いよいよ 大槌の仮設に向かう。

途中 大槌駅の跡を通る。

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これが大槌駅。流されて何も無い。言われなければ駅だったことすらわからない。

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駅前繁華街。家やお見せがびっしりあった1等地。見る影も無い。

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ここでタイヤのチェーンを巻く。スタットレスでは滑ってとてもダメ。

15トン車はとても通れないので、ここに置いて、ワゴン車と4トン車で出かけることにする。

トラック何台もの駐車場がないので、食事ができない。1件あった所は予約でいっぱいと断わられる。仮設についたらお湯でももらって何かたべようかと。

ここでトレーラーのおにいさんは大分へ行ってしまう。


釜石の写真家さんのお友達が、この雪の中わざわざ来てくれました。うれし~い。

ちょっとしかお話できなかったけど、顔をみれただけでも良かった。


仮設に到着。
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この坂道をトラックは上がれない。何度も滑ってだめ。みんなで雪かき開始。

何度か滑りながら挑戦し、やっと途中まで上がる。もうこれ以上はあがれない。

ではみんなでここからは手で運びましょう。


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順番に持って、仮設の集会所に運ぶ。


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とれたての岐阜の野采です。キャベツ。だいこん・下にはたくさんの白菜。

とても評判良く、すぐに無くなる。キャベツ無いの?の問い合わせも。


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先生が作られた皮の ひな祭りの壁掛け。皮をたたいて柄を付け、色を塗り、手間暇かかってる。素敵な物

「私 お雛様流されちゃったから欲しい 欲しい」と言うかたの所に お雛様は引き取られました。大切にしてくださると思います。

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仮設に荷物を運びこむ。もうびっしり。皆さん見にみえてほしい物をもっていかれました。

みなさん家にもどり紙袋をとってみえて袋詰め。一端荷物を持ってかえり、また来る人も。


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いろいろ見てみえました。
大槌でのフリーマーケットが終わりました。

私は食べるものが無く、支援物資のお菓子を少し分けてもらって食べました。

今日はこれで終わり。1時間ほど離れた所のロッジで宿泊。でもこの雪の中、行けるかな?

夜はまともな物食べたいな。

夕食はロッジ近辺のお寿司や兼居酒屋さん。おすし屋さんなのにラーメンもあるし、天ぷらもある。おいしくたくさん食べました。

食事後 15トンはとある所に停めさせてもらってワゴン車の後ろの荷台に乗る。

ロッジの向かったのですが、道が雪で思い道理に進まず、なかなか着けません。

何度登ろうとしても坂道が滑って登れないため ロッジに行けない。ブレーキを踏んでいても滑る。

ウ~ン ウ~ンと何度もやってダメ。とうとう車は途中において、ロッジの人の迎えにきてもらうことに。

宿に着いたのが11時過ぎ。昨夜はトラックの中だったのでやっと横になって寝れる。明日朝は7時半出発。

だれも文句もいわない。
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朝のロッジ前の光景              もうすぐ日が昇る

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宿泊したロッジ                  夜明け

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                         現地の人が作ってくださったおにぎりを食べて出発
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雪げしきがきれい でも運転手さんはそれどころではなさそう


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再開後新日鉄釜石の煙     雪道


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     雪の中朝日を浴びる釜石観音              


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近くで荷物を積み替えて、15トンを置いて  鵜住の仮設へ

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途中の林                    雪道
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さあ着いた 荷物を運ぼう トラックが大きくて仲間では入れないからここからは手作業

これらはこの運送会社さんが全国から集め、ボランティアさんと仕分けして持っていらしたもの。

膨大な手が入っています。これまでに13回東北に見えて、各地でこうしてフリーマーケットをしてみえます。

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みなさん集まって見えました。        「欲しい物いっぱいあるんだけど、仮設は狭いからなあ」

私はハーモニカで「北国の春」「埴生の宿」他子供の知っている曲を演奏。「そこから時間がゆったり流れた」そうです。
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 終わると後片付け 空になった段ボールは縛って。

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その間に私は 今日仮設校舎に移る鵜住の小学校へ寸志を渡しに。

小学校は大きい。 トラックが荷物を積んで来ました。 

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校舎中央の玄関にバックから入ってきました。並んで 並んで、さあバケツリレーで運ぶぞ。

