すこし前に、日テレ系の奇書番組『なんでこんな本出しちゃったんですか』というのを見ました。カズレーザーと吹越満さんがMCをしている。最近、本のバラエティ番組が増えましたね。

 

うちのサロンこと 小さな談話室Sも、先日、TBS系の読書バラエティ『ゴロウ・デラックス』におじゃましました。記念に貼っておきます。

 

 

↑あら、見覚えのあるお部屋。番組の主役は、あの名伯楽。教え子から芥川賞をW受賞で輩出した根本昌夫先生です。うちのサロンで小説講座をやってくださって、4年目になります。

さてさて。『なんでこんな本出しちゃったんですか』の番組でとりあげられたのは、こちら、『新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」アウトロー俳句』

 

 

 

この本をまとめた著者・北大路翼さんは、キラキラのベロアのスウェット上下という、ピコ太郎みたいないでたちでスタジオに登場。座席にカップ酒を仕込み、ろれつがあやしい無頼漢ふう。でも、表情から実は繊細でやさしい人という感じがしました。



煩悩の数だけ108句の句が掲載されているという本書から、北大路さんが選んで披露したベスト3は、

第3位  春一番次は裁判所で会はう/喪字男

第2位  駐車場雪に土下座の後残る/咲良あぽろ

そして第1位  太陽にぶん殴られてあつたけえ/翼



ご本人の句です。

飲んで、飲んで、飲んだくれて、しまいには店主にも放置されて、ひとりで迎えたある朝。一歩外に出ると、強烈な日の光が…。


聞いた瞬間「殴られるって、あるかなー?」と思いました。

同じ状況はなんどか経験したことがあります。新宿ゴールデン街。べろべろにつぶれ、ひとり寝かされた店の片隅。朝、一条の光で目が覚め、暗がりからよろよろと外への扉をあけた瞬間「おおっ…」。
まぶしすぎて目は眩み、こめかみは痛み、みぞおちはドクドクする。わかる、わかる。


でも「ぶん殴られる」ってあるかなー。言いすぎ、つくりすぎでは。デフォルメしすぎた俳句ってかっこ良くなくない?

―――ところが、後日、昭和50年代の古い詩画雑誌(みつはしちかこ編集)を見ていたら、

 

 

 

ありました。「ぶん殴られる」系が。ものすごく身近に、事務所のど真ん中にいました。
そういえば、この方も俳句をするのだった…。


私はふと思い出しました。この数年、カタカムナという日本発祥の古代物理学を勉強しさせてもらっていますが、その師匠の芳賀さんによれば、「ひふ感覚のあるヤツは“生物脳”が発達している」。
 

どういうことかというと、カタカムナ物理学では、細胞のひとつひとつに“ココロ”が宿るとしています。もっといえば、細胞核を構成する元素ひとつひとつの、さらにそれを構成する素粒子の素に、ココロの元となる微細なエネルギーが湧き出している。


だから、そのエネルギーをきちんと感受できる人間は、眼や耳や鼻もさながら、肌の感覚が敏感なんである。
「肌が泡立つ」「髪が逆立つ」感覚が鋭敏。握手をしたら、相手のエネルギーを感じてしまうような人。嵐が来る前兆を肌で感じてしまうような人。
 

芳賀派のカタカムナ勉強会は、現代の量子力学を包摂しながら、じりじりとカタカムナ物理学を解読しているのでありますが、私はこの「細胞、ココロ説」は、科学的にも正しくて、今に学者が解明してくれるのでないかと思う。
 

このひと天とつながってるなあ・・・と自分が憧れるようなアーティストは、おおむねこの肌感覚、ひふ感覚を持っているような気がします。

頭で考えて作品をつくるひとより、彼らからの交信は速い。肉的。野性的。ダイナミック。エモーショナル。そして、見るひと、聴くひとのすねや二の腕や背中をダイレクトにゆさゆさゆさぶり、泡立たせる。
 

しかし「頭」でしかものを考えられない人間は、その「ココロ」が伝わりづらくて、鈍いんですよね。交信を受け取れない。そして太陽に「ぶん殴られる」「パンチされる」感覚が、ひふ感覚としてわからなかったりする・・。
 

でも、大丈夫だそうです。こういう考察を1000も10000も積み重ねれば、遅まきながら、なんとか同じ感覚へたどり着けるから(笑)。
 

と、ここまで考えてやっと私のすねや二の腕はじーーんと震えてくるのです。恐竜なみに遅い。