ずーっと読んでみたいと思っていたんですけど、

『小さな恋の展示会』開催中の渋谷の書店「SPBS」で↓めだつ場所に置かれていました。




綿矢りさたん・・・。『インストール』も『蹴りたい背中』も 神経質な優等生のお嬢さんが書いたっぽい作品・・・と思っていましたが、印象が一変しました。

2ちゃん文学板とかでりさたんハアハアと言っている男子たち、下司だなと思っていたけど、

りさたんすげえ、ハアハア。

いつのまにこんな意地悪さと薄汚れた感情を効かせた作品を書く人に。…というブラックな要素は私にとっては賛辞ですが、それらをトッピングとか副食のように作品に添えるのでなく、もっと深いダシのように使われて。


表題の『かわいそうだね?』は一級品の喜劇です。

恋人が、休職中の元彼女が「かわいそう」だからとルームシェアをしはじめ・・・翻弄されるしっかり系の百貨店勤務女子。

災害とか動物愛護とか火垂るの墓とかお年よりとか赤ちゃんとかナントカに向けられる「かわいそう」心理がえぐられ、

「かわいそう」な奴なんか世界に一人もいない、だって誰かを憐れんでる自分こそ「かわいそう」だから。

という真実を、品のよい苦さと甘さと笑いでもって突きつけられます。

綿矢作品でゲラゲラ爆笑する日が来るとは思わなかった。

因みに家人は私をよく「かわいそうだね」と言いますが、同情・憐憫できる愛玩生物が好きな日本人って多いのではないかしら。


かわいそうだね? (文春文庫)/文藝春秋


後編はスペシャル級の美人で、誰からも愛される『亜美ちゃんは美人』。
そんな人の「親友」をやりながら苦痛と冷静を湛えてきた「さかきちゃん」のメンタルは、女子ならほぼ99%わかることでしょう。

なぜ、そんな超ド級の美人が、誇大妄想気味のニューエイジ系チンピラ…「ハッパ」をおやつに育ったような…C級の男と結婚するのか?

これも、多くの女子が心理がわかると思われる、ネタバレかもしれませんが、







美人でモテた女ほど、自分を好きになる男性には年々関心がなくなるというか。余計に寂しくなるところが、あるみたいですよね。


「亜美ちゃん」はチンピラと結婚し、これから苦労するのは誰の目にも明白。
学生時代に彼女に夢中になった頭のよい男が↓分析します。

亜美さんがあの稀有で特殊な精神のまま生きていくとしたら、外見はひとつの条件になる。ぼくは彼女が彼女の特殊な外見ゆえ築いてきた、築かざるを得なかった内面が好きだったんです。彼女の変わらないなにかは、変わってしまったぼくに懐かしさを呼び起こしてくれたんです。でもいま、消えた。それが切ないんです。


深いっ


たとえばSNSを私は想起させられます。学生時代で卒業したはずの「女のカースト制」が、実は中年になっても連綿と続いていますね。

賢くて美人の投稿ほど沢山いいねもついて、いい歳したイイネファン同士が何かを競うように群れる様相に、時々愕然とする人は、多いのでは。

巷では美魔女コンテストだのアンチエイジングだのと大真面目に大騒ぎして、なんか全体的に、中年になっても女を降りられない雰囲気がある。

30過ぎても40過ぎても、がんばって外見を磨いて保って、一見ぼわーんと幸福そうな美人写真がアップされるたび、

そこに内包される二次元っぽい充足感・変わらぬ豊かさ・オートマティックでかわいい鈍感さに、私たちは安心し喜びたくなる。

そこでは老いの寂しさや負の感情や世間に汚れちまったオレの悲しみ、は薄められるから。

いや、美人写真だけではなく。すてきなランチやディナーや、楽しい飲み会や伴侶や家族思いやお仕事充実してる写真がアップされるたび起こっている現象も根は同じ。

もちろんそんなカーストに私もドップリ組み込まれています。でも、そういうのって、全然悪くない。自分も誰もが「かわいいそう」なカーストの裏で、私はときどき無性にこころを打たれることがあります^^

そんなことを、一段深い愛で描かれているのが、この弱冠30歳くらいの りさたんが描いた小説です。愛があります。



「亜美ちゃん」がチンピラ男と結婚して不幸になるのを止められるのは、大親友の「さかきちゃん」だけですが、

さて、美人で鈍感の友達に苦しんできたさかきちゃんは、どうする?