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よいしょ よいしょ 父兄も子供達も自分の学校のことなので、休みにもかかわらずお手伝い。

新しく自分達の校舎ができて良かったね。


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校長先生 こんにちは。  寸志です。新しい校舎になると、今までのように居候先の物を借りて使うわけにはいかないので、色々と物がいるでしょう。岐阜の有志の皆さんからの寸志です。どうぞお使い下さい。
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いや ありがとうございます。子供達のために使わせてもらいます。


じゃあ 私はフリーマーケットをしている仮設に帰ります。みんなと合流して、次の仮設へ



2月末 自転車を釜石・大槌に届けてきました。めちゃめちゃな雪でした。(忙しくしていて報告が遅れました。<(_ _)>)

提供してくださった方々、ただで運んでくださったみなさん、ありがとうございました。
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釜石市役所・大槌町・釜石○中学へ送る自転車。企業さんからの寄付64台と

 支援者の方々からの自転車4台みかん箱・布団・座布団・肌着j他多々


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取れたて野菜              自転車屋さんで修理済みの自転車(支援者さんから)


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さあ出発。でもすぐ夜には雪が降り出しました。        朝は真っ白

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一関インターを降りて気仙沼方面へ  瓦礫の処理がすすまないためあちこちにゴミの山

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奇跡の1本松を通って            雪道を走る

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途中でトレーラ―と合流。15トントラックと4トントラックとトレーラーとワゴン車で出発。 
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このトレーラーのおにいさんがすごい。この日のお昼過ぎ、食事をする場所も無く、どうしようと言っていた1時半ごろ、「月曜日 荷物積んで大分なんで、間に合わなくなるからこれで帰ります」と。「えっ 大分って 九州の?」

そうだそうです。金曜日1日トラックで働いてから、自転車を積んで岩手県までボランティアで来て、食事もせずに九州へ仕事に。何にも文句も無く無言でてきぱきと働いて 行ってしまいました。私 ちゃんとご挨拶もしてないし、お名前も聞いてない。お礼を言ってないのに。ありがとう ありがとう 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

          

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水辺の鳥も一緒に来るのかな  飛び立つ

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○○中学へ到着              生徒さん達も先生も部活を中断してお手伝い(雪の中ありがとう)


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誰も支持しなくてもてきぱきと自転車を降ろす。 次取って…


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釜石市役所さん分と釜石○中学の分に分けてブルーシートをかける。みなさんお疲れ。

(月曜日には釜石市役所さんからお礼の電話がありました。)

でもさっそく大槌へ。
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またまた雪道を行く 雪はどんどん降る 


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焼けた大槌小学校前の 大槌町の出先に着く。 さあ自転車おろしましょう。

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雪がひどい 自転車運ぶ間に私は雪女になりそう。   むこうから車が来ま~す。ひかれないように早く渡らなくては。でも滑って 上手くいかないです。

大槌のいつものお友達(彼女は私よりうんと若い)も会いに駆けつけてくれました。うれし~い。

こんな吹雪の中ありがとう。顔見れて良かった。

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やっと雪の中 自転車を降ろしました。  職員さんは今日は土曜日なので、本当はお休み。でも私達が自転車を運ぶというので、わざわざ出て来て対応して下さいました。(自転車のお礼のお手紙がきました)

「じゃ 後はよろしく。」「どうもありがとう。」


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じゃあ … と私はトラックに乗り込みました。
自転車を降ろしたので いよいよ仮設にフリーマーケットしに行きま~す。

