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チャンネルY さいたま支局

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今回の甘利事件そのものは、語弊を恐れずに言えば「大したこと」はありません。

週刊文春が大げさに札びらと領収書のコピーや、甘利氏と「一色」氏の握手写真を掲載したので、何事かと衝撃を受けたと思いますが、よく冷静に考えてみてください。

何の意味もない恐喝犯がよく使うハッタリですよ、これって。

贈賄側の札のコピーなど、大した証拠にもなりませんし。もらったほうが今でも持っていりゃ別なんですがね(笑)。

桐箱入り虎屋の羊羹の下に50万円、2回目も50万、締めて100万入っていたから、まるで御用商人と時代劇の悪代官よろしく見えますが、何のことはない政治資金をもらっただけの話です。

甘利氏は、封筒に気がつくとすぐに処理しておくように、と秘書に命じています。

ですから、いかにもワイロのように書き立てられていますが、政治資金報告書に記載されている以上、大した問題もありません。

それをメディアのように、「現金授受認める」と一面大見出しするほうがバカでキチガイなのです。


(現代ビジネスより引用)

問題になるのは2点。

ひとつは、清原秘書がもらった献金のうち300万を政治資金報告書に記載せずに遊興に使ってしまったということ。

今ひとつは、清原がURと薩摩興業側との補償金トラブルに口ききをしたか否か、です。

これについては、現時点ではURは否定していますし、司直の捜査待ちです。

甘利氏は清原の管理に大いに問題があったということは間違いありませんが、戦後史に残るTPPという大交渉の指揮官が地元に帰れないのは当然でしょうから、シロアリに足元の土台を食われていたのでしょう。

「一色」氏の怪しさは、今後他のメディアによって次々に暴かれていくことでしょうし、司直も乗り出して、週刊文春ともども捜査を受けると思われます。 今日はこれにふれにはふれません。

さて、今回の甘利事件は政権を直撃しました。よくリカバリーしたもんだなぁと思います。

首相が盟友のスキャンダルにおいても、情に流されず、「説明責任を果たしてほしい」と突き放したことは正解でした。

それに応えて、わずか1週間で、第三者弁護士による詳細な報告書を煉り上げ、辞任を落とし所として決意した甘利氏も見事です。

第1次安倍政権は危機管理能力に難がありましたから、かつてならこの事件で総辞職コースに突入してもおかしくありませんでした。


中川昭一氏遺影 出所不明

安倍氏をして、ここまでタフにさせたのには過去に前例があるからです。

それは、あの忌まわしい、中川昭一財務大臣「酩酊」会見事件です。

おそらく、今回の甘利事件を知った時、安倍氏の心中に真っ先に到来したのは、かつての最大の盟友であった中川昭一氏の「酩酊」会見事件と、その後の落選と怪死だったと思います。

当時、中川氏は麻生政権の財務大臣として、財務省と真っ向から戦っていました。景気対策において、決定的に中川大臣と財務省は対立していたのです。

金融引き締めと緊縮財政を王道と考える財務省と、景気浮揚によるデフレ脱却を考える中川氏とは敵対関係にありました。

逆らう大臣は潰す、パペットを拒む大臣は潰す、これが財務省側の掟です。

この「酩酊」会見事件の舞台はG7でした。

中川氏はこの大舞台で1000億ドルの融資枠提供という大胆な提案にサインし、IMFのストロスカーン専務理事をして、「人類史上最大の融資貢献」と言わしめました。

あの時点の日本は、掛け値なしに世界の金融秩序の守護神だったのです。

しかし、この1000億ドル拠出とストロスカーン氏の評価は、ひとことも日本で報じられず、代わりにマスメディアを覆い尽くしたのは「酩酊」会見だったのです。

今でも思い出す度におぞましい、集団リンチが日本を覆いました。

当時、朝日新聞はこう書き立てました。

「中川氏 バチカンの変 もうろう会見直後の観光 さく越え石像に素手、警報作動」。

まったくの捏造報道です。

バチカンで中川元財相の通訳を務めて、終始随行していた和田神父は、「そのような事実はない」と全面否定したにも関わらず、この神父の証言をマスコミは揃って黙殺したんですよ。

