自然が存在する。

だが、なんで存在するのかはわからない。

生きるために食料が必要だが、水をあげないと作物は枯れてしまうようだ。

こう考えたわけである。

 

よく、この時代の哲学を一括りに『自然哲学』という。

それは何故かと言うと、

当時の人たちの関心ごとは自然であり、自然は驚異的な存在で

死活問題だったのだ。

だから自然の解明に力を注いだ。

 

そしてよく使われる『万物の根源』という言葉。

万物の根源の万物とは、漢字の通りなのだが

簡単に言ってしまえば…

、(万物=自然を構成する基本的な要素はなんなのか)という事。

 

 

そこで人類史初の哲学者は

 

すべての生命に水が必要であり、水がなければ乾いてボロボロになってしまう。

 

タレスは『万物の根源は水である。』

 

こういう考えに至ったわけなんです!!!!!!!!

 

 

さて、今週はここまで!

ではでは次回お会いしましょー!