いよいよ8日から岩手釜石入りします。3.11は被災者
さんと過ごします。もうすぐ東日本大震災から1年目。死
者行方不明者約2万人。避難された方約40万人。なかな
か進まない復興。岩手、宮城、福島→東日本のことは日本
のこと。みんな繋がって考えて行き(生き)ましょう。忘
れないでください。復興にはまだまだ時間がかかります。
これからは東から西へ人が動くと思います。そういう方た
ちを温かく受け入れてくれる社会であって欲しいです。関
東から福山へ移住して来たNくん家も、いろいろ揺れ動き
ながらも前を向いて生活しています。16日にはアルセに
て、14:00~と19:00~、福島の方のお話と今後
の動きについてのお話があります。こちらもぜひお聴きく
ださい。『被災地の経済活性化の為にも仮設へお米券を届
けようプロジェクト』も含め、当会への募金、支援金が8
0万円になりそうです(2/28)。第2弾、第3弾と続
けて行きます。■当会の口座→ゆうちょ銀行→記号:18
330→番号:380461 名前:岩手沿岸
の中高生女子に援助物資を届ける会(支援は中高生女子に
限っていません)私たちは、東日本大震災の3日目から、
被災地を応援して来ました。ブログ→:
http://ameblo.jp/stshena/
3月8日から、ニューヨークの友達と三回目の岩手釜石ボ
ランティアベース入りします。仮設訪問、傾聴ボランティ
アに参加します。昨日4日は、被災地支援グループの交流
会in聖園教会でした。松永商工会議所さんやライオンズ
さん、ソロプチミストさんでで被災地をお話しました。や
っと10月被災地訪問のDVDも作りました。また観てね
。アメリカの高校生が歌っている日本への応援歌がBGM
です。ステキな曲ですよ。また聞いてくださいね。201
1.6に被災地訪問後作成しました→被災地のスライドシ
ョーDVDはYouTube配信中です→《東日本大震災
に寄せて・あなたを忘れない》歌SATOHA・写真かお
りん(約5分)

11日にお届けするお米券の用意ができました!
盛岡と言えば川徳ラブラブ
老舗デパートで岩手では有名です合格
沿岸の方に盛岡で準備したというのを伝えたくてここに決めました音譜



岩手沿岸の中高生女子に援助物資を届ける会


昨日の記事の最後に「頑張れ私」と書きました。

この言葉。
実はあまり好きではありません。
この言葉をかけられる方は大概十分過ぎる程、頑張って来ている人が多いような気がします。
頑張って来ている人に頑張れと言えません。ましてその姿を間近で見ていたならなおさら。。

だから私は子供たちにもこの言葉は使わないようにしています。
「大丈夫、落ち着いて。」

「もう少しだよ。」のような代用になる言葉を探しています。

ならばどうして敢えて昨日は自分に対してこの言葉を投げかけたのか?
私はこの1年間頑張って来なかったか?
と聞かれたら…
多分、かなり頑張って来たのかもしれません。と言うか…
あまりにも現実が過酷でとにかく必死だったと言うのが 本音かもしれません。

無理しすぎ。頑張りすぎです。と言われると、

そんなに頑張ってないから大丈夫ですよ。とよくお答えするんですが…

実際、頑張ってないわけではないのかもしれません。

ただあの日、子供を抱えて年寄りを抱えて、一瞬にしてすべてを失った日。

箸1膳すらなくなってしまったあの日から、今日をどう過ごせばいいのか?

明日は?明後日は?

本当に日々、この状況の中でどうやってこれから生きていこう。

そんな切羽詰まった現実には頑張るというより、それが当たり前。そうしなければこの困難は乗り越えられない。と言う気持ちの方が強くなってしまったのかもしれません。

東北の方は我慢強くて頑張り屋さんで、と言ってくださる方が多くて本当にありがたく思っています。

きっと、他の方々から見たら頑張りすぎてると思われる私のやっていることは、頑張っているわけではなくそうしなければ生きていけないという危機感から必然的に動いているだけなのかもしれません。

そう!!

1年経っても何も変わらないんですよ。

収入は減っていく。

自分の家を建てられる見込みは見えない。

先の長いトンネルのまだ入り口に入ったばかりのような状況で頑張らなかったら…

子供たちは?

皆は?

この先どうする?

