暑くなってきましたね。
最近は途切れることなく作曲の依頼を頂いていて、本当にありがたいことです。
僕はそれにプラスして、普通に働いていたり、大学の勉強をしていたり、ボーカルの教師としてレッスンしていたりと、なかなかに忙しく、ブログの更新も滞りがちですが、また皆さん覗いてくださいね。
はい、いきなり言い訳で始まりましたが。
ちょっと今回は曲を載せずに、独り言をしてみたいと思います。
またシリーズにしてしまおうと思い、「独少考」というタイトルをつけました。
ルビは、この漢字3文字で、「ひとりでちょっとかんがえてみたんだが」です。笑
あんまり期待すんじゃねぇぞ!!(UV○R world風)
今日休みだったので、久しぶりに映画の「菊次郎の夏」と「BROTHER」を見たんですね。
僕はこの映画をそれぞれ5回くらい見ているのですが、北野作品は、いつ見てもバランス好きだなぁ、と感じます。(最近のはよく知らないんですが)
なんのバランスかというと、「エンターテイメント性」と「芸術性(或いは文学性)」のバランスです。
どうやら僕にとって映画や音楽、絵画などを鑑賞する時の視点としてはこの二つのバランスが一番重要なようで、例えば作品を「面白くない」と感じたとき、なぜ面白く感じないのか自己分析すると、大抵このバランスが自分好みでないということで腑に落ちるのです。
ちなみに、エンターテイメントと芸術性が並べられていることに少しの違和感を持たれる方がいらっしゃるかと思いますが、僕は「この作品はエンターテイメントに振り切っていているので、これはもはや芸術だ」という名分は、基本的に成り立たないと考えています。
6年位前に個人的に芸術性という言葉について定義してみたのですが、エンタメは突き詰めても芸術性には変容しないことが判明した(あくまでモリモトユウジ研究所調べ)のです。
逆もまた然り。
例えば、クラシック音楽の時代区分でいう近代~現代音楽(もちろん作曲家乃至その曲によるが)は、あまり好きではありません。
「芸術性」が高すぎるのですね。
そんなに独りで芸術したいなら部屋で勝手にやってろ、と思ってしまいます。
映画であれば、三谷幸喜の作品も、あんまり好きではないです。
「エンターテイメント性」が高すぎるのです。
楽しいんだけど、なんにも残んねぇな…と思ってしまいます。
一番好きなのは、「必死で磨いた芸術性を、エンターテイメントというリボンでプレゼント包装した」、くらいの比率の作品。
そういう意味で北野作品は全体として、非常にバランスが良い、と感じます。
特に上記の「菊次郎の夏」や、「HANA-BI」は抜群。
ただ、例えば同じ北野作品でも「Dolls」「TAKESHI's」とかは苦手です。
あそこまではわかんねぇな…という感じです。
で、最近作曲をしているときの自分のマインドセットを自己分析してみたのですが、例えば舞台や映画に音楽をつける時、どうやら僕は「音楽でその作品全体のバランスを絶妙にもっていけないかな」、と考えて曲を作っているのですね。
エンターテイメント性の高い作品には音楽で芸術性をプラスして、少しでもお客さんの心に長い期間引っかかる作品にならないか。
芸術性が高い作品には音楽でエンターテイメント性をプラスして、少しでもその芸術性がお客さんの心に届きやすくならないか。
もちろん、それも含めて脚本家さん等依頼主のニーズですので、「芸術性なんていらねぇんだよエンタメだこれは」、と言われればそういう曲を書くのですが、それならそれでその枠内で、必死に僕のその拘りをねじ込んでいるみたいなのです。
要するに誤解を恐れずに言えば、
「その作品を僕が好きなバランスの作品にする」ために音楽をつけている、という側面が、作曲家としての僕にとっては大きな意志として存在している、ということなのです。
勝手なことすんじゃねぇと思った監督さんや脚本家さんもいらっしゃると思いますが…ごめんなさい。
でも、勝手にそうしちゃうんだもん。笑
ただ、言い訳程度に最後に書いておくと、表現者の表現動機には必ず、
「なぁ、俺こんなにすげぇこと考えたんだよ、お前もすげぇと思うよな?」(再びUV○R world風)
という部分があると思うのです。
森元勇司
