何もない空間に立つ。
そこに天地が生じる。
眼差しをまっすぐに向けると前後の感覚が生まれ、
同時にそれは過去と未来という時間のイメージに置き換わる。
両手を広げるとそこに左右の感覚が生まれ、
同時に善悪や優劣といった二元性の概念が
身体性を伴ったかたちで補完される。
私たちの意識は
このようにして設定された座標のある一点を選択することで生じる。
その意識は、エゴと言っても良いだろう。
過去の後悔も、
人生の目的も、
今日の食事の選択も、
あなたの友人に語りかける言葉も、
靴下を右足から履くか左足から履くかといった日常の動作に至るまで、
私たちの思考はどこまでもこの座標から逃れられない。
内部をエゴに差し貫かれ、外部をエゴに包囲されたこのフィールドにあって、
私たちはいつしかそんな問いかけさえ不毛なことのように感じ、
麻酔的な日常に身を委ねる。
だがかつてこの生死を取り囲む壮大なトリックに挑んだ建築家が居た。
荒川修作。
岐阜の養老町に
養老天命反転地というのがある。
wikipediaより
私たちの身体に条件づけられた
時間と空間の認知のパターンを解体し、「反転」させることで、
生死の条件すらも乗り越えようとしたアーティスト。
ごつごつした地面に不意にバランスを崩す瞬間に、
走馬灯のように脳内に人生のシーンが再現されるであろうことを想定し、
彼は時間と空間のディメンジョンを延長し、拡大させた。
かつて一度だけ、彼の講義を聴きに行ったことがある。
若い建築家やアーティストを前にして
マイクを握り、
「君たちのなかで"雰囲気"とは何か、答えられるものは居るか」
と問いかけ、
そのあと回転椅子をくるっと翻して背中を見せ
「いいかい、これが"雰囲気"だ」
と言い放った。
呆気に取られる聴衆を前にして
まるで意識の消失点のような
説明も解釈もしようもない背中が、ただそこにあった。
彼の創作は、私たちの惰性に充ちた日常と
エゴのパターンについて問いかけ、
ついには破壊することを意図していたように思う。
「サナト・クマラ覚醒ヒーリング」
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