今、踏ん張って頑張るしかないんです。

自分自身、十分頑張ってきたと本音の部分では思っています。

この1年の事を振り返ればどんな場面を思い出しても泣ける自分です。

この1年は本当に今まで生きてきた中でたぶん一番必死で、一番動いて、一番頑張ってきた。

でも、この先はもっともっと過酷な状況になっていくのは目に見えています。

先日大槌町に配分された義援金の配布金額の内訳が発表されました。

震災孤児には100万円。

家を全壊、流失、世帯主を亡くした方等は2万円。

2万円ですよ。

申し訳ないけど、我が家の1ヶ月分のお米を買ったら終わりです。

家の再建にも、復興の足しにもなりません。

貰えるだけありがたい。

そう思うから、文句は言いたくない。

だけど、国や自治体からの援助は見込めないんだったらやっぱり自分たちが頑張るしかないんです。
この先、今までの1年間以上に頑張るしかないんです。

この1年はそれぞれの分野でいろいろな物を免除していただいていたので、何とか生活もしてこれました。

この先は学校費にしても、医療費にしても負担額が増えます。

収入は減っていき、支出は増える。

頑張らないわけにはいかないでしょう。

だから、あえての頑張れ私です。

ここで頑張らなかったら、休んでしまったら、歩みを止めてしまったら…

もう前には進めない。

きっと立ち止まってしまう。

がんばっぺさんがコメしてくれたように、まずは自分が復興しないと何も進まない。

気合を入れなきゃいけないのです。

1年を迎えた時に気が抜けてしまわないように…

その先もさらに過酷になっていく生活に耐えられるように…

今踏ん張っておかないと、ここから動けなくなってしまう。

ギリギリの精神状態かもしれません。

でも生きていくってそういう事なんだ!!って思います。

だから、好きじゃないけどやっぱり今の自分には…

「頑張れ私」と言い続けます。

自分が潰れてしまわないためでもあるこの言葉。

これから立ち上がっていくための気合入れなおしの言葉です。

好きじゃないけど、今使う言葉はこれしか考えられません。。。

国が思っているほど被災地の現状は甘くない!!


