久しぶりに林真理子さんのエッセイを読みました。売れているそうです。

しかし読者は、本書を届けたい(と思われる)若者より、私ら往年の林ファン…おばちゃんが多い気がします。

野心のすすめ (講談社現代新書)/講談社

¥777


---「低め安定」志向の人々がいくらなんでも多すぎないか。若者は自分に与えられた時間の限りが想像できず野心がもてないのではないか。林さんは案じます。


一流と呼ばれる人々の考え方と暮らし方を知ることもなく、三流差別を悔しいとか羨ましいとさえ思うこともなく、三流同士でぬくぬくと群れる。そこには何の内省も成長もなく、

「ユニクロとワンコイン牛丼があればいいや~」それが一生続くような錯覚と平和ボケが蔓延する社会は、それは脆弱になるでしょう。

現代っ子の恋愛欲、結婚欲、性欲のうすさと野心の希薄さは結びついている……。その通りだと思います。

本書には、野心と努力と運が回る秘訣など、「野心」の価値が様々な局面から説かれ、こんな時代だから人生を向上させようというメッセージが溢れています。



しかし、右肩上がり時代の我らおじおばの尺では、本当に価値観が論じられない時代になったと思います。現代っ子は、生まれつきモノに困らないという、人類史上はじめての時代を生きているんだもの。

その「モノ」がユニクロ牛丼コンビニであったとしても、狭い宮廷(周囲)のほとんどが同じレベルなら、「牛丼がなければ100均のおかし食べればいいのに」ぐらいしか思わないんじゃないかしら。歳をとっても。

言い換えれば、今の若い子にとっては「最初から老後」みたいなもの。
やれやれー何とか何不自由ない衣食住がそろったわい、と先祖が安堵してきた状況が、生まれたとき既にあった。
どうやって「それがなくなるかもしれない」とか「もっと欲しい」と思えるもんか。



先日、「社会貢献をしたい」今の若者たちの様子が、TVで特集されていました。

……目をギラギラさせて異業種交流会で名刺を配り、イイ女・三高男がほしい、ブランドものや車、高給マンションや会員権がほしい、おしゃれビルに会社を構えたいと、みんながハアハアしていた時代は、今の子にとってはアウェイ。

起業といったら、あのTABLE FOR TWOのような社会起業をめざす人が星3つとされ、大学でも「どんなボランティアや社会活動をしている?」が、充実度の決め手とされる。

「いささか点数稼ぎの局面もあるかもしれない。今どきの学生には“社会貢献しなければならない”空気もあり、気の毒」というような事を、亡きジャーナリストの山本美香さんが仰っていました。

そうね、ひたすら怠惰に遊び呆けるのも若者の特権。若い内にあほにならなきゃいつやるんだろ。



でも、若者から遊びどころか、色気や山っ気、野心を奪ったのは、ほかならぬ右肩上がり時代を謳歌した世代。

若い子たちは、欲望大放出のあげく日本中を不必要なモノだらけにした私達のツケを払っているんじゃないか。帳尻あわせをしているんじゃないか。

飽食・電磁波・放射能・添加物づけになって生殖能力、野心、物欲を低下させ、無意識に集団的社会的アポトーシスし、日本を縮小させることで、ひいては環境を維持しているんじゃないか、とすら思えます。


「一人一が仕事を頑張らず寝ていてくれれば、地球環境は良くなる」とぶつのは、あのサティシュクマール長老です。

それを若者は集団的触覚で感知しているような気がします。
「“いい暮らし”をめざすって、なんか違う」

格差に障壁を感じる心すら育っていない世代の耳には、「この世の90%の富は10%の富裕層が牛耳ってる」だの「格差ミジメ」だのといくら力説しても、念仏。




しかし彼らには、これまでの世代にはあまり理解できない野心が生まれているんじゃないかと思います。

「地球を良くしたい」という野心。

モノも金もエロスもそんなに要らない、立ちあがりたくない。なんでだろう。世の中ぜんぶピークだし、壊れてるからじゃん。だけど壊れた地球を直すためなら、なんか立ちあがってもいい気がする。なんかやる気が出てくる。

それって、

①「地球を良くするための“苦労”をすれば、この世の中ダメ感を打ち破ってもっと幸せになれるかもしれない」というニュータイプの焦りと言い換えてもいいし、

②「善いことをする上級市民として、地球環境のことを考えない人々を導きたい」という、新しいカタチの上から目線とも言い換えられるし、

③「生まれつき(三流だとしても)衣食住にこと足りているので、競争ではなく協力に向かいやすい」志向の発露でないか。

それが新世代の野心。


ほぼ②しか理解できない我々おじおばんは、「偽善?」というワードを使っていぶかしがるわけです。

こういう気運からは、突出したスターやリーダーは生まれにくいし、一時的にもてはやされる人・物が出ても、オセロの白黒のように入れ替わる。ついでに言えば世界政治経済においても「陰謀論」呼ばわりされるほどのフィクサーや決定的・恒常的な策なんてもはやなくて、すべての物事が流動的になっているよう。ネット社会ゆえんです

アベノミクスがもうオセロの目みたいになってるじゃないですか。

かくしてネットやSNSという「網」を駆使して繋がり、緩く助け合う「新世代のムラ」型のビジネス、グループがこれからも増加するのだと思いますが、

そういうことをめざす野心、①と②と③がバランスよくシーソーしていれば、私たちが危惧するほどの悪い結果にはならないんじゃないか。




で、新世代野心をもつ子達が、10~20年後、社会の中心になってきたときに、もしも私がまだ社会に出ていたら、きっと聞かれるわけ。

「おばさん。仕事されてきたのはわかりました。で、地球環境のためには何をしてきたんですか」

発酵酒場じゃだめかしら(・・)。