この間、よく聞きませんでした、この手の言説。
ま言説だけならともかく、民主党は維新(大阪維新からの搾りカス集団)、共産、社民、生活各党といった「オール日本」(サヨクオールスターズ)のメンツたちが、安全保障関連法の廃止法案を来週中にも共同提出するようです。
はぁ~、アホクサ~。。。

href="http://www.asyura2.com/15/senkyo191/msg/730.html
震災などにおける日本国民の団結心は実証済みなんですが、こういう外部の軍事的脅威に対してはどうしてまとまれないのか、わが国最大の弱みではないでしょうか。
なにもよりによって、国民の生命、財産、自由が犯されようとしていて、それに対して国際社会が一致団結して立ち向かおうとするその時にタイミングを合わせなくてもよさそうなものを。
この人たちが「戦争法案」と呼んでいた平和・安保法制は、まさにですよ!こういう事態に対応したものなのです。

防衛省
簡単に説明しておくけど。
今回、北朝鮮のミサイル発射に備えて、海自は迎撃ミサイルSM3を搭載した「きりしま」など3隻を日本海に1隻、2隻を東シナ海に振り分けて配置しました。
これは、予想される飛行経路に近いエリアの備えを手厚くするためです。
上の防衛省の解説図には、他国の海軍艦艇が出ていませんが、もちろん現実には違います。
今回も米海軍は、米海軍横須賀基地に配備している弾道ミサイル防衛(BMD)が可能な艦艇6隻のうち「ベンフォールド」など数隻を、海自と協同の警戒態勢に入れたと思われます。
※NHKニュース2月7日http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160207/k10010400361000.html
韓国海軍もまたBMD能力はありませんが、レーダー探知のためにイージス艦を出したようです。
つまり、2月初めには、この朝鮮半島周辺の公海上に、日米韓の三カ国の艦艇が、北朝鮮のミサイル発射に備えて共同行動を取っていたことになります。
これら3カ国のイージスを中心として、米国の高感度の赤外線センサーを搭載した警戒衛星による早期探知、空自の高性能レーダー国内「FPS5」レーダーサイト4カ所の追跡、あるいは米海軍ミサイル追跡艦「ハワード・ローレンツェン」などが、一体のものとして機能して、初めて有効なミサイル迎撃体制を取れるわけです。
このような各国が共通の脅威に対して、共同の行動をとるという状況こそが、まさに集団的自衛権が想定している状況です。
別に、野党が言っていたような、「米国の戦争に世界の裏側までついて行くこと」でも、ましてや「徴兵制を敷く」ために安保法制を作ったわけじゃありません。
こういうアサテのことばかり言っているから、現実の脅威が目の前に来ても鈍感さ丸出しなんですよ。
日米韓3カ国が共通の安全保障上の協力関係を築こうとしている時に、「戦争法案廃止案」を提出するという政治センスが、全く危機対処能力を喪失しています。
勘違いしていただきたくないのは、日本ではこういう類の人たちを「リベラル」と呼び習わしていますが、残念ながら、リベラルの世界基準じゃありません。

(ロイター=共同)
たとえば、上の写真は2015年11月16日、パリのソルボンヌ大で、同時多発テロの犠牲者を追悼し、黙とうするオランド大統領(中央)です。
フランスはパリ同時テロを受けて直ちに緊急事態を宣言し、「テロとの戦争状態」に入ったのですが、政権はフランソワ・オランド率いるフランス社会党でした。
ちなみに社会主義インターの中心政党が、このフランス社会党です。
保守であろうとも、革新(欧米にこのような言葉はありませんが)であろうとも、やることは一緒なのです。
だから政権交代しても、国民は安心していられます。
日本のように、政権交代した瞬間に外交・安全保障の機軸である日米同盟を揺るがすようなことは、欧米ではありえないことです。
またこの国家緊急事態法も、安倍氏が必要性を口にするやいなや、自称「リベラル」の人たちから「とうとうアベはヒトラーの全権委任法を目指し始めた」として批判されたものです。
おいおい、ではオランドさんもヒトラーかよ!と。
欧米のリベラルは歴史的に、外国が国民の生命、自由、財産という基本的人権が犯されようとする時には、これと敢然と戦ってきました。
これをフランスでは、レジスタンスと呼びます。
それがあって初めて、国が国民の基本的人権を犯そうとした時に、戦うことが可能だったのです。
国という枠組みと、国民は対立する概念ではなく、国が国民の生命・自由・財産を保障する限りにおいて、共同して国を守るのが前提でした。
その意味で、欧米において保守とリベラルの差は単に国内政策上の違いだけであって、国民が危機に陥る時には、協力して国を守るというのは共通の価値観として定着しています。

出所不明
しかし先進国において、わが国だけはその例外でしたね。
わが国では、危機においても「平和」を叫び、防衛体制に入ろうとする政府に抵抗することこそが、「リベラル」であると信じられてきました。
彼らは深いところで、えらく勘違いをしていますね。
国民を守ろうとすることまでを「戦争」と呼んで忌避してしまったら、どうやればいかなる手段で国民を守るのでしょうか。具体的に教えてくれよ~!と言う話ですよ。
対話も結構なんですが、北朝鮮のように対話も何も成立しない相手には、ひたすら防衛に徹するしかないでしょう。中国に対しては、犯されない守りを固めて、静かに毅然と話し合うべきです。守りがあるから外交交渉が可能なのです。
ところが、日本の自称「リベラル」は、防衛と対話を二項対立のように考えてしまっています。左翼とリベラルの根本的な違いは、「国」という存在を前提にして考えるか、否かなのです。
日本の自称「リベラル」は、世界基準のリベラルが国という枠組みこそが、国民の基本的人権を守ると考えていることに対して、国家そのものを打倒することを目的とするただの「左翼」なのです。
だから、自由主義国家の打倒を究極の目的とする共産党が主導して、「オール日本」「戦争法案廃止政権」が提唱されたりします。
共産党を含む連立政権などは、カルチョの国以外ではありえないことですけどね。
戦後日本社会に根強く残る、リベラルと左翼という本来相いれない概念の混同も、いいかげん脱皮していかないと。
ただの左翼でしかない輩が、世界基準のリベラルを「ネトウヨ」等と安易にレッテル貼りできるようなアホクサ~♪な価値観を変えていかないと、ね。
多少なりともその足しになったのが、今回の暴力団北鮮組の3代目組長「キム・ジョンウン氏の冒険」の唯一の収穫だったのかもしれません。