ありとあらゆる電波メディアは、繰り返し繰り返し数百回も中川大臣が会見でしどろもどろになった様子をリピートしたのです。

この時、中川大臣に随行していたのが、財務省・玉木林太郎国際局長でした。

玉木国際局長は中川氏の高校時代の同窓でしたが、このローマ署名式には随行の必要はないと言われていた人物です。

玉木局長は、中川氏の葬儀の後に、未亡人となった中川ゆう子夫人にこう言っていたといいます。

「ローマの会見の前に、財務省の職員が迎えにいったときには、中川大臣は正常な状態でした。財務省が保管している記録でも、そうなっています。だから、中川大臣の名誉はこれで永遠に守られます」

ところがその後、「財務省職員の証言」とやらは、まったく提出されることなく、中川氏の死はただの「酔っぱらい大臣の無様な死」で片づけられてしまいました。

当時、中川氏は風邪を引いており、内服薬を常用している状況でした。そして米国・ガイトナー財務長官との会食でワインを飲んだとされています。

この時一緒に随行していたのが、玉木局長と数人の日本人記者たちです。

財務省職員がクスリを盛ったとまでは思いませんが(※そのような説もあります※)、体調を崩して服用中の大臣を知りながら、なぜ随行官僚が酒を飲ませたんですかね。

玉木氏は中川氏に酌までしているのです。

そして、なぜそのまま記者会見に出させたのでしょうか。中止などいくらでも可能な会見にも関わらず、なぜ大臣をあの用なさらし者にしたのでしょうか。


(href="http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid627.html この事件についての青山繁晴氏の分析が読めます)

その後、随行職員トップで、最も責任を問われるべき玉木局長は、おとがめもなく、ローマ事件の後も出世の階段を昇り続け、国際局長から財務官にまでなっています。

また、ローマ会見で中川大臣の横に座っていた篠原尚之財務官に至っては、その後に、IMFの副専務理事にまで出世しています。

いまなら、真相究明をふくめて、中川氏復権の一助になり得た私たちネット言論も、当時はまだひ弱でした。

かくして、中川氏は助けるものとてなく、汚辱の泥沼に沈んでいったのです。


AFPより引用

話が長くなりましたが、
甘利事件に話を戻しましょう。

甘利氏は、TPP交渉担当だけにスポットが浴びますが、経済再生相としてアベノミクスを推進したひとりでした。

アベノミクスは、従来のように財務省と日銀から生まれた政策ではなく、この二者と戦いながら生まれた経済政策です。

なぜ、安倍氏が必ずしも経済政策において一致しているわけではない麻生氏を財務大臣に据えたのかと言えば、さすがの財務省も麻生氏ほどの大物を「殺せない」からです。

財務省にとっての「理想の大臣」とは、官僚のレクチャーどおり、「日本がギリシアになるから、緊縮財政して消費増税だぁ」と叫ぶ管直人財務相のようなご仁でしょうね。

ご承知のように財務省は一貫して増税を本筋とし、金融緩和には反対、減税もまた反対というのが省是です。

本来政府の指揮下にある官庁に、省是などあってたまるかと思うのですが、こと財務省に限ってはあるのですよ、これが。

この財務省の省是は、増税を避けて減税を進め、消費税も先送りにすることでデフレ脱却を図ろうとする安倍政権と鋭く対立してきました。

甘利氏は、首相の片腕として財務省の圧力が強まるたびに、常に官邸側に立って両者の調整役を果たしてきたとキーパーソンだと言われています。

軽減税率についても、渋る財務省を屈伏させたのは甘利氏の力もあったとされています。

この事件で、首相はその重要な役割を果たしてきた側近を失いました。

甘利氏の辞任によって、政権要人は3人に絞られました。安倍首相、菅義偉官房長官、麻生太郎財務相の3人です。

これに自民党幹事長の谷垣氏を入れての4人が、消費増税についての決断をすることになります。

麻生氏と谷垣氏が、かねがね増税派なのはよく知られた事実です。

また甘利氏の後任となったのは、消費増税3党合意を谷垣総裁(当時)と共に作った当事者の石原伸晃氏です。

甘利氏が去った後の消費増税をめぐる攻防は、これにより一気に財務省サイドに傾いたことは確かです。

このように見ると、敵対する何人もの政治家を抹殺してきた財務省の伝家の宝刀が、今回もまた使われたと思うのは、うがちすぎでしょうか。

私には、この「一色」という小物恐喝常習犯と文春の背中に、財務省の「長い腕」が見え隠れするのです。