元不登校生が公立中学に実習に行ってみるブログ

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公立中学校不登校経験者が、公立中学校に教育実習に行ってみる様子を書きます。

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私は元々集団生活に向いていない。


それを強いられるのも強いるのも嫌いだ。


それが人間的に欠陥だと言われても生まれつき苦手だから仕方ない。


だから閉鎖的な空間でまとまりとか協力とかを強いるのが本当に苦しかった。


ただそれがマジョリティにとっては当然で、一番快適なのだから仕方ない。


社会を回していくにはある程度「基準内」に収まる大きな母集団が必要で、一人ひとりの個性を本当に尊重していたら本来は社会が成り立たなくなる。

だから何となく無限に広がっているように見せた「個性の選択肢」をちらつかせて子どもたちを騙し、どうにか本来的自己を失わせて基準内に収める。

たまにこぼれ出てしまったものは抹殺され、ないものとして扱われる。


教育って何となくそんな感じかなと思った3週間。
怒られそうだけど。


みんなから「実に自由気ままに好きなように歩んできたのね」と言われる私の経歴だって、別に何も苦労しないで手に入れたわけではない。

私だってこぼれ出てしまった瞬間からそれなりの努力をしてきたし、大学に入って多少の修正をきかせてからも「レベルの高い教育」を受けてきた学生よりも数倍は高い成績を残すように意識してきた。


私の教育に対する考え方は結局、現代の教育に対する反骨心みたいなものが根底にあるものだから、うまく噛み合わなくて当然だった。
それが盲点だったかな。


私は結局子どもに「個性を失え」という教育は出来ない。
それは私が私の気持ちを大切にすることで得た経験、出会えた人たち、があまりにも魅力的だから。


まあ私の人間性だって所詮は与えられた1パターンに過ぎないけど。

生徒たちとの出会いは私にとって刺激的だった。


居場所を失くした15歳の私がそこにはいた。


きらきらした瞳を持つ人たち。


多感な時だからこそ、色々なものに触れて、色々な経験をし、笑ったり泣いたりしてほしいと思った。


すごく他人事な言葉に響くのはなぜだろう。
難しい。



職員室は私にとってサンクチュアリとでも言おうか、侵してはならない領域なんだと思った。
あの空気が本当に苦手。


なぜだかわからないけれど、私は「教師」というものが本当に大嫌いだ。
それを実感した3週間。


ただ副校長先生との出会いだけはなかなか面白かったな。
あちらも珍しい変わった実習生が来たって、色々かまってくれた。

あれだけ見えすぎると、職員室で生きていくのは辛くないですか、と尋ねたら大笑いされた。
「俺が職員室が好きだと思うか?」
と言われた。
色々なものが見えすぎる人がなる職業ではない。

生徒全員分の名前とコメントを入れたプリントを配った。
きちんと一人ひとりの顔を見て全部読んだ。
耳を真っ赤にして聞いてくれる男の子や、はしゃぎながら読む女の子。
形に残らないようわら半紙で刷った。
いつだって前を向かなくちゃいけないからね。

みんなが色紙をくれた。渡してくれた学級委員の女の子が泣いていた。

私は何を残せただろう。

借りばかりが出来てしまった気がしてならない。