先週末、高橋源一郎さんのイベントにまぜていただきました。





源様…。好きな小説家の中でも好きすぎて(とくに小説教本が好きなのですが)、

時代のエッジ15
(c)北日本新聞2013

こんな分裂病気味の記事を書いたことがあります。短い中で源様のことを伝えたすぎてつゆだくだく、ごはんが容器から溢れて食べたくない感じ。自分は得てしてこうなのですが、、


つい数日前、「もう賞とか売るとかはどうでもいいから、これが書けたから、もう死んでもいいかも」と思える、自分の弱みをさらけだした、みっともない小説を書けました。というか以前に書いたものを書き治した。その数時間前に源一郎さんイベントに行ったからだと思います。




デビュー作を書くための超「小説」教室/河出書房新社


↑こちらの出版イベントが、下北沢の書店B&Bでおこなわれたのです。参加者が40人くらいの極小イベントだった。源様、あいかわらず威張らない感じでステキすぎるわ・・

今回の新著は、文学賞の選考委員という人がなにを考えて選んでいるのかを、こっそり教えてくれる本ですが、源一郎さんは、著書の中身にはそれほど触れずに、とびきりおもしろいゲームを用意してくれた。なにをしてくれたと思います?

「文学賞の選考委員ごっこ」目



参加者に「候補者A~Iさん」の冒頭1000字程度の「候補作」が配られ、そのなかから「B&B大賞」をえらびましょう、という趣向でした。

じつは、年齢・時代はまちまちながら、すでに文壇で大活躍している作家たちの、それは「デビュー受賞作」集でした。

(A)は シマダマサヒコ君の『優しいサヨクナントカ』とか、
(B)は タナカヤスオ君の『ナントカのクリスタル』とか、
(C)は オオエケンザブロウ君の『死者のナントカ』とか、
(D)は タカハシゲンイチロウ君の『火星人ジョンレノンナントカ』とか、
(E)は ムラカミハルキ君の『風のウタをナントカ』とか、
(F)(G)(I)は わかんないなあとか、
(H)は、ヨシモトバナナ君の『キッチン…』だとか(伏字になってない)、

に、

似ているなあと思ったけれど(笑)、そのことは考えないように選んでみた。

選考委員になりきって候補作を読むと、ある傾向があるようで、このB&B文学賞は「語る力」を主眼に置いた、「語る文学賞」ではないかという気がしてきました。

そうすると、候補者(E)君は、デビュー前なのに語ろうという覚悟があり、それをあまねく伝えようとし、できれば救済できたらという願望もありそうながら、とっても謙虚で、軽さの後ろにユーモアがあって、新鮮に見えました。(これに似たムラカミなんとかさんという作家は、そんなにファンではないのですが)

そして、
【★国会議員がハッコーイチウなんて発言しヒミツホゴホーゲンパツサイカドーシュウダンテキジエイケンとこのクニがある方向へすごく偏ってっているらしいことに大きな疑問を投げる人がいてほしい】と(私が)思う中で、

E君は、ひとの目を啓き、偏りを打破し、将来性がありそう。と思いました。


E君に挙手した人は私をふくめ8人いたけれど、文学賞の選考は多数決ではないそうです。

周りのひとの意見をじっと聞いていると、考えが変わり、

(疑問を投げる前に)まず現状の社会の気分をよくあらわしている作品を選ぶほうがいいんじゃないか、という気がしてきました。

すると、(C)のオオエ君のに似た候補作が、最初は古くて重厚すぎると思ったけど、この飽食しすぎて腐敗しかけかも?な時代の気分をすなおに書いてくれているのではないかと思いました。

大上段に【★】なことを考える前に、その気分を表明し、グラウンディングさせてくれる人がいないと、どう疑問をもったらいいかもわからないんじゃない? 

それで(C)君オシに変わりました。

(ちなみに(F)は柴田翔さん『されどわれらが日々』(G)は阿部和重さん『アメリカの夜』(I)は野間宏さん『暗い絵』だそうです)



最終選考では、(C)(E)(H)の3候補ほどに絞られ、結局みんなに選ばれたのは(H)でした。

「文体が新しい。自分の文体がここまでキマっていれば、あとは内容がどうだろうが勝ちかも!(源一郎選考委員長)」

という選評を聞いて、あーん と思いました。「時代のグラウンディング」とか言ってる前に、まずは「自分がグラウンディング」しないと、どうすんだ。おまえは何者なんだ。ということですね。


それで私は自宅に戻り、それまで「年相応の知性と品があるっぽく、人に嫌われなさそうな」文体で書いていた作品を、もっと、嘘ではないふうに書き直してみた。文法なんか、文章術なんかくそっくらえだわ。

すると、これ以上なくみっともない(いろいろ、絶対、むりだ…)物ができましたが、失敗した人生を生きなおすことができ、「誰に読まれなくてもいい。今年死んでもいい」と思いました。・・やっぱりまだ死にたくないけれど、

すごいヒーリングだと思った。精神科にかかっても治せない(たぶん)病気が、小説では自己治癒できる。Facebookやブログではむりなのでした。だって「42歳で女で社会人のハヤカワさん」扱いされるもんね、

作家×小学生で選考会ごっこ。みたいなこんなワークショップが日本中でもっと行われるといいのにね、

そういえば、昨日、取材させていただいたガンダーリ松本先生が、「おとなといっても、みんな本当は10歳なのよ」とおっしゃっていました・・。10歳、だよね。知恵と経験だけ山ほどくっつけた。


これまで、「今は小説を読む人より書く人のほうが多い」的な現状を、ちょっぴり揶揄気味に思っていましたが(自分もそうなくせに!)、みんな、自己治癒のために、書くのかもしれない。

誰に読まれなくてもいいと言ったけど、本当はちょっと嘘で、読まれたいから書きます。
でも書いて投稿すれば、誰か…下読みさんや編集者が読んで「ふむふむ、下手くそだけど、こういうことを想っている人もいる」とは思う。天のどっかの書庫に入るとは思う。

小説の修練生の作品を読むと、皆さんが、社会や歴史や科学や宗教や友達や家族や自分に、どんな位置でどれだけどのように怒ったり嘆いたり愛したりしているのかいないのか、かなり本音に近い感じで伝わってくる。というかぱれる。

ほんとうのことは、小説にしか書けない。小説に書くと(読めるひとには)ほぼぜんぶばれる。ばれるけど気持ちよすぎる。だから小説が書けたらやめられないのだと思います。



デビュー作を書くための超「小説」教室/河出書房新社