昔々のお話この地唐津市では岸岳末孫の祟りの伝説有りその末裔よりのブログ
二度の敗北の中で恨みはつのる
この地 唐津市では岸岳城と言ったお城が有りました。戦国時代の1500年代の終り頃の事です、豊臣秀吉に、滅ぼされた波多家が有った処です。
戦で負けて滅んだのでは無く。理不尽な因縁を付けられ、滅ぼされたのです、
その事が後々の恨みとなって、語り継がれて何時しか恨みが祟りとして語られるように成って、現在に成ったのです、この地では、至るところに無縁仏が祭られていて、そんな墓地を触ったり粗末に扱ったりした時、その人に色んな災いが及ぶのです、それを末孫の祟りと、今でも言っています、処が、私の先祖を或るきっかけで調べていたら。 実はその末孫だったのです。何拾年か前から、振り返ったら私は人の死相が見えます、不思議な事ですが。
いつの間にか、気が付けば小さな、小さな寺では有りますが、建立していました。
末孫の祟りが、末孫の自分に降りかかっていたのです。人生て面白いですよね
この続きは又の機会に。
読まないと末孫の祟りが災いと成って降りかかりますよ、ハッハッハでは
なかなかアクセスが有りません、何とか、調べたいのですが、
萩市の方で、歴史郷土史をを研究している方や、大内家に興味の有る方は、少ないですか?
如何いった、文献を調べたらいいのでしょうか、教えてください、どんな事でも良いです、山口県の文献を調べれば判るでしょうか、又出向いて調べた方が良いでしょうね。
今の生活には直接は関係有りませんが、好きなんでしょうかね、愚痴を書いてしまってすみません。では御機嫌よう。。。。
自分のルーツを求めています1550年代に滅びてしまった大内家の家臣で山田と申します。
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萩に住んでいました、大内家が毛利に滅ぼされてから九州に逃れ松浦党の波多家に仕官して使えていましたが豊臣家に改易に追い込まれ又、浪人して、現在の佐賀県唐津市厳木町の天川に落ち着き現在で17代目に当るものですが、大内家の歴史を知っている方がいらっしゃいましたら大内家でどんな役職に就いていたか又その前の出所等おしえて。下さい
現在の場所に来た時、菩提寺の建造とかしていますので家禄は少しは良かったと思われます、当時の事は詳しくは解かりませんが、寺の2世として二男か判りませんが2番目の息子が住職に成っています、寺の本尊様の真裏に墓がありまして、寺でも、中心の立場居たと思われますので期待してお待ちします。
宜しくお願いします。。。。![ドキドキ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
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