今朝は寒くて目が覚めました

午前6時30分、布団から出れませんもうちょっとだけー

と一人芝居して遊んで我に返りました

ヤベーベヨ

あすなろ応援便、来れるのか

昨夜、大船渡からY社長が連絡をくれました

樋口社長とはぐれて立ち往生してると

命の綱のチェーンも切れてる

『今夜はどっか車停めれる所で夜を明かすしかないかもなぁ

そう言ってるのに

『明日の道路状況はどないなるんでしょ朝8時頃なら釜石に行けますよね

この気持ちを無駄に出来ません

場所の偵察と雪かきに出発

と、その前に知り合いのお年寄り宅の除雪を勝手にやって逃げます

残念雪かきは俺様がやっちまったよーザマミロー



朝の鵜住居



岩手沿岸の中高生女子に援助物資を届ける会


樋口社長と待ち合わせてた鵜住居駅には入り込めません

仮設団地には15トン車で入れないので4トン車に積み替えする作戦

トラック二台並べれる場所を探します

三陸道の出口のパーキングで出来そうだ

仮設団地の会場の雪かき

朝から見知らぬ者が雪遊び

完全な不審者ですね

近くに豊丸と書いた軽トラ

おじちゃん

『お前ぇ、豊丸の息子が何すった

コレコレこーだ、すっぺったこっぺった(方言です)と説明

『なぬー箱崎のやず、アレまだ来るのが

ママさんダンプで雪かきを手伝ってくれました

そうこうしていると

樋口社長から

『もうすぐ着きます』コール

パーキングで積み荷の移動



岩手沿岸の中高生女子に援助物資を届ける会

仮設団地まで来るが、4トン車でも入れない

さらに軽トラで会場に運びます



岩手沿岸の中高生女子に援助物資を届ける会


※遊んでません仕事してます



岩手沿岸の中高生女子に援助物資を届ける会


配布状況は前回の記事の通り

でも、置き場の問題が大きいのでしょうね

引き取られて行く品が少ないです

『欲しいけど置き場が無いの

これは、みんな口々に言ってました

『この雪の中運んで来たんでしょそれなのに、、、、ごめんなさいね

おばちゃん、その言葉、心に刺さります

急遽、少し離れた仮設団地でも開催決定

二ヵ所同時開催

ブルーシートが足りない

大槌のホーマックに飛べ

あっちもトラック入れないよー

4トン車停めれる所あるか

地主に交渉しろ

こっちも軽トラピストン作戦

あすなろ応援便のスタッフさん

昼飯抜きで動きます

昨夜もろくに寝てないのに、、、、

この熱い気持ちって、神様はちぁんと見てるのでしょうね

どちらの配布も開場中はポカポカ陽気なんです

前回の箱崎も、マイナス気温で風も強かったのに、開始時間に風が止まり、日も差し込んで、後片付け終了時に『もう限界だぁー』って感じで強風で砂まみれ

ホントに不思議です

樋口社長の晴れ男伝説にまた1つ伝説誕生です

私は佐須に軽トラを返して任務終了

あすなろ応援便は三重まで返ります

任務の折り返し地点です

ありがとうございます、『あすなろ応援便』

物品を提供して下さった皆様、感謝いたします









昨日の応援便で凄い人に会っちゃったよー

釜石市と大槌町へ自転車を寄附してくれた『岐阜のみーたん』

震災前はネパールに学校を建設したり、施設の子に愛情を注いでたようです

『みーたん』って会えばわかるのですが、オーラがあるんです

淡いピンクの丸みのオーラが

お茶目と言うか天然と言うか、、、

お嬢様、お姫様をイメージしてください

本人は普通のパートのおばちゃんと言いますが

すでに普通じゃないですよ

でもなんか懐かしい感じ

うちの嫁ちゃんも似たようなオーラですねぇ

自転車を68台も届けたり、毎月釜石、大槌に通って小学校、中学校を支援してます

部活のユニホームとか、グランド整備に使うメジャーとか細かい所をピンポイントで

このみーたんと応援便の最中こっそり抜け出しドライブデートしちゃいました

雪の悪路を『軽トラ』でデート

軽トラと馬鹿にすんな

10万キロ走行で100万した

プレミア値段の高級車だぞ

みーたんのブログでは名前を伏せていたので(この辺りが不思議ちゃん)私も伏せますが

仮設の校舎が完成した鵜住居の小学校に(バレバレ)に引っ越し祝いを届けに行きました
12人の写真を胸に決意 被災地の高校で卒業式

「朝日新聞」2012年3月2日5時35分

http://www.asahi.com/national/update/0301/TKY201203010584.html?ref=rss






岩手沿岸の中高生女子に援助物資を届ける会


写真:避難先の学校で行われた卒業式で、級友の写真を抱いて入場する高田高校の卒業生たち=1日午前9時51分、岩手県大船渡市、林敏行撮影拡大避難先の学校で行われた卒業式で、級友の写真を抱いて入場する高田高校の卒業生たち=1日午前9時51分、岩手県大船渡市、林敏行撮影



岩手沿岸の中高生女子に援助物資を届ける会


写真:卒業生代表として答辞を読んだ平塚光さん=1日午後0時5分、宮城県石巻市の県水産高校、小宮路勝撮影拡大卒業生代表として答辞を読んだ平塚光さん=1日午後0時5分、宮城県石巻市の県水産高校、小宮路勝撮影



岩手沿岸の中高生女子に援助物資を届ける会


写真:双葉高校の卒業式で校歌を歌う卒業生たち。涙をぬぐう生徒もいた=1日午後0時19分、福島県田村市、相場郁朗撮影拡大双葉高校の卒業式で校歌を歌う卒業生たち。涙をぬぐう生徒もいた=1日午後0時19分、福島県田村市、相場郁朗撮影



東日本大震災の被災地の多くの高校が1日、卒業式を迎えた。様々な困難に立ち向かって最終学年を過ごした3年生が巣立った。岩手県立高田高校は、同県大船渡市の仮校舎で開いた。卒業生らが、死亡・行方不明の同級生12人の写真を胸に復興への夢や決意を誓った。(山西厚)

釜石からの手紙です。(本人さんの了承を得ましたので、ブログに書きます)


こんにちは。


日本のこと、釜石のことを自分のことのように思っていただいて本当にありがとうございます。

3月11日以後、津波の影響で私たちの生活はすべて変わってしまいました。

死者・行方不明者は1、100人、家屋の倒壊は4,400戸、避難者数は1万人にも及びました。災害前の釜石市は人口4万人、家屋が16,000戸でしたからほぼ人口の四分の一の市民が被害にあったわけです。


震災直後の状況は、飢えと寒さで死の世界がすぐそばに存在し、まさに極限の状態でした。

津波が襲ったのが日中ということで家族が勤務先や学校、自宅とそれぞればらばらになっていました。

ほぼすべての機関、機能が失われた街を家族の安否を求めて歩き回る人たちがたくさんいました。

何日も寝ずに目を血走らせて子供を捜す親たちの顔、不安な面持ちで親の迎えを待ち続ける子供達の顔、それらは私の心に焼き付いて忘れることができません。

不幸にもいまだに子供や親を見つけることができていない方々や飢えと寒さのために津波から助かった命をなくした高齢者の方がたくさん存在します。


私たち、市職員はほとんどが家族の安否がわからないまま、津波が襲い掛った市役所に居残り、懸命に災害対応をいたしました。自宅を津波で流された職員、家族を津波で失った職員ももちろん存在しますが、誰一人自分の持ち場を離れませんでした。自分の人生の中でこのような状況に遭遇することなどまったく想像していませんでした。

瓦礫で車輛が通行できないために担架でご遺体を安置所まで運びました。たくさんのご遺体が収容された施設で、ご遺体に対面されたご家族お方のたくさんの涙を目のあたりにしました。

現在、避難されている皆さん全てが、仮設住宅に入居を完了し、新たな再建の1歩を踏み出そうとしているところです。

しかし、市の機関産業が津波の影響を受け、従業員を解雇、閉鎖に追い込まれている現状で、市民が明日への漠然とした不安を抱えています。


この災害の後、私たちはたくさんの悲しみの涙を流しました。

悲しい涙はもういりません。


             今、私たちが一番必要なのは「夢と希望」です


震災後の極限状態の中で私たちを勇気づけてくれたのは、物資と共に送られてくる皆さんからのメッセージでした。

私たちは一人ではない、世界の人々が私たちのことを考えてくれる。

私たちは見捨てられたわけではなかったんだ…と思えることが幸いでした。


現在、被災地は皆様の暖かい善意のおかげで食糧などの援助物資は、十分にございます。

今、被災地に最も必要な援助物資は「夢と希望」です。


みなさんが私たちを忘れないでいてくれたら、きっと「夢と希望」を届けてくれる…

そう信じています。                                    釜石市役所職員

                                                  佐々木○○

3月といえば・・・


卒業式!!


メンバーが通学している学校も本日卒業式でした。


祝電の中には、被災地の学校名もありました。


志を持って盛岡の高校に進学し、寮生活や下宿して頑張ってます。





今年の被災地・中学校の卒業生の進路が気になります。


路線が運休で希望していた高校に通えなくなって、進路を変えた生徒が沢山いると報道されてましたし・・・


今年の沿岸部・県立高校志願倍率は下がっていますし・・・


故郷に住みたいが、子供たちの将来を考えて苦渋の選択をされ、内陸に引越しをされていますし・・・





希望の春になりますように・・・・













先週の土曜日(25日)に、パステルシャインアートの
小百合先生と大槌に行ってきました。

きっかけはmixiのイベント告知。
何度か見かけて気になっていたので
盛岡で開かれた体験会に参加したんです。

実際にやってみたら、とても楽しくて
ぜひ大槌に皆さんにも体験してほしいなひらめき電球
と思い、その場でお願いしました。

それから遠野まごころネットのお茶っ子隊の方に連絡を取り
会場選びからチラシの配布までやっていただきました。(感謝ブーケ1

段取りも済み、これで万全ビックリマークと思っていたら、当日は大雪叫び
しかも車のトラブル等もあって、道案内をするはずが
結局1時間の遅刻…汗(すみません!!)

でもでもみなさんのおかげでこんなに賑やかな会になりました。

$自遊自在託児人の『こうかん日記』
↑先生と、参加してくれたみなさん。
説明を聞きいているところです。


始めは
おらぁ書げね(書けない)。見でっから(みてるから。)
と言っていたおばあちゃんも、みんなに誘われて仲間入り。

あんたの色、いいねえ。それ貸して。
はあ~幼稚園みてえだな。
こんなぁごどしたごどねえがらナア…

色にこだわる人あり、他の人のを覗き込んで点数をつける人もありの
なんとも賑やかな時間が過ぎて、出来上がった作品がコチラ。
$自遊自在託児人の『こうかん日記』
ね。素敵でしょ合格


最後に自分の作品を持って記念撮影もしました。
(これはその準備中)
$自遊自在託児人の『こうかん日記』

この日は急にNHKさんの取材も入って、
小さな会場は人がいっぱいでした。
 
この様子は3月7日(水)の11時~12時の間
東北6県のNHKで放送されるそうです。

私は写らないと思いますが(笑)よかったらご覧くださいね。


それでは、今日も楽しい一日を^^